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2011-10-07
レディーヤン(宮津市) レトロな人に出会った
宮津市新浜、浮世小路のレディーヤン。マスターの霞流一紀さんです。今日、初めておじゃましました。
マスターの苗字ですが、「かすばた」と読みます。名前は「いっき」なのか「かずのり」なのか、聞き忘れました。
めずらしい苗字。どこか別のところで霞流という人間に出会ったら、それは私の血縁だ。マスターはそう言います。
【絵を愛するマスター】
私が店に入ったとき、マスターはちょうど出かけようとしていました。
10月7日~9日、宮津の市民体育館で、美術展が開催されます。マスターは、そこに絵を出品することになっていて、梱包を終えた作品を運び出そうとしているところでした。
油絵から始まったマスターの絵画歴は33年にもなります。いまはもっぱら水彩画だそうです。明日からの美術展に出品するなかでは最古参になってしまいました。
コーヒー飲むのかと尋ねられて、飲みたいと答えたら、仕事用の白い上着に着替えてくれました。たった一杯のコーヒーだけなのに、その律儀な振る舞い。頭が下がる思いでした。
明日はマスターの作品を見せてもらいに行こうと思います。
【赤線時代から浮世小路暮らし】
気になる写真がありました。昭和の30年代に見えます。
大きく笑っているのは、20歳代のマスターです。バーテンダーの資格をもつマスターは、ここ新浜の浮世小路でカクテルバーを始めました。早くから関西バーテンダー協会の一員でした。
女性はホステスさんたち。10人くらいを雇っていました。現在の宮津なら、ホステス10人をかかえて店の経営は成り立たないでしょう。
新浜は、かつて赤線地帯でした。歩けば、名残りも見られます。
その赤線は昭和33年(1958年)に廃止されました。売春禁止法が施行されたからです。マスターに見せてもらった写真は、赤線終了の2~3年後に撮影されたものです。私は10歳でした。
赤線時代の新浜はたいへんな繁盛だったと、いろいろな人から聞きます。
今日のマスターの話によりますと、夕方、4時頃、娼妓たちが銭湯から出てきたばかりの時間帯だというのに、遊郭が開くのを待ちきれない男たちがたむろしていたそうです。娼妓たちは、まだこれから化粧。客の相手をし始めるのは6時くらいだそうです。
女の子はみんな若かった。十代だよ、十代。おばさんじゃないからね。
そんな光景が来る日も、来る日も繰り返されていました。
新装開店のパチンコ店の朝みたいに男が所在なさげに並び、花火大会の夜のように十代の女が浴衣で歩き去る。
いくらでも人が来たとマスターは振り返ります。何もできない人間が商売を始めてもうまくいった。それくらいに客がいた。
赤線廃止以降、新浜が急速にさびれたのは当然のなりゆきでした。
あれだけの客を宮津に食い止める代案がなかったものかと、マスターはまるで当時のことのように悔しい表情で語ります。
使い道のなくなった遊郭街には新たな住民が流れ込んできました。住んで後、新たに商売を始める者もいれば、借金で夜逃げする者もいました、固まって名古屋に移る者もいました。
いま新浜の表通りは新しくきれいな外観ですが、赤線廃止直後の住民たちからさらに新たな住民へと、回転を経た結果です。
ここに書けないオフレコの話をあれこれ教わりました。
マスターの語りは、その時代を経験してきた人だけが知るリアリティーにあふれていました。
【レディヤン開店は1975年】
マスターの珈琲店は、1975年に開店した当時のままです。100円で4曲聞けるジュークボックスもそのまま置いてあります。ドーナッツ盤がぎっしり並んだ内部を見せてくれました。
まだ鳴るのなら、次に来たときにぜひやらせてもらいたい。
来るのは常連さんばかりなのか、カウンター席のほかは電灯を消したままです。照明の消えたほうから写真を撮ろうとしたら、「電気つけようか」とマスターが言ってくれました。「あ、大丈夫。このほうが雰囲気あるし」とシャッターを切りました。
照明がいらなかった理由がもうひとつ。路地に入る光を受けて、このステンドグラスがきれいだったからです。暗くてもマスターの絵心が見えてきそうな窓辺です。いや、暗いほうが、たぶんきれいでしょう。
私は、宮津の路地裏散策が大好きです。路地に足を踏み入れたと同時に時代が戻るような気さえします。いまが平成23年だとわかるのは、通り過ぎる車の年式くらいなもんで・・・
とくに、新浜のあたりは、なんの疎外感もなしにぶらぶらできる空気を感じます。花街が消えて久しいというのに、町並みのほうがよそからの客を恋しがっているのでしょうか。
これまではレトロな路地裏を傍観者で歩いていただけでしたが、今日はレトロな人にも出会いました。ちょいと年齢不詳。マスターのいろいろな話を総合的に考えると73歳以上ですが、本人はまだ70歳前だといいます。
年齢以上に町の盛衰を記憶に刻み込んだ人。年齢以上にレトロ。
ついふらっと路地裏に入ってしまうクセと同様に、またきっと、ふらっとレディヤンに入ってしまうにちがいありません。
レディヤンの路地を抜けたら清輝楼
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