東京へ出張してきました。宿泊は浜松町でした。浜松町駅前、大門という交差点のすぐ近くの夜です。
東京タワーが見えます。スカイツリーに人気を奪われたおかげでレトロ東京の象徴に昇格しました。
秋田の銘酒「高清水」の看板を誇らしげに掲げた秋田屋。午後5時にはもう満席という大人気のもつ焼き屋。立ち飲み客も多く、店の回りも人だらけ。10時の閉店を迎える頃、やっとテーブルが空き始めました。
2013-06-28
番外編:東京出張のひとコマ
2013-06-26
尾賀商店(滋賀県近江八幡市) 好きこそものの上手なれ
近江八幡はいくつもの顔を持つ町です。
行くところによって歴史の香り、学業の香り、商いの香り、基督教の香り、仏の香り、水の香り、土の香り。そうかと思えば、近江牛のすき焼きの香りまでしてきます。
そんな摩訶不思議タウン近江八幡にあってアートの香りを漂わせるのは尾賀商店です。
尾賀商店URL=http://oga-showten.com/index.html
2013-06-23
伊根(京都府伊根町) 日経おとなのOFFを読んで
どこかの雑誌、どこかのテレビ局が、毎年のように伊根を取り上げます。「伊根なんて、他がやってしまった後じゃないか」とはならずに、「伊根ならうちもやってみよう」とGOサインが出るんでしょうね。伊根にはメディア魂をくすぐる何かがあるから。そう思ってよさそうです。
今回は、「日経おとなのOFF」7月号が伊根を書いていました。
2013-06-18
古株牧場(滋賀県竜王町) おいしい湖華舞・コスパのびわこ
いやあ、暑い、暑い。
しぼりたて牛乳という看板を見つけて、暑い日に冷たい牛乳もええなと、ちょっと立ち寄ってみることにしました。
名神高速道路の竜王インターから5分ほどの場所に、古株牧場がありました。古株は、ふるかぶじゃないです、こかぶです。
2013-06-13
善水寺(滋賀県湖南市) 天台密教仏殿のあるべき姿を伝える国宝
今日は雲がきれい。写真撮ってるの?
草津のステラおばさんからこんなメールが来ました。
たしかに、空だけでブログになりそうな日です。
しかし、空だけがネタでは芸がなさすぎると思いまして、通り道で見つけたお寺に立ち寄ってみました。
滋賀県湖南市岩根の国宝善水寺(ぜんすいじ)。由緒正しき天台密教仏殿の茅葺屋根に太陽の光が照りつけています。真夏の暑さと青紅葉の新緑が、この季節に正しいのは俺かお前かと、互いに相手の出方をうかがっているようでした。
2013-06-11
菊水飴(滋賀県長浜市余呉町) 昔ながらの水飴、中味は麦芽糖
賤ケ岳合戦で知られる余呉町は、かつての北国街道沿いに位置します。
北国街道は滋賀県米原から新潟県直江津を結ぶ長い道ですが、余呉町だけにスポットを当てれば、近江側の北国街道最北集落であり、峠を越えればそこが越前という国境でした。宿場は隣接する木ノ本にありましたので、おそらく余呉は通過地点だったと思います。それと同時に、真言宗・菅山寺の門前町でもありました。
昔の旅人もふとここに立ち寄り、水飴を買い求めたことでしょう。北国街道当時の道幅そのままの道路に面して、菊水飴本舗があります。
2013-06-09
マコちゃんスズキ:野菜の甘みだ、パプリカソース
マコちゃんスズキの2日目は、グリル(赤ピーマンソース)とアクアパッツアにして食べました。
パプリカソースがえらくおいしかったので、みなさんにもぜひお伝えしたくて(ご存知でしたら余計なお世話ですんません)。
2013-06-08
出石(兵庫県豊岡市):川崎尚之助に誘われて
みなさん、NHK大河ドラマ「八重の桜」を視てますか?
視聴率がパッとしないそうです。一説によれば、史実に忠実であろうとする余りにドラマが分かりづらくなっているからだといいます。焦点が八重や会津に合っておらず、歴史を追いたいがために物語の舞台があちこちに移動しすぎる。1週見逃すだけで筋道についていけななくなると、その説は分析します。
私は、逆に歴史の進行に重きを置いたドラマ展開が好きで視ています。会津側に立った歴史描写は半藤一利氏の「幕末史」とも重複します。いやでも薩長のうす汚さが目立ち、そこを小気味よく感じています。
今日は、八重の夫であった川崎尚之助の出身地出石を、ちょっとだけ散策してきました。兵庫県豊岡市出石町(いずしちょう)です。そうです、ご賢察の通り、皿蕎麦で有名なあの出石町のことに相違ありません。
2013-06-07
番外編:同期会(大阪市かっぱ横丁) 介護談義で盛り上がる
F51同期会だと連絡がきまして、梅田のかっぱ横丁へ出かけてまいりました。F51といいますのは、フジサワ薬品工業株式会社昭和51年入社という意味です。
フジサワ薬品工業はとっくに消滅し、いまはアステラス薬品になりました。この年齢を迎えるまでにみんな仕事も居場所もバラバラになりました。そんな変化にもかかわらず、生きてるだけでオッケーの絆がいまも続いています。