枝豆ですらこれくらい毛が生えているというのに、私の頭は抜けるいっぽう。どないなっとるんですか。
丹波は、枝豆と栗の季節です。京丹波町和知の道の駅「和(なごみ)」まで、秋の味覚を求めて行ってきました。
道の駅では、地元のイベント「わちふれあい祭り」が開かれていました。
カラオケ大会、フリーマーケット、模擬店の飲食。
枝豆を求めてやってきた京阪神の客。
イベントに集まった地元客。
いつもにない盛り上がりでした。
丹波地方でこの季節に出回る枝豆といえば、ご存知のように、丹波黒豆の枝豆バージョンなんですね。
篠山の人が言ってましたが、秋10月に刈り取って枝豆として出荷する分がある。そのいっぽう、刈り取らずに畑に残し、立ち枯れにさせる分もある。立ち枯れにさせたのを、お正月用の黒豆として出荷する。
そういうことだそうです。
道の駅までの途上、道路沿いにも、臨時の枝豆売り場が生まれます。この季節ならではの光景です。どこの立看板にも「1束500円」と書かれています。
1束というのは、丹波独特の売り方だと思います。畑から刈り取ってきたままを、数本でひと束にしてあります。買って帰って、自分で枝豆を茎から切り離します。
それが手間だという客には、スーパーなどと同じように、切り離し後の枝豆がパックにしてあります。これが、だいたい300円です。ただし、100円あたりの量となれば、やっぱり茎ごとのほうがお買い得です。
「しまった、茹でたあとの写真を撮ってなかった」と、冷蔵庫の中に残っていたのを持ち出してきました。
丹波黒豆は粒が大きい。1円玉と並べて写真にしてみました。なかに、3粒入りがいます。ちょいとした迫力です。
「え、おかあさん、もう、これだけ?」と尋ねました。もっとあると思っていました。
おいしくて、後引き。知らないうちに1束をほとんど食べつくしていました。茹でたのが昨夜でした。わずか一夜でここまで食べたか。
栗は、すでにシーズン終了を迎えていました。
10月いっぱいはまだ入荷があるだろうとのことですが、本当においしい栗の入荷は、毎年、10月10日前後だといわれています。
道の駅のいつもの栗売り場は、盛期の量に比べると、かろうじて残っているとでもいうべきさびしさです。
それでも、おいしかった。妻お龍が渋皮煮をこしらえている途中に、つまみ食いしました。例年よりも味がいいのではないかと思いました。
渋皮煮のことは、また別の記事にします。
道沿いの農家の庭には、たいてい柿が植えられています。
「甘くておいしいのは分かってるの。でも、庭になってた柿でしょ。それをもいで、ここに並べてるんでしょ。その割には高いわ」と妻お龍は言います。
どうして、主婦というのは、そういうしょうもないことを口にして、盛り上がっている私の心に水を差すのでしょうか。
「庭になっとる柿が、いくらかになるのは、ええことやないか。ほうったらかしの柿や。農薬もワックスもなしや。スーパーで買うよりも、よほど出所がしっかりしとるやないか。過疎地やから、こういう柿が買えるのとちがうか? そう思わへんか?」
と反論しつつも、実は、道の駅「和」の直売所から、ハート to ハートの素朴さが消えつつあるのも確かなことです。
庭になっている柿だからと、地元のじいちゃん、ばあちゃんが、商売っ気抜きで売っていた頃もありました。数年も前のことでしょうか。どっさり入って100円とか、そんな売り方でした。
季節の実りが、孫にお小遣いを上げる資金、あるいは、綾部市立病院や南丹病院に通うときのバス代やタクシー代に変わるんだろうなと、こちらも思っていました。
私は、街で稼いだ金を、イオンや平和堂ばかりに落とすのではなくて、丹波の直産物のよさを愛でるために落とす。丹波からは、愛でるに値する直産物が供給される。
マネー主義のちょっと埒外にあるような、そんな経済活動が魅力です。
けれども、売買実績が上がるに連れて、生産者も購買者もスーパーでの価格が目安になり始めているように思えます。売るほうと買うほうが、ともにセコくなってしまってはおもしろくありません。ここへ来る楽しさが損なわれます。
いつもの通り、野菜もあれこれ物色中の妻お龍。
まだちょっと寒さが足りなくて、陳列棚の野菜は夏とも秋ともつかないような顔ぶれでした。
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