道路は崖の上を走っている。断崖のないわずかな浜地に人の営みがある(蒲入)
丹後半島、伊根の奥、蒲入(かまにゅう)のあたり、桜が咲いたら海との対比が美しい。
丹後にも大きな地震はありました。
1927年(昭和2年)、北丹後地震。
マグニチュード7.3。最大震度6。震源地近くでは震度7という推定値もあります。活断層という地学用語がいまはきわめて一般的になりましたが、実は北丹後地震の研究結果をきっかけに使われ始めたのだといわれています。
北丹後地震は内陸型でしたので津波被害はありませんでした。それでも、昔の家屋のことでもあり崩壊が激しかったといいます。その上、地震発生が夕食時に重なった。多くの火災が起こってそれで命をなくした住民も多数だと聞きます。とくに峰山町がひどかったと、お年寄りたちから聞きました。峰山町の犠牲者数は1049人。それを筆頭に丹後全体で3000人近くの方が亡くなったと記録されています。
その歴史を知るにつけ、どうかこれからずっと何もありませんようにとの祈りが深まります。話に聞いたとおり、蒲入まで来ると桜並木が見えるようになりました。強い風邪にさらされ続けてきたせいか、低く広く枝を張り出しています。空と海を背景に置きつつ枝振りに目をやりますと、ここに満開の桜ならばたしかに素晴らしいはずだとわかります。
「桜なら1週間後に来てみてください」と、道を行くお年寄りが言います。 今年は天候不順で桜が遅いそうです。
そして、やはりここでも東北・関東大震災の話題になりました。きっと、被災地でも、乳母車を押しながらでないと歩けない老人がたくさんいたはずです。「もう日本全国、どこにも絶対に来て欲しくないですよね」としか言いようがありませんでした。今日の静かな海を見れば津波なんて永遠に起きそうにありません。
それはいま被災地になっている海を見たときも同じでした。岩手の安家川へヤマメ釣りに遠征したときも、気仙沼や石巻に妻お龍とドライブしたときも、北茨城から仙台まで国道6号線を走ったときも。ここにいつまでもいたい。どこへ行ってもそんな景色でした。
ブランコの女の子の写真を撮らせてもらってから歩いていると、今度は男の子たちが写真を撮ってくれと言ってきました。そんな撮ってくれといわれるほどのもんではないのですが、「写真撮ってもらった、ラッキー」と喜んでくれて。桜が咲いていなくてもここに来てみてよかった。
メバルをさばいている老漁師にも遭いました。春告魚と書いてメバルと読むように、「今年初めて捕れたんだ」とのことでした。実にうまそうなメバルでした。
春の風は容赦がないですね。暖かいと言わせてたまるかといったいじわるさで体温を奪っていきます。桜はあと何日でしょうか。 あまり目立ちたくないような顔をしながらスイセンが花開いていました。グラジオラスのような長女よりスイセンのような次女を選んだ男の話を思い出しました。
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