厄除神社から始まる一方通行の狭い道。古い福知山の風情を残す大好きな通り。各家庭とも玄関を開け放ち家財道具を表に積み上げていた。
私にとって福知山は人です。照れくさい言い方ですが、あの人たちがいるから福知山が好き。そういう町です。
その福知山に、8月16日から17日にかけて、未曾有の大雨。そして市街地が未曾有の冠水。テレビのニュースに次々と現れる見慣れた景色。
あの人のところはどうなんだろう。この人のところはどうなんだろう。心配ばかりつのる割には、気になる人たちの携帯番号も知らない自分。
宮津市に用事ができたのを機に、福知山に立ち寄りました。
小さな城下町に大きな雨
8月18日、土師宮町の家電店100萬ボルト前の冠水。親しい整形外科ドクターからLINEで送ってもらった。
小さな城下町に雨は容赦なく降り続きました。
8月16日から17日にかけて福知山に降った24時間雨量は、観測史上1位の303.5mm。大雨は市内を流れる弘法川や法川をあふれさせ、給食の味噌汁を鍋ごとひっくり返したような色に町が染まりました。
夜を徹して雷がすごかったと誰もが言います。あんな雷は生まれて初めてだと。すべての雷がどこかに落ちているのではないかというほどの音だったそうです。うるさかった、こわかった、眠れなかったと、これも異口同音。目に見えて水かさを増す市街地。前代未聞の雷鳴。
いっぽう私は、ニュース番組の少ない土・日だったこともあり、文字情報しか流さないテレビに苛立っていました。NHKは報道のたびに同じ内容を繰り返しています。5チャンネルのKBS京都は、頼りになるはずのローカル局なのに、こんなときでも通販番組ばかり。BBCびわこ放送、カイツブリのぬいぐるみを着た野洲のオッサンに至っては、どついたろかのひと言です。
行かねばなるまい、福知山
18日の月曜日、元の職場に電話しました。電話に出たのは美女ビビンバ。
みんな、どうしてる?
オフィスは4階で、そこが被害なしだったのは当然ですが、1階のエレベーターホールに水が入り込んでエレベーターが使えなくなったそうです。福山通運のおにいちゃんが階段で荷物を運び上げている。とてもタイヘンなんですとのこと。
福通さん(福山通運さん)がいちばん大変に聞こえるけど、福通さんタイヘンで済んだんならええやんか。
いえいえ、水が引いたエレベーターホールの泥をかき出すのに男の人たちは泥だらけでした。和田山のKちゃんまで来てくれたんですよ。
エレベーターホールといえば、私がプッキー広場と名付けた場所です。あの当時、女性浮浪者であるプッキーが毎朝早くからそこにいました。必ずと言っていいほど私たちの同僚であるYさんの出勤時間帯でした。
当時、Yさんはプッキーに怒っていました。プッキーがエレベーターホールでウンコしとるというのです。でも、泥で埋め尽くされたエレベーターホールを見たときには、プッキーのウンコ程度で怒れたあの日が愛おしくなったことでしょう。
プッキー広場と私が呼ぶエレベーターホールに入り込んだ水。8月18日、美女ビビンバからLINEで送られてきた。水というよりもゆるめに練った陶土のようだ。
そのYさんとは別に、もうひとりYさんがいます。こちらは会社にいるのが好きな男で、昼夜問わずオフィス滞在時間が長い。あの雷雨のなか、この夜も仕事をしていたら、知らぬ間に道路が濁流に姿を変えていました。ブラインドの隙間から窓の外を見下ろせば、隣のローソンの照明が明るい他は、ただ泥水。この夜景、尋常ではない。
押し寄せた水の深さはおぼつかないものの、くるぶし程度じゃないことくらい分かる。自宅はすぐ近くですが帰るのをあきらめたそうです。
その話を聞いて思いました。行かねばなるまい、福知山。
いや、テレビのレポーターがサンプラザ万助の浸水現場に立つ映像を見たときから、とにかく一刻も早く福知山に行きたい気持ちになっていたのです。この目で見ないことには、何をどれくらい心配していいのか見当もつきませんでした。
下に行くほど被害が大きい
水害に遭った福知山の姿を目にするのは初めてでした。
福知山では、明治40年~平成25年の106年間に17回の水害が記録されています。福知山はそれほど水害頻度の高い町です。
水害に苦しめられてきた福知山で仕事をしていたというのに、私のいる間には何もありませんでした。平成を代表する福知山の水害は2004年の台風23号と2013年の台風18号ですが、私の場合、ふたつの水害に挟まれたちょうど空白の期間を過ごしたことになります。
国道9号線から市内に入っていきました。いつものルートです。
「ほんまか?ここまでひどかったのか」と思う光景は食品スーパーの三つ丸ストアーから目立ち始めました。三つ丸の広い駐車場には従業員や業者関係の車両しかなくて、人はいずれも泥のついた服で動いていました。
平日の昼間から客を集めてきたパチンコ店G-Storyも「水害のためしばし休業」の看板を立てていました。あの頃しょちゅう立ち寄ったコンビニは、夜逃げでも迫れらたかのように店内の商品を引き揚げていました。
被害に遭った家庭や店舗から運び出された被害品の数々が歩道に積み上げられていました。膨れ上がったゴミ袋もあれば、中味を空にした箪笥類もあります。家電品やソファーもあります。みな一様に、泥水をハケで塗りつけてから乾かしたような汚れ方です。水の被害ですから、どの家財道具にも外観の壊れは見当たりません。それをゴミとして積み上げざるを得ない心境はいかばかりでしょうか。
入院中の友を見舞ったら病状が思いの他ひどかった。そういう気分でした。普段通りの生気を探したいのにやつれたところばかりが目についてしまう。やるせないという形容詞はこういうときに使うのだと知りました。運転席で赤信号を待っていると、乾いた泥で覆われた横断歩道を風が渡っていきました。小さなつむじ風のようにほこりが舞い上がりました。
私はお城通りと名付けられた町のメインストリートを走っていました。福知山城から市役所、駅、市民病院へと続くこの通り沿いの被害も決して小さくありませんが、しかし、それだけで半分泣きそうになっている自分は大間違いでした。
メインストリートを外れたお城の裏手一帯、堀と呼び慣わす地区では、「大丈夫」と言えそうな家があまり見当たりませんでした。細い道に入ると、被害品の山が断続的に現れます。何度も繰り返される同じ光景が冠水の広がりを物語っていました。
このあたりにも知り合いがいて、その人は家賃がそう高くないマンションの1階に住んでいます。あのあたりは安い賃貸物件が多く、その理由で住んでいる人が少なくありません。
駐車場にあったワンボックスの車は屋根まで沈みました。同じだけの水が部屋にも押し寄せ、買い換えたばかりのテレビを含めて、何もかもが使えなくなってしまいました。
同じ部屋に住み続けるにも、大家さんが修繕してくれるまでの間は仮住まいを余儀なくされます。それならいっそのこと新たなところに引っ越そうかと考えているそうですが、これだけの水害の後では無事だった物件がなかなか見つからないという状況です。水の来なかったところで物件探しをしたらと私は言ったのですが、そういうところは家賃が高すぎるとのことでした。
この話を聞いて思いましたが、今回の水害を通じて、市内の土地のよしあしがものすごく顕著になったんじゃないでしょうか。
分かりにくい場所にありながらも人気のパスタ店モルトヴォーノ・ピッコロ。その玄関先には、泥水で汚れた椅子やテーブルが並んでいました。カウンター席の椅子も見えました。この椅子は座れば足がつかないくらいの高さがありますが、どうやらその座面ぎりぎりまで水が来たようでした。
昭和小学校、厄除神社、市民野球場、問屋町、市民病院などがある福知山駅の北側一帯も大量の泥水にやられていました。福知山駅北口のけやき通りを中心線にして駅の北側一帯を東西に分けたとき、西側の冠水がとりわけ深かったといいます。
冠水が激しかったこの区域の真ん中を流れているのが弘法川です。「下(しも)のほうがもっとひどい」と駅周辺で聞いた私は、弘法川の下流方向へ車を走らせました。たしかに、下流に近づけば近づくほど被害の話題に生々しさが増していきました。そして、その生々しさの増加に比例するが如く、道路を覆う汚泥の量も増えていく印象でした。
テレビで何度か映し出されたカメラのキタムラもこの区域にあります。このあたりの水深をヘソまでだったと言う人もいれば首近くまであったと言う人もいます。車のマフラーに水が入って飲食店従業員が車内で死亡したというのも、キタムラに隣接する韓国料理店の駐車場だったと聞きました。
ポンプ機の水没で排水機能が停止したという和久市ポンプ場もこの区域の由良川沿いにあります。1時間の最大雨量値40mmを想定した設計構造の排水機場に50mmを超える雨水が流れ込み、ポンプが水をかぶって動かなくなったのだと、テレビに登場した市職員が説明していました。
排水機場のすぐ隣は厄除神社です。その名称にもかかわらず、神様は何も守ってくれませんでした。頼みの排水ポンプまでが壊れ、大雨の市街地にあふれる雨水を排泄できなくなりました。本来なら由良川に汲み出されるはずの水がポンプ機の故障で町なかにだぶつき、それが冠水被害の拡大につながったと見られています。
この区域にある大型店舗がまだまだ後片付けに苦慮するなかにあって、食品スーパーのにしやま荒河店が早くも営業を再開し、みんなを驚かせていました。聞くところによると、大雨直後のにしやまは泥水に取り囲まれ、売り場も浸水被害を受けていたそうです。
お城通り沿いの家財道具。乾かしているのか捨てたのか。ゴミでなければ回収不要の旨を明記すること、盗難に充分な注意を払うこと。この2点が市から伝えられている。
飲食店など7店舗が集まるゆらのガーデンは昨年の台風18号から2年連続の水害となった。去年の水害修復から1年と経っていない。建物自体は福知山まちづくり株式会社からのレンタル物件で、貸主が被害を修復する出店契約だそうだが、調度品や厨房設備はすべて自前で揃え直す必要があるらしい。
多くのゴミが引っ掛かった弘法川の橋。篠尾新町あたり。
氾濫の水が引いた弘法川。問屋町あたり。人ばかりか川までが疲れ果てている。
カメラのキタムラあたりではかなりの水深だったらしい。深夜3時まで働いていた飲食店従業員が車内で死亡したのはこの隣の韓国料理店駐車場だと聞いた。実際の仕事先と韓国料理店とは系列店だったらしい。
捨てられた家具のなかには、このような古い和箪笥や長持ちなども少なくなかった。この時代の家具をいま捨てるというのは、深刻な浸水被害を長い間にわたって受けなかったということか。この機会なら粗大ゴミ料金がかからないからついでに捨てたのだという見方もあった。
和久市のポンプ排水機場。ポンプが復旧していないのか、ポンプ車とホースを使って排水が続けられていた。
8月20日から早くも営業を再開したにしやま荒河(あらが)店。
微小な起伏が被害を分ける
なじみだった飲食店の様子が気になっていました。このブログに何度も登場した店の数々です。福知山を離れてからいろいろな場所でランチを食べてきて、やっぱり福知山のあそこがおいしかったと自信をもって言える店ばかりです。
びっくりしたのが蕎麦のわきもとでした。まるで何事もなかったかのように、いつも通りに暖簾を掲げていました。夏空の下で風を受け、暖簾がわずかに揺れていました。
大将、どうやった?
な~んとも、なかった。な~んにも、なかった。
頭に三角の布を巻いた大将は、といっても幽霊がおでこにくっつけているのとはまったく違う三角ですが、「な」の音を強調して答えました。
よかったあ。いや、安心したわ。そしたら、これ、いらんな。
紙袋で運んできた使い古しのタオルを大将に見せました。家にあるだけの古いタオルを、妻お龍が紙袋に詰めてくれたのです。
わきもとばかりか、その界隈がまったくの無傷でした。フレッシュサトー、竹下医院、松本皮膚科などが並ぶ道筋に泥をかぶった形跡はありません。天からの雨水は多量に降っても、地からの泥水は1ccたりとも来なかったのでしょう。大雨がちょうどいいシャワー代わりになったとでも言いたげに、そのあたりの景色が洗顔後のようにすっきりしていました。
奇跡の蕎麦屋わきもと。町中が水害に染まるなかにあって無傷。やっとまともに開いている店を見つけたと、水害の復旧にやってきた電気工事職人たちが入っていった。
この明暗を分けたのは、ふだんは体感できないほどのわずかな起伏だったそうです。
わきもとからほどない駅前の通りには水が流れていました。その通りと駅前で交差するけやき通りにも水がつき、なかでもルネス病院から郵便局にかけての100m余りがひどかったといいます。郵便局裏手はさらに深刻で、救助にボートを要するほどの水深だったそうです。
しかし、わきもとの場所からは、駅前に向かっても、けやき通りに向かっても、緩やかな下り坂になっているとのことでした。
普段、見てると、ずーっと、こう、微妙に下ってるのが分かる。
大将は、揃えた指先を前方に差し出しながら、そう言いました。
これと同じ傾向は市内のあちこちで観察できました。あのあたりがひどかった、このあたりはたいしたことなかったという話に基づいて現地に到着してみると、各戸毎の浸水の程度は決して一様ではありませんでした。ひどかったと聞いた地域にも被害が軽そうな家屋があり、たいしたことがないと聞いた地域にも被害の重そうな家屋がありました。
まさに微小な地形による相違でした。盛り土で土地をかさ上げしてあるだとか、隣に比べればこちらのほうが少し高いだとか、「え?それだけのことで?」と尋ね返したくなるような違いが浸水被害に大きな違いを生み出していました。周囲よりもわずかに高いだけで水は流れやすく、低いというだけで四方の水を一手に引き受けることになる。そう痛感しました。
なじみの飲食店は3勝2敗1分け
わきもとを離れた私は、たかた荘、おかげさま、ソレイユ、ランチハウス・リリー、あじ蔵と、さらに5軒を回りました。
営業への被害度合は2勝2敗1分。先のわきもとを不戦勝ということにすると、3勝2敗1分です。で、いま思い出しました。お肉の竹下に行き忘れました。大将、ゴメン!
おかげさま ソレイユ
両店とも浸水は厨房に及び、営業再開にまでしばらくの日数を要すると思えました。まことに、まことに、まことに残念ながら、これが2敗です。
しかし、おかげさまのマスターの胸には営業再開以外の選択肢はありませんでしたし、ソレイユのオーナー・シェフは、こんなときにも常連客の被害状況を気にかけていました。その精神力。根強いファンがつく理由を味以外にも見つけた気がしました。
月極め駐車場を挟んでおかげさまと向かい合うアパート。アパート外壁に残った水位の線を見ると、駐車場フェンスの高さくらいだったことが分かる。このあたりの水の中を歩いていた高校生が、そのうち歩きにくくなったのか、泳ぎ始めてしまったらしい。
ソレイユ近く。幹線道路は普段どおりに見えるが、右折でそれた先には浸水した家が多い。
たかた荘
たかた荘は、浸水がとくに深かった場所と隣り合わせでした。1階に水が入ったのはしかたのない成り行きだったとしても、幸いにも厨房は難を免れました。さっそく営業を始めていました。どこかの客が取りに来る予定なのか、注文を受けた弁当も並んでいました。
たかた荘がやっていてくれるのなら、製品説明会の弁当予約に追われる製薬メーカー営業マンたちも心強い限りです。これで1勝。たかた荘があれば大丈夫です。
たかた荘と道路一本を隔てるだけで、NTT鉄塔周辺の冠水はきわめて深かった。たかた荘にもその水が押し寄せたが、幸いにも厨房の浸水は免れた。
味蔵
もう1勝は味蔵です。
大雨の夜、支配人は一睡もしないで夜明けを待ちました。明け方、車が通行可能な地点まで送ってもらって、残りの4kmほどを店まで歩いてきました。腰くらいまでつかりながらだったそうです。早朝5時半くらいに店に到着したら内部への浸水はみられず、ひと安心でした。
その翌日も早朝に店にやってきました。少しでも早く駐車場の泥を取り除いてきれいにしたかったからです。それに、車の出入りを考えれば駐車場内にたまった泥を取り除くだけでは足りず、歩道に積み上げた泥を早く市に回収してもらう必要がありました。
私が行ったときは通常通りに店をやっていましたが、水害直後だけに客足は戻っていませんでした。
味蔵。支配人のリーダーシップと従業員のチームワークで早々と駐車場がきれいになった。
ランチハウス・リリー
引き分けはランチハウス・リリーです。
泥流の元凶となった弘法川やポンプ機能が働かなくなった和久市のポンプ場に近く、腰くらいまでの水がキッチンに入りました。ルネス病院あたりから水をかき分けながら歩いてやっと店に着いたとき、大型冷蔵庫がプカプカ浮いていたといいます。
私がその時点で電話をかけたとき、経営者のマコちゃんは持ち前の大声量で悲観的見通しを語っていました。もう店をやらんかもしれん。
けれども、訪れたときには、店内がすでに消毒済みの匂いで満たされていました。家族、身内、常連客が力を合わせた結果、予想以上のスピードで片づけを済ませることができたそうです。もう消毒もしたし、来週にも店を開けることができるとマコちゃん。今度は大声量で明るい見通しを語りました。
あとはテーブルと椅子を並べなおすだけになったリリーの店内。お父さんが機転を利かせて、椅子をテーブルの上に乗せておいた。水はその後に入ってきたので座面はまったく濡れていない。
ホテル・サンルート福知山
もうひとつ、飲食店ではありませんが、これも不戦勝だったのがホテル・サンルート福知山です。大雨当日、ホテルに面した道路は流れる川と化していました。しかし、ロビーへの浸水はまったくなくて、業務自体が滞ることはありませんでした。そのいっぽう、こういうケースではどのような手段で通常営業を知らせるのがいいか、それが今後の課題として残ったとのことでした。
水害後、福知山のホテルは、各地からやって来る修復工事関連の技術者たちが後を絶たず、ちょっとした特需状態です。「こんな理由の満室では町のみなさんに申し訳ありません」と支配人は複雑な心中をのぞかせていました。
復旧工事関連業者など、水害特需ともいうべき宿泊者で満室。しかし、支配人は、町に申し訳ない満室状況だと複雑な表情で語る。そういう支配人だから、私はここを定宿にしていた。
イル・パッチーニ
7月にオープンしたての店です。知らない店の様子を見に行ったのは、峰山のスプラウトが業務スーパー跡地に出したイタリアン店だと聞いたからです。スプラウトにはよく行ってました。ここ福知山Fでも、イケメンを揃えて女性客のハートをつかむ作戦でしょう。
あの若いオーナーが頑張っているのに、オープン1ヶ月で水浸しになっているのであればあまりにも気の毒です。9号線を挟んだ向こう側は深刻な冠水に見舞われた地域です。心配でした。
店には従業員の人影すらなくて、空っぽでした。全面ガラス張りの外観にはなんら泥汚れがありません。外観に汚れが見当たらない点を踏まえて、峰山同様に水曜定休だから人がいないだけだと判断しました。
ただし、店外に積まれた石窯用の薪が多量の水を含んでいます。あれが装飾用でないのならいちからの乾燥が必要です。
イル・パッチーニ。水害を理由に訪れた福知山だけに、この店のオシャレな外観が周囲から浮きまくって見えた。福知山の人たちはいましばらく、こんなきれいすぎる店で何かを食べる気になれないと思う。
外水氾濫の町に起きた内水氾濫
福知山は、明治40年から平成25年までの106年間に17回もの水害を記録しています。今回、またひとつ水害の記録が加わり、107年間で18回になりました。
福知山の水害を記録した国土交通省資料。記録は2004年以降の更新がなされていないため、ここに平成25年の台風18号と今回の集中豪雨を加えなくてはならない。
福知山の地図を見れば、水害の起きやすい理由が素人目にも明らかです。東の方向から流れてきた由良川が福知山市内で向きを北に変えますが、その曲がり方はほぼ直角です。その屈曲部で流れが滞るであろうことは一目瞭然です。そのウイークポイントめがけて、さらに支流の土師(はぜ)川が合流しています。
また、福知山の地図だけでは分かりにくいのですが、福知山から先では流域の地形が平坦に近づくこと、福知山の出口で川幅が狭くなること、下流の大江町あたりでは蛇行箇所が増えることなど、福知山とその下流域には流れを滞らせる条件が重なっています。これらの要因も見逃せないそうです。
そのような場所に位置する福知山というのは、そもそもが由良川の氾濫原だといいます。ということは、福知山城のように小高い場所もある反面、全体としては水害にたびたびやられる宿命を背負っている町だといえます。氾濫原:河川の近くにあって、洪水時に浸水を受ける範囲の低地(大辞林の解説)
由良川は福知山で大きく北へと折れ曲がる。その屈曲部に土師川が合流している。さらに、北に向きを変えてからの由良川にも氾濫を惹起する要因が多い。
しかしながら、今回の水害に限っては由良川の氾濫によって生じたものではありませんでした。いままでとは大きく異なります。今回の場合、由良川の水が市街地に流れ込んだのではなくて、由良川に流れ込む前の水が市街地にあふれました。
治水の環境学では堤防を境に川を外側、市街地を内側とみなし、内側の水によって起きた今回のような水害を内水氾濫と呼ぶそうです。その反対に、堤防を超えた川の水によって起きる水害を外水氾濫と呼ぶそうです。
これまで何度も福知山を苦しめてきた水害は由良川に起因するもので、もちろん外水氾濫でした。たとえば北近畿一帯を襲う雨台風など、広い範囲に降った大雨が由良川の水位を押し上げ、その結果としての水害を福知山や大江町が引き受けるパターンでした。けれども今回は、福知山限定型で降った異常な大雨が福知山自身を襲いました。
内水氾濫と外水氾濫(京都府亀岡市のハザードマップから転載)
広島市で多数の死者を出した土砂災害のニュースを通じて、積乱雲が次々と発達するバックビルディング現象が広く知られるところとなりました。積乱雲が生まれ続けるために大雨が長く続いたそうです。8月22日のNHKの特集番組は、今回の福知山の大雨もやはりバックビルディング現象だと解説していました。
とはいえ、バックビルディング現象の大雨だけであったなら、ひょっとしたら町の水はもっと由良川に逃げられたのかもしれません。しかし、そこに排水機場のポンプ故障という不運が重なりました。
この排水機場は、町の道路などにあふれた水を由良川に流すための設備です。その雨水だけでもたいへんな量なのに、そこに市内を流れる川までがあふれ、それが町並みに広がりました。あふれてしまったのは弘法川や法川ですが、このふたつの川と由良川の合流点もやはりポンプ排水になっていると聞きました。
私は福知山の川の実態を何も知りませんでしたから、ふたつの川は自然河川として由良川に流れ込んでいるものだと思い込んでいました。由良川との合流を人為的に止めてポンプで排水する仕組みに変えているとは思いもよりませんでした。
同じ市内の河川であっても、本来の形で由良川に合流する和久川は氾濫しなかったといいます。その事実を知ったとき、ポンプ頼みの治水政策で居住区を広げていった歴史に起因する人災的側面もありそうだと思いました。
由良川との合流点が自然のままであった時代は、何かあるたびに合流点から徐々に浸水が広がっていったそうです。けれども、当時のそのあたりに市街地は拡大していなくて、ほとんど田んぼだったそうです。意図的な治水とはいえないにしても、結果として田んぼが市街地を守っていました。
水害の防災に正答があるのなら、福知山はこんなにも苦労してきませんでした。人知を尽くしてもなお水害は神の意志であることを、福知山の人たちがいちばんよく知っています。その象徴が、堤防神社ではないかと私は思います。この神社は昭和59年という新しい時代になってから創建されました。治水工事への強い確信があれば堤防神社は建たなかったでしょう。
しかし、正答が分からないなか、ただひとつハッキリ言えるのは、雨の降り方が変わってしまった現在、時間雨量40mmで水没するようなポンプじゃ市民の安全は守れないということです。ポンプ場のすぐ隣には厄除神社さんがありますが、国交省や市が貧相なポンプしか用意していないのでは、神様だって手の施し様がありません。
ましてや、福知山は、由良川の流れを無理矢理に曲げて生まれた城下町です。それはもちろん町づくりに必要な開発でしたが、そのひずみが何かの機会に一気に現れるリスクを常にはらんでいます。
さらに、近年になってからは市内を流れる由良川支流にも手を加えて、ポンプなしには由良川へ水を流せないという不自然な仕組みの水害防災体制で居住地域を広げてきました。綱渡りという言葉が頭に浮かびます。
こうした福知山の弱点を率直に見つめて、ここはひとつ、百年の計で町づくりを考えるときだと思います。
福知山の皆さん方にお疲れが出すぎないようにと祈りつつ、同時に暮らしの早い復旧を願っています。
おかげさまのマスター、ソレイユのシェフ、リリーのマコちゃん、店が始まったら飛んでいきますからね。
おさちゅん様 この度は、遠方から訪ねて頂き有難うございました。おかげさまで皆さんに助けていただき、本格的には月曜日から営業再開致しました。いつものお客様も”開いててよかった”とたくさん来て頂きホッとしています。まだパーフェクトとはいきませんが、少しずつ戻していきたいと思っています。奥様にもご心配いただき有難うございました。またこちらの方に来られたらお立ち寄りください。マコちゃん&京ちゃん
返信削除マコちゃん&京ちゃん
返信削除予想以上に早い再開でなによりものことです。
リリーがないと困るお客さんも多いことですし、本当によかった、よかった。
とはいえ、町全体のあの様子では、明日からどこで寝るんだろう?というお宅もあちこちにありましたし、みなさんまだまだ大変だとお察しいたします。
そしてまた、少し日数が経って疲れが出始める時期かなとも思います。
どうか、マコちゃんところも、お父さん・お母さんをはじめ、ご自愛ください。