写真は、卯辰山公園から望む金沢市街と白山連峰です。
12月25日。メリークリスマス当日の金沢市は、雲ひとつない晴天でした。
弁当忘れても傘忘れるなといわれる金沢の冬。日々、低く厚い雲が山から海まで覆いかぶさり、けじめのない暗さで明け、けじめのない暗さで暮れていきます。だから、青空が広がる日があれば、それだけでその日いちばんの話題なのです。
ちょうど36年前の12月25日も、冬にあるまじき快晴の一日でした。
その日、金沢日赤病院で、娘の基子が生まれました。
大学を出て、藤沢薬品に入社し、初めての赴任地が金沢市でした。私たち夫婦は金沢市の隣、野々市町に住んでいました。
クリスマス・イブの24日、ジャスコでターキーを買ってきました。さあ、食べようかというまさにそのとき、妻お龍が産気づきました。たいへんやあ、生まれるぞ~とか言いながら、金沢日赤病院へ急行。翌朝の25日、女の子が生まれました。キリストさんの日だっただけに、基子と命名したのです。
2013年12月25日の金沢で、冬の快晴に出会って、基子の誕生日であったことを思い出しました。おめでとうのメールを送りました。「今日の金沢は、基子が生まれた日と同じ青空だ」と書いて、その青空を写メにしました。iphoneの画面いっぱいに写った空は、まるで色紙。青一色でした。
ある調剤薬局から出て行こうとしたとき、カウンターの向こう側から管理薬剤師さんが言いました。
こんないい日は、ひと冬に二回とありません。だいじにしてください。
そうだった。二回とない。たしかに。
昼ごはんをやめて、その時間で卯辰山公園に登ることにしました。
卯辰山の見晴らし台から白山連峰にカメラを向けていると、見知らぬおっちゃんが近寄ってきました。やっぱり午前中にこないと、ここからの白山は逆光になって駄目だなあと、そんなことを私に話しかけてきます。
卯辰山から立山連峰も見える。今日はこれだけの天気だからきれいに見えるはずだ。どこがいちばんよく見えるか、自分だけが知っている。遠くないから、そこに一緒に行こう。
初対面の私を、そんな風に誘ってくれました。
出会って1分もたたない2人が、そのおっちゃんの軽に乗り込みました。ひとりもんだから車の中がきたなくて申し訳ないと言いながら、おっちゃんは卯辰山のくねくね道を運転していきます。
2分ほどで着いたのは、横空台とか、月見台とかいう名称の展望広場でした。
おっちゃんは、卯辰山の衰退を嘆いていました。
往年の卯辰山といえば、動物園があり、水族館があり、恋人たちが夜にドライブするコースでもあり、金沢の市街地を見下ろしながら食事する場所であり。
それが、いまは、市民生活面でも、観光面でも、卯辰山への依存度が低くなった。見向きもされなくなった。北陸新幹線が開通したら観光客が増えるというのに、こんないいところを生かさないのはもったいない。
そう、たしかに、私が住んでいた時分は、卯辰山というのは、レジャーゾーンとしても、文化ゾーンとしても、現役でした。初めて本格的な懐石料理を食べたのは、卯辰山公園までの道筋にある料亭だったはずです。
おっちゃんが卯辰山を推奨して止まないのは、雪に白く輝く白山連峰と立山連峰の両方を遠望できるまたとないスポットだからです。
白山連峰を眺めるための展望台はしっかり整備されているけれど、立山連峰のためには何もない。立山連峰が見えるはずの斜面には、木がまさに林立している。枝に遮られて見えない。だから、気づかない連中が多い。
金沢市に提言してみた。立山連峰がよく見えるように伐採したらどうか。せめて枝だけでも払ったらどうか。草だけでも刈ったらどうか。何も返事がなかったから、草は自分で刈った。木を切るわけにはいかないから、本当に邪魔になる枝だけは取り除いた。自力で、粗末ながらも、小さな展望場所をこしらえた。
それでも木の葉が生い茂っている季節はだめ。木がすべての葉を落として枝が裸になるこの時期がいい。立山連峰が見通せる。ちょうど立山連峰が雪で白く輝く季節だ。
おっちゃんのそんな話を聞きながら、月見台と横空台を横切り、金沢大学医学部で解剖を受けた人の魂を鎮めるお墓のそばを通り抜けました。
よし、着いた。ほら、ここ、ここ。
おっちゃんが指差す先に、真っ白な立山連峰が、真っ青な空を背景に光っていました。重なり合う低い山の稜線。その向こう側、中腹より上の部分だけを出しています。
北陸地方で渓流釣りばかりしていた時代の記憶を思い起こしました。何枚もの地図を見つめて、魚がいそうな渓流を探していました。頭の中に当時の地図を思い描けば、立山連峰を望む方角には、南砺市以外に平野部はないはずです。残りは、すべて山地。
庄川水系、神通川水系、常願寺川水系の、いくつもの山と渓、いくつもの山村、いくつもの岩魚の住処を越えていったそのまた先に、3千メートル級の立山連峰があります。
それだけ遠くにある山がくっきり見えるのも、この快晴があってこそ。そして、澄んだ空気があってこそ、立山連峰の高さあってこそ。素晴らしいことです。
おっちゃんが連れてきてくれたのは、見晴らし場所というよりも、冬枯れた山の斜面でした。春になれば、山菜が芽吹くのかもしれません。その斜面を、おっちゃんが下りて行きます。「あんた、革靴か」と言いながら。表層が粘土質なのか、本当に滑ります。
まあ、ほんの1m。立つ場所を変えるだけで山の見え方がまったく違う。だから写真を撮り始めたらキリがない。いいのが撮れたときは、プリントして、かかりつけの内科に持って行く。先生も看護婦さんも喜んでくれて、待合室に飾ってくれる。
おっちゃんは、デジカメのズームをウイーンといわせ、1枚ごとに何かつぶやき、そして足場をしきりに移し、何回もシャッターを切りました。
不思議な縁(えにし)だと思いました。いまから20分ほど前までは、お互い、この世にいることすら知らなかった者どうしです。その二人が、生まれたときからの知り合いのように、卯辰山の足場のよくない斜面から立山連峰を撮影しています。
何も理由はない。気が合ってしまっただけのことです。
雪に輝く山々が見えるだけで嬉しい。山がきれいだということもあるけれど、見ている自分が嬉しい。だから、見るためなら多少のことは何でもする。そのあたりの物好き加減が、私からも同じ波動で出ているのでしょう。
基子が生まれたのも雪国の晴れた日。そこからちょうど36年を経た今日も、あのときと同じように、雲ひとつない青空が広がっています。
そのクリスマス・デーに、なんとも変なおっちゃんと出会って、自分もまた、変なおっちゃんに変身しました。
こんな体験をもたらしてくれた何かに対する感謝。その気持ちを止めることができませんでした。
さあ、もういいか。
おっちゃんは、そう言って、斜面を上がり始めました。私は、先にとっくに上がっていて、おっちゃんの姿を写真にしていました。
ちょっと、榊をもろうていくか。
そう言いながら、おっちゃんは、榊の枝を短く折り始めました。思い描く寸法の榊があまり見つからないのか、枝振りをのぞき込むようにして吟味しながら、木から木へと移り歩いていきます。やがて、潅木と潅木の隙間に、おっちゃんの姿が消えました。
それっきり。おっちゃんは、戻ってきません。卯辰山の陽だまりに、私独り。ここまで軽自動車に乗せてきてもらったんですけど・・・iphoneで時間を確かめると、おっちゃんが消えてから15分ほど経っていました。
私は、あきらめて、石段を下りていきました。
一期一会。
卯辰山で変なおっちゃんに出会った。そんなこともあったなあと、いつか思い出すだけでいいじゃないですか。
卯辰山を下りて、あめの俵屋へ向かいました。
あの半沢直樹は、金沢出身という筋書き設定で、俵屋のじろあめが大好きということになっています。半沢直樹による売り上げ増大効果は抜群だったといいますが、ドラマ効果を待たずとも、さっぱりとした甘さのじろあめは、ずっと以前から、地元にも観光客にも大人気でした。
午後3時になって、低く傾きかけた光が、俵屋の奥まで射し込んでいました。じろあめを小分けする店員さんがまぶしそうにしていました。
基子が、孫の聖太郎を連れて、あと2日もしたら帰ってきます。親子揃って大の半沢直樹ファンでしたので、買って帰ることを思い立ちました。
快晴の一日は、曇ることを忘れ去ったかのごとく、日が暮れるまで続きました。太陽が水平線に沈む頃、内灘町にいました。金沢医科大学近くの医院にカレンダーを届けに来たからです。
行く先々で、珍しすぎるまでに晴れ渡った天気が話題になりました。まさに愛でるといった会話です。宝物みたいな日だということがよく分かりました。
そうか、36年前の今日も宝物みたいな日だったのか。
宝物みたいな日に宝物みたいな第一子を得たのか。
つまり、今日が36年ぶりのMy Best Christmas Dayだったのだと、いま思っているところです。
P.S. さっき、娘からメールの返事が来ました。今年の誕生日で、私は35歳。まだ36歳ではないと書いてありました。
明けましておめでとうございます。まさに何か降臨してきそうな風景に魅了されます。あの頃は獲物ばかり追っかけて山を見ていませんでした。今一度行ってみたいです。キッチンから見上げる空は毎日灰色ばかりです。 ディア フレンド
返信削除明けましておめでとうございます。
返信削除西高東低の気圧配置になる度、雪国はちょっとくらい税金安くしてもええやないかと思います。
山を遠くから眺めるにつけ、よくまああんな奥の渓流まで入っていってたなと、自分で自分に感心するばかりです。
もう一度行きたい気持ちはあっても、足腰がねえ。