去年のこの季節、結婚式を挙げて幸せの頂点にいたある女性。
この5月、もうこの世にはいません。
4月15日に去りました。
卵巣癌、ステージⅣ。結婚式から8ヵ月後、昨年12月のことでした。見つかったときには他臓器に転移している状態でした。
化学療法(抗がん剤治療)の効果と副作用について主治医から説明を受けました。彼女は、化学療法を選びませんでした。痛み止め治療くらいはしても、あとはとくに何もしないで、成り行きに任せるほうを選びました。
どうせ助からない。それならば、化学療法の副作用でボロボロの肉体になりながら生命を引き延ばす価値はない。いままでどおりの日常を1日でも長く続けたい。彼女はそう考えました。
彼女の選択が妥当なのかどうか。化学療法で癌の病巣が縮小すればそれだけ夫婦の時間を稼げることになりはしないか。
よく分からなかった私は、何冊かの本を読みました。
とくに印象に残ったのは、「患者よガンと闘うな(著者:近藤誠)」という1冊でした。
その本によりますと、化学療法で死期を遅らせることはできそうでしたが、それと引き換えに副作用のダメージとも闘う必要がありそうでした。
何もしないときより6ヶ月間長く生きたとしても、そのために4ヶ月の病院生活を要するというパターンもあるようでした。
重い副作用で腎臓がダメになるなど、健康だったものまで奪われるケースもあるとのことでした。
なるほどなあ。本を読んで、彼女の決断を理解できたような気がしました。化学療法はやらないと書いてきた彼女に、この覚悟のメールを遺書だと思って大切にとっておくと、私は返信しました。
肉体が癌に殺されるのはもうしかたない。けれども、夫のためによりよく生きたいという願望までは殺されたくない。
新婚8ヶ月目の彼女ですから、おそらくそのように思ったのでしょう。
この結婚生活を短くとも幸せなものにしようと決意したのだと思います。仕事も続けていました。
彼女の友達が、4月13日にメールをしました。彼女から返信が来て、入院中だけれど調子がいいと書いてありました。
夫婦で病院の庭を散歩できたくらいだったそうです。
ところが、そこから容態が急変。2日後の15日に他界しました。
もう一度、ゴールデンウイークにメールを送ってみたそうですが、当然のことながら、返信はありませんでした。
ゴールデンウイークが明けて、その友達のところに彼女から電話がかかってきました。携帯のディスプレーには彼女の名前。
話せるんだ!
けれども、電話の声は男性でした。彼女の夫からの訃報でした。
彼女の携帯に登録された電話番号、メール送受信の内容。そんな形跡だけを頼りに、親しかっただろうと思われる相手に訃報を伝えているとのことでした。
夫は、やっと少しは何かをする気持ちになってきたそうです。彼女の死後、連休が明けるまで、ただぼんやりしているばかりだったとのこと。
彼女が死んでからも、その携帯は毎日鳴るそうです。彼女の母親が電話をかけてくるのだそうです。
彼女の告別式は、去年の結婚式と同じ日に重なりました。
私と一緒にいたかったのでしょうか?
夫はそう言ったそうです。
いや、それ以外になにもなかったと、私は思います。
この人と一緒にいようと決めて結婚したわけですから、一緒にいるために命を削った。
とてつもない不幸のなかにあって、もっとも幸せな生き方を目指したのだと、私は思います。
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