2014-06-07

守山ほたるパーク&ウォーク(滋賀県守山市) ああ、ほんまに考えさせられました

20140601-IMG_6141市内の旧中山道。守山は中山道の宿場町だった。歴史とは不可思議な遺伝子で、時を経て暮らしが変わっても旧街道筋独特のにおいは消えない。対外試合の朝なのか、ソフトボール部の隊列が自転車をこいでいた。

 ホタルは夜ですが、私はもの好きなのか、飛翔スポットの昼の姿も見たくなりました。いったいどんな場所で光っているのでしょうか。

東門院と守善寺


20140601-IMG_6076東門院の仁王門。室町時代の建造。東門は、比叡山延暦寺の東側の門という意味。延暦寺からは直線距離にして12kmも離れている。ご住職から教わった話を過大に解釈すると、この門の内側は延暦寺に入ったも同然ということらしい。

20140601-IMG_6086東門院境内。この細流でホタルが光る。暗い境内にホタルが飛んでいると人魂like。おっさんが立っていると仏像like。ホタルの数は少ない。

20140603-IMG_6466善寺。時宗のお寺。本物の門構えはこの写真よりもうんと端正。

20140603-IMG_6465守善寺前の流れ。名前は金森川。上流から川に沿って歩いてみると、ここに来た途端にホタルが飛んでいる。同じ川なのにそんな違いが生まれるのはなせだろう。

20140603-IMG_6512守善寺前のホタルに集まった人たち。月曜日の夜。シャッターを10秒開けていてもホタルがほとんど写らないのだから、人の数のほうが多いかもしれない。


 私は、いままで守山ほたるパーク&ウォークを知らなくて、今年初めて見に行きました。

 東門院の山門をくぐった途端にドキッとしました。
 え?人魂?
 このお寺の境内にホタルが飛んでいるとは思っていなかったからです。

 東門院の境内の脇には細い流れがあって、そこにわずかながらもホタルがいました。夜のお寺でホタルを見るのは生まれて初めての経験でもあり、数の少なさに不満を感じませんでした。

 守善寺は、東門院の山門を出て、泉町ふるさと会館横の路地を歩くことわずか30歩でした。

 東門院は境内のなかのホタルでしたが、守善寺は門前のホタルです。飛翔数がさほど多くない割には人気のあるスポットらしくて、平日にもかかわらず親子連れやカップルが水辺にしゃがんでいました。
人気の理由は、ホタルまでの距離が近いことに加えて、流れがなんともいえず端正な趣を漂わせているからでしょう。
 水辺の道は路地の延長で狭く、見物客のすぐ背後は民家です。守山ほたるパーク&ウォークの期間中、このあたりに住む方々は表に面した照明をつけないようにしてホタル鑑賞を助けているそうです。

東門院 URL http://www.toumonin.com/keidai.html


吉川川の土橋(どばし)


20140603-IMG_6409吉川川土橋。この道は狭くて一方通行。しかし交通量はそこそこあって、何秒おきかに車が通る。橋の上からのホタル見物には向いていないと思った。

20140603-IMG_6406土橋下流。薄汚れた流れながらもホタルの発生数はそこそこ。コンクリート護岸で川沿いには一定間隔で街灯が並ぶ。こんなとこでホタルを見る情けなさと、こんなとこでも見られる驚きが交錯。

20140601-IMG_6131駅前通りのアーチ。MORIYAMA GONZA STREETの下にはホタルを象った飾り。東門院から歩いてきてこの守山銀座西交差点を渡った先が吉川川土橋。東門院から土橋の距離は100mもない。


 吉川川という川が、JR守山駅前のあまが池親水緑地から流れています。その川と中山道が交わるところに土橋(どばし)という名の小さな橋が架かっています。旅人たちが中山道を徒歩や馬で往来した時代、この橋の畔には道路を修復する土が常に置いてあったそうで、それが土橋という名の由来だといいます。

 東門院を起点にすれば、商店街のアーチがかかる守山銀座西交差点を渡ってすぐのところでした。

 百聞は一見にしかずと言いますか、ここは守山のホタルの実態を如実に言い表すスポットでした。

 なんとなく薄汚れた川。川沿いに並ぶ街灯。コンクリート護岸。その護岸にわずかに根付く草。
 ほたるの森資料館にはホタルが喜ぶ河川環境を説明するポスターが貼ってありましたが、そこからはほど遠い姿。

 川らしさを失った姿は人間生活の反映です。人間生活の都合に合わせて改修された川です。人間が望む川をホタルは望みませんでした。だから激減しました。そんな川にいままた戻ってこいという。

 復活する義理ありますか? 絶滅という結果でホタルが人間をあざ笑っても、私たちは文句を言えない立場です。
 しかし、私の目の前の川では、現にホタルが光っています。
 言葉にできない割り切れなさ。そして、ため息。
 保護ってなんやねん?

 自治会の方々が川掃除や草刈りなどのボランティア活動に汗を流し、行政は川が枯れることのないように水を流しています。ホタル復活を願う人たちの熱意ををけなすつもりは毛頭ありません。ただ、その方々も、いまホタルの発光を見ている自分も、ホタルの適応力にすがりつくばかりの無力さです。
 自覚したくなかった現実を自覚してしまったということなのでしょうか。後味の悪さが残りました。

 でも、それと同時に、「こっちの水は甘いぞ、あっちの水は苦いぞ」は本当にあるのだなと思いました。
 守山市内に私のよく行く喫茶店があって、そこのママは75歳くらいです。子供時代にはいくらでもホタルがいたとのことです。川もいまみたいにコンクリートではなかったそうで、魚も捕りやすかったといいます。
 しかし、川の岸辺がいくらホタル向きでも、そういう川が苦い水でどんどん埋め尽くされていけばホタルはもう棲めません。実際、守山からホタルがどんどん消えていきました。その時代背景を考慮すると、苦い水を作り出したのは農薬と生活排水だったと推理できます。

 吉川川のような人間生活チョー反映型の河川でもホタルが現に復活するという事実は、河川の地形や植生もさながらまず甘い水を普通に流してみろというホタルからのメッセージのように思えます。

三津川河川公園

 

20140601-IMG_6104三津川河川公園。カーナビはこの公園を知らなかった。地図にも記されていなかった。川が3本に分かれ並走している。

20140601-IMG_6099川が3本に分かれているのは、東門院下流部の水門で三分されているから。江戸時代、水利権争いを収める策として人工的に川を三分した名残り。

20140601-IMG_6100江戸時代の水争いのありさまをいまに伝える。

20140601-IMG_6111川の分離帯には泉町自治会の手で様々な花や木が植えられている。


 守善寺や東門院では乏しかった金森川の水量が、三津川になるや否やぐっと増えます。東門院下流で揚水ポンプを使って地下水を汲み上げているからです。

 ところで、植栽づくめのこの川、ホタル河川としてオーバーデコレーションではないのかと思いました。
 ただし、この植栽は、ホタルのためというよりも、河川公園の景観をよくする目的です。この美観は泉町自治会のボランティア活動によって維持されています。ここをホタル飛翔スポットだけで云々するのは的確じゃないと思います。

 三津川には水争いの歴史が宿っています。江戸時代、農民たちの水争いを収めるために金森川が人工的に三分されました。水争いがなくなった現在も、モニュメントとして川は3本のまま流れています。

 農民が水争いに明け暮れたのは川がそれだけ宝物だったからで、流れを停滞させないように村人総出で川ざらえを行いました。その現代バージョンとでもいうのか、泉町自治会のメンバーが力を合わせる三津川の景観管理は「川普請」とも呼ばれ、市内でも屈指の活動内容だと聞きます。市が河川公園を造成し自治会が管理を受け持つという役割分担がうまく機能している例だと、専門家が高く評価しています。

 私が見た夜は残念ながらホタルが少なかったのですが、部活帰りの高校生、ジョギングやウォーキングの人、自転車をこぐ人などが、川の方向にちらりちらりと目をやりながら通り過ぎていきました。「あ、ここのホタルはこういう見方でいいのか」と、泉町自治会の方々の真意は知らないまま、自分なりに納得しました。

泉町自治会URL http://www.lake-biwa.net/moriyama-izumi/

あまが池親水緑地


20140603-IMG_6382あまが池親水緑地は守山小学校と守山幼稚園に隣接。

20140603-IMG_6386川の流れる広場といった感じ。ここから150mほど下流が土橋。

 JR守山駅西口から300~400m。守山小学校と守山幼稚園に隣接しています。川の向こう側では幼稚園児たちがお外遊びの時間でした。

 ここの夜の様子はまったく知りません。上述の吉川土橋と同じ川で土橋の150mほど上流になります。土橋あたりに比べると岸辺の作り方が自然河川に近く、ホタルには好条件かと思います。

 守山ほたるパーク&ウォークは歩き詰めのイベントです。散策スポットのうち座ってのんびりホタルを見られる場所といえばここくらいです。ここがどこよりもホタルの多い場所になればお年寄りにも楽しめるパーク&ウォークになることでしょう。

あまが池プラザURL http://www.amg-p.jp/



20140603-IMG_6469中山道沿いの「餅伊」ではほたるだんごが店先に並んでいた。守山のホタルが本当に乱舞していた頃から「餅伊」のほたるだんごは名物だったそうだ。店に確かめたわけではないが、復刻版らしい。

20140603-IMG_6451皇室にホタルを献上するために出発する一団。守山蛍は明治43年から昭和13年まで皇室に献上されていた。献上ホタルを集めていた守山小学校の女子児童が野ツボにはまるという事故まで起きたらしい。この写真は中山道街道文化交流館の2階に展示してあった。中山道街道交流文化館URL http://www.rekishikaido.gr.jp/biwakofukei/report/moriyama0809.html

20140606-_DSC3293金森地区のホタル。守山市はすべての河川を保護区域にしている。パーク&ウォークの散策コースに入っていないところでも飛ぶ。逆に散策コース外のほうがよく飛んでいるかもしれない。足で探して、地元の人から教わって、飛翔スポットにたどりついた。




目田川河川公園


20140601-IMG_6149目田川河川公園。流れは両側を野草に囲まれ、いかにもホタルが飛びそうなおももち。パーク&ウォークの期間中、岸辺の街灯は黒いネットで覆われ、ホタルへの悪影響が最小限に抑えられている。

20140601-IMG_6184県立成人病センターの高いビルが見える。手前のかいつぶりハウスは、川側の照明をできるだけ小さくしてホタル鑑賞を助けてくれるそうだ。

20140601-IMG_6193目田川河川公園には植物や野鳥も豊富。

 滋賀県立成人病センターや守山市立図書館をランドマークにできる場所で、町中の細かな飛翔スポットよりも分かりやすいといえるかもしれません。

 ここは、NPO法人びわこ豊穣の郷が手がけた人工河川です。人工河川といってもいちから流れを作ったわけではなくて、自然河川の目田川を土台にして、魚やホタルの暮らしやすい環境を作り上げました。この活動は第14回日本水大賞審査部会特別賞に選ばれました。川作りのレポートが、目田川を活かした自然体験学習の推進と 地域川づくりの展開というPDFでアップロードされています。

 吉川川土橋の痛いホタルたちを見た後でここに来ますと、昔の川の姿に出会った気持ちになってほっとします。里川はやはりこのようでなくてはと思ういっぽう、人工的に生み出さなければこんな川がもうないのかという苦い思いも感じます。

 川の見かけがいい割には飛翔数がもの足りないというのが正直な感想です。何度行っても必ず一定の数が飛んでいますが、でも、この場所のホタル包容力があの程度だとは思えません。乱舞に近いものがあってもよさそうなもんです。生息環境を整えたはずでもそうはうまくいかない点で、自然相手の難しさを教わった気がします。

 カメラマンも多く、そしてカップルの見物も多い場所です。川のほとりをふたつのシルエットが寄り添って歩いていきます。ご承知の通り、ホタルは繁殖活動のために発光していますが、「彼らもホタルを見た後は繁殖活動でしょうか」とこのブログに書くつもりで眺めていました。

びわこ豊穣の郷URL http://www.lake-biwa.net/akanoi/


守山市ほたるの森資料館


20140603-IMG_6489守山市ほたるの森資料館。火曜日は休館日だった。翌日もう一度訪れて、展示資料を見たり、館員の方からいろいろな話を聞いた。

20140603-IMG_6481運動公園内の休養地の一部がホタルの人工河川になっている。木道によって暗がりでの歩きやすさを確保。

20140603-IMG_6476湧いたままの地下水を用いるなどホタルのための環境整備は抜群のはずだが、自然繁殖がまだまだ進んでいないという。木が茂りすぎても日光が不足する、水がきれいすぎても水生苔類の肥料分が不足するなどで、ホタルが繁殖しやすい里川そのままを再現するのは至難の業らしい。


 守山市立運動公園内、守山市民ホール側に位置します。

 ほたるの森資料館の増殖研究フィールドとして、ホタルの人工放流が行われています。ホタルのことを考えて作ったフィールドですが、残念ながら「すごい!」といえるほどの飛翔数ではありませんでした。私の横にいた立命館大学の学生さんが、どんなところかと思って来てみたけれど、湖西で見たホタルのほうがはるかにスゴかったとこぼしていました。

 まあ、いまのところはしかたのないことです。守山のホタル増殖はいわばハゲてしまった頭にもう一度毛を生やすくらいの難しさなんだと思います。守山のホタルの運命に「蛍の光」が流れませんようにとみんなで祈りましょう。

守山ほたるの森資料館URL http://www.lake-biwa.net/hotarunomori/


守山のホタルが語りかけること


 守山市立図書館で昔の守山市のことを調べました。さも見てきたように書くと以下のようになります。

 大正から昭和の守山では、戦時中を除いて、蛍祭りが開催されていました。祭りの期間中、日没後の東海道線は京都・大阪からの見物客で満員でした。
 花火を合図に、盆踊りのような櫓の上から10万匹ものホタルを放つというイベントもありました。集まった人たちは菜種殻を空中に振りつつ放たれたホタルを捕まえました。
 商店の軒先には500匹ほどのホタルを入れた虫籠が吊り下げられていました。その明るさが商店街を不夜城に変えました。 

 滋賀大学環境総合センター客員教授の柏尾珠紀先生は、「地域史から読み解く地域の環境再生―滋賀県守山市の調査より―」という論文のなかで、以下のように述べています。http://rcse.edu.shiga-u.ac.jp/pdf/nenpo10-1-2013/kashio_nenpo10-2013.pdf

夏期にはホタルが乱舞しており、ホタルそのものが一大商品であった。商店街の記録には、1877年頃からすでに観光客へ土産物としてホタルを渡していたことが記されている 。1892年頃になると、縁日でホタルを販売し始めたとある。1900年頃には、ホタルを専門に扱うホタル問屋の出現でホタル商売が本格化した。いくら捕獲しても湧いてきたといわれたほどのホタルであったと語り継がれている。


 しかし、ツケが終戦後にきました。戦前まであれほど守山を盛り上げていたホタルが目に見えて減っていったそうです。
 図書館で読んだ「守山市誌」は、昭和26年(1951年)の蛍祭りはホタルなしのまま実施されたと書いています。昭和28(1953年)年のある新聞記事は、ホタル激減で蛍祭りの継続が危ういと伝えています。昭和30年(1955年)あたりのどこかでホタルはほぼ絶滅状態になったと目されています。
 その時期にほぼ壊滅状態になったことは、昭和31年(1956年)の天然記念物指定解除からもうかがい知ることができます(大正13年(1924年)に天然記念物指定を受けていました)。

 あれだけいたホタルがほぼ絶滅した原因はいろいろ挙げられています。明治・大正・昭和と続いた乱獲、農薬や工業排水や生活排水、下水道普及の後れ、農業最優先の水利がもたらした小河川の流量不安定化、コンクリート護岸を用いた河川改修、ホタルの繁殖行動には明るすぎる夜・・・etc.

 ただ、まあ、あれやこれやが重なっていつの間にかいなくなったというのが本当のところだと思います。

 守山は、琵琶湖東岸の沖積平野に発達した町です。その平野は、野洲川という滋賀県内一の河川が生み出した扇状地です。地下水が豊富で、湧き出た水がいく筋もの小河川となって流れる自然環境でした。逆に、野洲川は何度も氾濫を起こして、守山に大きな水害をもたらしました。人間にとってはメリットだったりデメリットだったりする自然事象ですが、ホタルはただ自然の掟に従っていただけです。それが湧くように自生するためのあり方でした。

 その自然の仕組みを壊した結果が、いまの守山です。扇状地のメリットもデメリットも、人の生活向けにアレンジしてきました。ホタルは、生きやすいアレンジなら生き延び、生きにくいアレンジなら死ぬだけでした。

 いや、なにも守山だけのことではなくて、人間生活がそういうものです。数多い実例のひとつが守山のホタルだということにすぎません。ホタルの住みよい環境は人間にも住みよい環境なんだと誰かが言い出すまでに長い年月が必要でした。

 しかし、済んでしまったことです。過去に学び、これからどうするかを考えるしかありません。そして、守山は、少なくともホタルに関しては、これからどうするかの一歩目を踏み出し始めているのだと思います。

 金森地区でホタルを見ながら歩いていたら、孫を連れたおじいちゃんに出会いました。せっかく復活した蛍なのに街灯がついてからまた減ったそうです。しかし、街灯がつく前の道は暗がりでした。その暗がりは孫を連れてホタルを見に来られる道だったかどうか・・・。

 街灯か?
 ホタルか?
 いや、そんなこといわれても・・・

 答に窮するそんな選択に「えいやっ!」と結論を出しながら社会を進めていくしかありません。

 乱舞する天然ホタルに取り囲まれる体験だけでは自分がここまで考えなかっただろうと思います。瀬戸際の守山蛍にはそんな意趣がありました。

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