2012-10-15

Randy Weston コンサート(上賀茂神社)


 秋の夜長の楽しみ方はいろいろ。
 今夜は上賀茂神社まで足を伸ばして、Randy Weston(ピアノ)とBilly Harper(サックス)のライブコンサートを楽しんできました。
 Randy Weston Billy Harper African Rhythms Duo Concert at Kamigamo Shrine Kyotoというイベントです。


【身長2m超、年齢86歳のランディ】


 ランディ・ウェストン(Randy Weston)の身長は2mを超えます。若い頃はバスケットボール選手だと言えば、すんなり信じる人がいるでしょう。腕を広げてピアノのいちばん低い音といちばん高い音を同時に弾けると言えば、それも信じてもらえそうです。

 ランディの両親はジャマイカ出身だそうです。ジャマイカといえば金メダリストのウサイン・ボルトです。あのボルトが195cmです。ランディはそれよりも5cm以上大きいことになります。

 その身長で、86歳です。背中がまったく曲がっていません。いわば2mを超えるおじいさんですが、「かくしゃくたる」を用いても形容の言葉が足りません。
 誰もがまず体格に驚き、年齢を思い出して再び驚き、演奏が始まればあまりにも力強くて、みたび驚きます。要するにバリバリの現役なのです。

 1926年6月、ランディはニューヨークのブルックリンに生まれました。少年時代にまずクラシック・ピアノを勉強し、1940年代にはジャズ・ミュージシャンとの共演を始め、1954年には初のソロアルバムを出しています。

 「ピアノの前に座ったら齢は関係ないなあ。すごい音やなあ」と、このコンサートのスタッフたちが語り合っています。

 「2日前までパリにおったんや。そこからニューヨークに2日間だけ帰って、今日が上賀茂やんか。えらい体力やで」
 「86歳とは思えへんなあ」
 「思えへん、思えへん」
 「ビリーのおっさんには困ったわ。飛行機の時間を間違いよってなあ。午前と午後をな。二回も迎えに行くことになってなあ」

 ビリーというのは、いうまでもなくサックスのビリー・ハーパー(Billy Harper)のことです。64歳ですからボケて飛行機に乗り遅れたわけではないと思います。マネージャーなどを雇わず、個人で好きに動いているのでしょう。

 こんな裏話が私の耳に入ってくるのも、今夜のスタッフが出町柳のジャズ喫茶「Lushlife」の常連さんを主体にした顔ぶれだからです。誰もがボランティアでこのコンサートを支えています。



【それはジャパニーズ・マジックで始まった】


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 ランディが初めて上賀茂神社に来たのは、2001年の秋のことでした。それがスタッフたちのボランティア活動の始まりでした。

 会場に上賀茂神社の庁ノ舎(ちょうのや)を選んだものの、重要文化財とは名ばかりで、物置小屋状態だったといいます。

 コンサートができるように庁ノ舎をきれいに片付け、コンサートが終わったら前よりもきれいにして返すこと。これがスタッフたちの使命でした。ランディの初コンサートが、庁ノ舎を一般イベントに借りる初のケースでもありました。(出町柳日記=Lushlifeのブログから。http://lushlifechaki.blogspot.jp/)

 2001年、ランディの初ライブは観客のすべてを魅了しました。演奏を終えたランディは、素晴らしいプレイに自分自身が驚愕し、「ジャパニーズ・マジックだ」と大きな腕を広げました。
 庁の舎はかつて台所に使われていました。かつてのランディは料理人でした。庁ノ舎という魔法のレストランが天才料理人を迎えたかのごとく、神がかり的な演奏だったといいます。

 以来、ランディ3回、ダラー・ブランド3回、11年間に計6回のライブを庁ノ舎で開催してきました。

 毎回、広い庁の舎をみんなで雑巾がけするところから始まるんですよと、Lushlifeの哲さん(マスター)が言います。
 拭き掃除の終わった板の間に180枚ほどの座布団を敷き、正座できない年齢層のために20席ほどの椅子を並べ、整理員、チケット係、飲み物販売、CD販売、誘導係、会場係、照明係などの役割に分かれ・・・
 コンサート企画からミュージシャンとの連絡・交渉まで自分たちでこなしています。

 このコンサートを初めて体験した私は、こんな感激をたったの7千円で味あわせてもらった有難さを切に感じました。
 そのコストパフォーマンスも、多くの人たちがボランティアで運営に携わっているおかげです。自分たちが聞きたい音楽をより多くの人にも聞かせたいとの思いで開催されるイベントだからです。

 Lushlifeの事情に詳しくない私には、常連客たちのこうした情熱をどう語っていいのか、皆目見当もつきません。なぜここまでLushlifeに対して親身になれるのか。なぜこんなにボランティア活動に入り込めるのか。

 ふと思いつくのは、70年代フォークの岡林信康、高石ともやなどです。京都独特の熱さが早い時期から彼らを支えました。ええもんを京都からという思いがありました。
 それに似た純粋な熱さをLushlifeの常連さんたちにも感じます。
 




【Amazingと言い去ったジル】


 「ランディは昨年の東日本大震災の被害に大変心を痛め、いち早く何かできないかと申し出てくれました」
 コンサート案内のチラシにそう書いてあります。

 ランディにここまで特別な思い入れをもたせるきっかけになった2001年のライブ。その陰にひとりの外国人女性がいます。イギリス人のジル・メラーさんです。彼女はかつて京都に住み、Lushlifeに通っていました。

 前出の「出町柳日記」は、ジルさんについて次のように言っています。

 「イギリスのBBC放送局に勤めていた事もあり多くの有名なジャズミュージシャン(ガレスピーやマリガン等等)の友人も多く、2001年彼女の紹介で初めて京都上賀茂神社のRandy Westonのコンサートが実現する。
2003年のAbdullah Ibrahim(ダラー・ブランド)も彼女の紹介からだ。以来RandyもAbdullahも各3回のコンサートを上賀茂神社で行ってきた。これも元はといえば彼女あっての実現なのだ」

 日本のために何かをしたいと申し出たランディ。その「思いを形にした」のが、今回の上賀茂神社ライブだと主催者がいいます。

 ランディの思いに呼応したジルさんが、南フランスからやってきました。首に下げたスタッフ用の名札に「Gill」という文字が見えます。それがなければ、ぱっと見には上賀茂あたりの上品な奥様です。

 演奏後のランディは主催者の人たちと抱き合っていましたが、そのなかでもジルさんをいちばん長く抱きしめていました。ランディの大きな腕のなかから、Gillの名札が横にこぼれていました。

 コンサート後、喫煙所でたむろしていたスタッフにジルさんが笑顔で声をかけました。

 Amazing!

 Amazingの意味をいまきちんと調べましたら、「驚くべき、びっくりするような、すばらしい」となっています。
 ジルさんの気持ちは「いやあ、よかったねえ」といったところでしょうか。
 何か答えようとするスタッフたちを尻目にジルさんはスタスタと歩き去り、トイレに入ってしまいました。




【May you stay forever young】



 Amazingは、とくに後半でした。

 後半2曲目あたりから、ランディのインスピレーションが加速されました。アドリブが連続するなかに「A列車で行こう」を混入させる余裕も見せつつ、勢いがますますスピードを上げます。ランディ自身も止められない様子でした。

 ランディのソロパートが果てしなく続きそうなときは、ビリーがサックスのマウスピースにカバーをかけます。ランディの終わりを待つまでにリードが乾いてしまいそうだからでしょう。
 
 ランディに気づかれないようにそっとポケットに手を入れ、客席には「しかたないね」といったメッセージを視線で送りながら、すっとマウスピースにカバーをかけます。

 ビリーからランディへの敬意、そして、好きにやってもらうのがいちばんという意図。それは客席にも共通の思いです。

 前半のビリーは、時差ぼけなのか、大御所ランディに気遣いしすぎなのか、音も気合も息切れ気味でした。
 しかし、後半は違います。ランディの加速度に釣り込まれざるをえません。「こきりこ節」と「ソーラン節」をソロで吹いて客席を沸かせてからは、ビリーのスイッチも入りました。

 こうなると、客席と演奏者の間に垂れていた見えないカーテンが一気に落ちます。眠りかけていた客がもはや一睡もしておられないほどの緊張感が会場全体に広がっていきます。
 けれども、固唾を飲むこともできない緊張感ではなくて、全身で音に集中する心地よさが常に伴う緊張感です。
 庁ノ舎ごと日常から切り離されたような気分でした。幻覚誘発剤だと思いました。我を忘れたり我に返ったり、不思議な時間でした。

 Randyが弾けば、1台2000万円のピアノが、ときとして唸り、あるいは泣き、そして歌います。行方知らずのソロプレイをあれだけ長い時間続けるなんて、86歳の肉体を考えれば、超人の技です。ひとつひとつの鍵盤タッチがクリアーなだけに、まるでランディが寿命を削って音に換えているような気さえして、もったいなく思えます。

 客席総立ちでアンコールの拍手が鳴り止まぬなか、同級生の妻が言いました。「やめとこ。もう、気の毒やわあ」。
 彼女は鵜飼の鵜にすら同情してしまうほうです。

 上賀茂神社に来るたび、今回がもう最後か、今回はさすがに衰えを見せるかとみんなに思わせながら、そのたびにRandyはみんなの心配を吹き飛ばしてきたそうです。

 庁ノ舎を出て行くRandyはありったけのマフラーを何重にも首に巻いていました。齢相応の姿をそのとき初めて見ました。




【お好み焼き しんぶ】


 この日は、コンサートが始まるまでに夕食を済ませました。
 上賀茂神社前の「しんぶ」というお好み焼き屋です。
 昔ながらの店、昔ながらのレシピ、上賀茂神社の門前で長く続いてきた店の底力を知りました。


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