10月7・8・9日の3日間、宮津市では「和火(やわらび)」というイベントが開催されてます。その初日に行ってきました。
【寺町は和火向き】
宮津は海の町なのか、山の町なのか・・・
宮津湾から直線距離でわずか500m。もう山裾です。海に立ってくるりと振り向けば、すぐそこに山が迫っています。
これから山が始まろうとするあたり、金屋谷・小川の地域に、12の寺が集まっています。「寺町」と呼ばれる界隈です。
道はいずれも狭く、家屋がぎっしり建ち並んでいます。もちろん車も走りますが、楽に走れるとは誰もいわないでしょう。歩くにふさわしい路地なのです。
寺町のこの地理的条件が和火の美しさと楽しさ演出に欠かせないのだと、実際に歩いてみてよくわかりました。
短い距離のうちにいくつも路地が交差しあう寺町。視界に入る路地という路地の両側に光が並びます。寺と民家のほかにはとくに何もない。道端の光があるだけです。
四つ辻に来るたび、クロスに交わる和火の中心に自分が立つことになります。曲がってもみたい。その好奇心に従うのも楽しい。その好奇心を抑えるのも楽しい。
自分が歩いていない場所の光にも目をやりながら次の寺へと向かいます。歩かなかった路地の光に心を残しながら、先へと続く光に誘われて歩を進めます。と、あるひとつの辻を抜けたと同時に、光と人影が固まった場所が少し向こうに見えてきました。そこが、目指す寺です。
秋の夜。気温13度。心なしか耳が寒さを感じます。
雲に月、地に光。俳諧のようなイベント。
そして、寺から寺へと自分は徘徊。
心が、静かに静かに、はしゃいでいます。
【地元の尽力、人力で火が並ぶ】
和火のひとつひとつは、ペットボトル+カップ入りキャンドル+砂で作られています。
ペットボトルの底には、5cmほどの厚さで、砂が詰められています。安定性確保に加えて、キャンドルの火をある程度の高さで燃やす目的もあります。ペットボトルの底で燃やすよりも照射範囲が広がります。
同じ町内の班や組単位でしょうか、あるいは寺ごとの檀家単位でしょうか、6時頃からキャンドルに火を灯し始めます。腰をかがめ続けての作業がつらそうな年齢層の方ばかりですが、一個ずつ、一個ずつ、丁寧な火入れを繰り返します。
面倒な仕事でしょうが、それでも夕暮れ時から何かを始める嬉しさ。大人のなかに潜む子供心のなせるわざです。
大頂寺では、このペットボトル和火が、山門までの坂道全体に、全長100mほどでしょうか、ぎっしりと並びます。壮観です。この地区の小学生たちが裏方を務めたようです。すっかり火が入った後、子供たちがにぎやかな話し声を上げながら、その場を去っていきました。
ペットボトルではない和火もあります。
こちらは、斜めに切った竹を用いた和火。竹の内部には節がありますから、そこにキャンドルを置いてあります。周りが暗さを増しますと、斜めの切り口から漏れ出る光はさらに暖色系に輝き、幻想性をきわだたせます。
こちらは、丹後ちりめん工場の糸巻きを用いた和火。糸巻きの周囲に色糸を隙間なく巻き付けてあります。
【仏様もライブを楽しむ】
それぞれの寺のご住職は、本堂を開け放ちます。中へは自由に出入りできます。仏像、仏具が照明に輝きます。夜の本堂がこんなにも美しいものだとは、これまでなにも知らずに生きてきました。
本堂がアトラクション会場に変わる寺もあります。
経王寺では、和紗(かずさ:京都府出身の女性シンガーソングライター、23歳)のライブが行われていました。本堂の縁側をステージにして、ステージデザインは仏式。
和紗本人が、今夜のライブを早くもブログにしていました。清輝桜に宿泊している、焼き鯖寿司がめちゃうまいと書いてあります。料亭ひふみが、焼き鯖寿司を、大頂寺境内で販売していました。
和紗のライブ会場になった経王寺山門で、高校生二人が和火への支援金を募っていました。
「二人は宮高?」と尋ねたら、「いえ、海洋高校です」と言っていました。
旧三上家住宅でも音楽ライブがありました。
地元のフルート教室のメンバー6名で編成されたカルディアというグループでした。酒を仕込む場所だった土間がステージです。
旧三上家住宅の夜の庭がきれいでした。私は、観客席を離れて、この奥の間でひとり、かすかに流れてくるフルートの音色を聞いていました。
【さらに歩く】
和火の並ぶ路地を歩き、街角ウォッチングもかねながら、寺を回っていきます。
悟真寺では、ご近所のお年寄りたちが本堂の前に腰をかけて、おしゃべりを楽しんでいました。もちろん役割があって集まっているのですが、地元の方にもなにか有意義なイベントなんだろうと思えました。
毎年、ここに座って、どこかから流れてくる歌を聞いている。流れてくるのを聞いているだけだから、どこの寺でやっている歌なのかは知らない。
お年寄りのひとりがそう言いました。
聞こえていたのは、経王寺の和紗でした。
さすがに腹も減ってきます。
経王寺、本妙寺が隣り合わせに並ぶ場所には、カネマスの七輪焼きが野外店を出していました。アオリイカが焼き上がるところにいきあいました。300円です。
【見性寺の梅田慈弘住職】
数ある寺のなか、私は見性寺にいちばん長く留まりました。縁側に腰をかけてビールを飲んでいた人に話しかけたら、それがご住職の梅田慈弘さんでした。暗かったから、作務衣がジャージに見えたのです。
ご住職と記念写真。
見性寺は、与謝蕪村が3年間を過ごした寺です。梅田住職によりますと、正しくは近所の2階に居候して、そこをアトリエがわりとしていたそうです。
あるとき、檀家のひとりが、16歳の娘を連れて寺にやってきました。娘は名前をともといいました。檀家は、ともとの縁談話を見性寺住職にもってきたのです。
けれども、住職は、檀家のすすめる縁談を必至のパッチでことわりました。自分は無理ですが、近所に居候している自分の友だちはいかがでしょうか。ともは蕪村に引き合わされます。
蕪村はともをひと目で気に入ってしまいました。当時、蕪村は41歳。ともとの年齢差は25歳ですが、愛があれば年の差なんて。
蕪村はスケッチの旅にも必ずともを連れて行ったそうです。そんなある日、季節は真夏。加悦町の野田川をじゃぶじゃぶと歩いて渡る蕪村。惚れたともを背負っています。後ろに腕を回して掌を組み合わせ、ともの尻を支える。組んだ両の掌で草履を握りながら。
夏河を越すうれしさよ手に草履と、梅田住職が言葉を切ったとき、「うれしさよ」の五文字が私の腹にストンと落ちました。
そら、蕪村でなくても嬉しいわ。ご住職、ええ話をありがとうございます。
それを皮切りに、ご住職からは、蕪村の人間臭い側面をあれこれ聞かせてもらいました。
ご住職の向こう、床の間には、蕪村の文人画。なかに本物も混じっています。
ご住職が執筆なさった蕪村研究の別刷り文献を3種類もいただき、蕪村の句集もいただきました。
ご住職や、檀家の奥谷さんから教わった事柄は、また別の記事にしたいと思っています。
【宮津は火の町?】
午後9時。どこかの寺が鐘をつき始めます。鐘の音が、町に下りてきます。ひとつが下りたら次の音。そんな間隔で鳴ります。
それを合図に、町の人たちが和火を消し始めます。
日暮れで点灯、鐘で消灯。それが3日間繰り返されます。
宮津は海の町なのか、山の町なのか・・・
いや、火の町じゃないでしょうか。
7月は文殊堂出船祭り、金引の滝祭り。8月は天橋立「炎の架け橋」、燈籠流し、花火大会。10月は和火、ふゆ花火。
火で盛り上げる行事の多いこと。
和火には、露店など祭りっぽい娯楽性はありません。そちらは、丹後各地の神社が引き受けてくれます。和火と同じ週末に秋祭りが集中しています。
和火は秋の文化祭かな。そんな気がしました。
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