土用丑の日前日、7月26日、NHKラジオ第一の「私も一言!夕方ニュース」に、塚本 勝巳先生(東京大学大気海洋研究所教授)が出演されていました。先生は、マリアナ海域におけるウナギの産卵生態観察から当日の朝に帰国されたばかり。その日のうちの出演でした。
先生のお話を伺っていて、シラスウナギの漁獲高減少問題は今後もずっと続くだろうとの印象を強くしました。
というのも、人口産卵技術の確立が火急の課題だと先生がおっしゃっていたからです。遅くともここ数年以内に解決したい課題だと、先生は意気込んでおられました。
2012-07-28
市の蔵(金沢市近江町市場) 土用丑の日、うな丼
2012-07-27
Cafe&Restaurant 再會(京都市山科区) お金持ちの洋館みたいな喫茶店
第2京阪京都線の山科ICを下りてほどないところ、山科区西野山射庭ノ上町67-11で、「再會」という喫茶店に出会いました。
まことに古風な洋館建てです。周囲を緑に囲まれています。
Ckick to 再會のホームページ
2012-07-26
近江牛せんなり亭伽羅(滋賀県彦根市) 近江牛肉 鉄火丼御膳
猛暑の下、京都を出て金沢まで走り始めました。
この暑さ、金沢まで走るためのスタミナ不足を感じて(というても、走ってるのは自分やない、車ですけど)、途中の彦根市で近江牛を食べていくことにしました。
彦根城近く、夢京橋キャッスルロード、せんなり亭伽羅の近江牛肉鉄火丼御膳(2280円)です。
2012-07-23
2012-07-21
中六醤油(富山県射水市新湊) 地元では刺身と寿司に中六
富山県射水市新湊、「きっときと市場」で食べた海鮮丼です。
サプライズは醤油でした。ひとくちでいえば甘い醤油。醤油にして醤油にあらずの甘さです。
海鮮丼に甘い醤油?と、みなさんいぶかしがりそうです。だけど実際は、未知のその醤油が魚の甘みを引き出してくれました。舌の上に不思議発見ワールド。
2012-07-19
散居村の砺波から夕焼けの氷見へ 梅雨明けの北陸路
北陸地方に梅雨明け宣言が出されました。
気象庁は慎重です。「もう梅雨明けだろう」と世間が生活感覚で語り始めても、気象庁だけは気象データで語ります。
真夏の風で波打つ稲は海。散居村の民家は稲の海に浮かぶ島です。
中国旬菜坊 幸來(金沢市額新保) 店の意欲がランチにも
ええところに止まれの標識が立ってますねえ。
安全運転で止まったら、すぐ左側に中華料理店。昼ご飯の店を探しているところでした。
ハンドルを切ってそのままバックしたら、これまたうまいこと店の駐車場に収まるようになっています。
2012-07-18
2012-07-16
ステーキハウスKAZU(京都市・夷川烏丸西入) 町屋風に誘われて
烏丸二条あたりの耳鼻科で仕事を済ませてから、たまたま通りかかったステーキハウスKAZUで昼ごはんにしました。
KAZUと英語表記していますが、漢数字の「一」を使って「ステーキハウス 一」と表記するのが正しそうです。
写真は750円のステーキ・ランチです。
2012-07-10
ふ志(蕎麦 敦賀市) アルミ製の急須が現役
わあ、懐かしい。アルミ製や。こんなんまだあるんですか。
冷たいお茶はペットボトルが当たり前のような時代に・・・
いま、書きながら、自分はアホやと思いました。こんなんまだあるんですかって、目の前にあるやないか。
店のお母さんも、お母さんです。
昔はみんなこれでしたねえ。
昔はって、まさにいま目の前にあるやないか。
ソレイユ(京都府福知山市) 初めてのお龍が大満足
石窯に向かう河村シェフ。石窯の火力はすごい。ピザ1枚、わずか1分半。計画停電になったら、こいつで発電だ。
お龍:シェフは何されてるの?
私:窯の中でピザを回してはるねん。
シェフ:いやいや、実は中にもう一人おるんです。
2012-07-07
神田きくかわ(鰻) 土曜の丑の日、NHKの取材はこの店
東京へ行ってました。有名な鰻屋さんでおごってもらいました。おごってくれたのは、いまの会社の社長です。前の会社の社長に鰻をおごってもらったことなんて、一度もありません。
「毎年、土用の丑の日になったらテレビでニュースが流れるでしょ。NHKは必ずこの店なんですよ」と、社長から聞きました。
2012-07-04
こんなローソン見たことない(京都府京田辺市山手西店)
ほんまや。軒先のないローソンは見たことないな。
という話ではありません。軒先がないのは、たしかに珍しい。それ以上に珍しいのは、屋根の上に仕掛けられた太陽光発電システムをはじめ、何から何までエコを追い求める仕組みになっていることです。
2012-07-03
おばあちゃんを竜宮城へ 調略編⑤ お試し帰宅
梅雨の日曜日、7月1日、おばあちゃんが自宅へ戻りました。
今年1月から、京都市の高齢者向け賃貸マンション「Cアミーユ西大路八条」で暮らしてきたおばあちゃん。
私たち子供の慰留も空しく、どうしても自宅に戻りたいの意思を、おばあちゃんは曲げませんでした。
ただし、自宅でのひとり暮らしが本当にできるのかどうか、不確かな面も多々あります。
今回は「お試し帰宅」ということで、自宅に戻ってみました。