きれいな焼き上がり。絵になりますねえ。
越前なる坂井市三国町のバードランドで食べたピッツアです。オーナーであり、かつご自身がピッツァイオーロ(ピザ職人)である小田原さんは、本場ナポリで6年間の修業を積みました。
パーラから皿へ移し変えられたピッツアを目にしたとき、こんなきれいな額縁は初めてだと思いました。それをそのまま小田原さんに伝えました。
このTシャツが目に入らぬか
ピッツアを焼く石窯にいちばん近いカウンター席が空いていました。焼き上がるまでの一部始終を見ているのが大好きです。ピッツァイオーロの職人技もおいしさのうちです。ましてやここは「真のナポリピッツア協会」の認定店。ぜひとも見たい。
カウンター奥から出てきて石窯の前に立った小田原さん。Tシャツ姿でした。食堂のオヤジさん的なじみやすさを漂わせています。でも、Tシャツが決して食堂のオヤジではない。イタリアカンパーニャ州ポンティコルボ社のロゴが入ったTシャツです。さりげなく本場やないですか。
このTシャツが目に入らぬか。
へっ、へっー。
「真のナポリピッツア協会(これ以降はVPNと略します)」の規約に書かれたナポリピッツアのノウハウを思い浮かべつつ小田原さんの所作を見ていました。
文字でしか読んだことのない知識が、「あ、なるほど、いまのはアレか」と、小田原さんの動きでどんどん映像化されてゆく。ナマyoutubeのようでした。
ナポリピッツアの伝統を守ろうとVPNが誕生した
VPNの規約には、ナポリピッツアの伝統的手法がまとめられています。生地の小麦粉から焼き上がり状態まで、各工程をこと細かに規定した規約の中味は、日本語版でA4用紙8ページにもなります。
このバードランドはVPN認定店のひとつですから、規約に定められた伝統的技法をいざとなればいくらでも実践し得る実力店だということになります。
ピッツア発祥の地がナポリ市であり、ナポリピッツアには300年の歴史があるとよく言われます。本拠地ナポリでは、一部の熱心なピッツァイオーロたちがナポリピッツアの原型を守り続けてきたそうです。
そのいっぽう、ナポリピッツアが世界の国々に広がるに連れて、ナポリの食文化と無縁の場所では、なんちゃってのナポリピッツアがどんどん増殖していきました。日本の寿司だって、アメリカのSUSHIバーではあるまじき姿に変わっています。
VPN設立当時、本国イタリアにおいてすら、ピッツア原材料の50%は輸入品で占められていたといいます。小麦粉はカナダ産やウクライナ産、トマトは中国産、モッツァレラチーズは東欧産、オリーブオイルはチュニジア産。のみならず、オリーブオイル以外の油が代用品にされているような状況でした。
ピッツアの多様化は当たり前ちゃうの?ーーーというのが私のホンネです。
古くはパン生地みたいなものにラードを塗って糖質と脂肪を一度に摂る手段として始まったわけですし、そのうちに手近な素材をのせる早メシ法としても大いに活用するようになったとされています。
時代が下ればグルメをうならせるピッツアも生まれましたが、それとてピッツアが持ち合わせる変幻自在な性格のおかげ、多様化の一形態です。
一部の人は、職人気質に支えられたナポリピッツアを至上扱いするあまり、たとえば宅配ピザを見下し、「あんなのはピッツアじゃない」と唾棄してみせる。
自分の尺度に合わないと思うのなら無視するだけで充分でしょうに、なんだかんだとわざわざ非難してみせる。その必要があるでしょうか。
私もナポリピッツアが大好きです。でも、as you likeの柔軟性がむしろピッツアの本性だと思います。
ピッツア職人の地位改善も目的
食習慣や、客層や、店の経営事情によってナポリピッツアがどうアレンジされようとナポリがそれを阻止できるものではありません。
それは無理でも、本場ナポリが先頭に立ち、伝統に則った真のナポリピッツアとはこういうものなんだと、オリジナルの姿をきちんと提示することはできます。そのために立ち上がったのがVPNです。1984年に、ナポリピッツア関係者16人の有志によって設立されました。
どのような伝統も継承されるうちに純粋性を失っていきます。それは世間一般のことですから、伝統の変性を少しでも防ごうというVPN設立の目的はすんなり理解できます。
伝統に忠実なピッツアとそうではないピッツアを客がを見分けやすいというのもすぐ理解できます。
「へえ、そうなんだ」と思ったのは、ピッツァイオーロの社会的地位を向上させる目的もあることでした。VPNの活動を通してナポリピッツアの存在価値が上がれば、伝統を担うピッツァイオーロに対する見方も変わるというのです。VPNの公式文書には「ナポリピッツァが貧者の料理の女王であることは事実ですが」との一文もあり、本場イタリアではピッツア職人が知的労働者扱いされていないことを知りました。
日本では、というか少なくとも私は、ピッツアを上手に作る人を低く見たことがありません。かたや、どんなにおいしいラーメン屋でも、決して低く見るというのではありませんが、頭脳労働らしさを見出すのは難しくて、どうしても肉体労働の側面ばかりが見えてしまいます。頭にタオルで黒いTシャツというのをソーランやヤンキーみたいだと感じるせいもあるでしょう。イタリアのピッツァイオーロもそれと似たような見られ方なのでしょうか。
EUによるSTG認定が大きなステップ
ナポリピッツアはそもそも地場食材の特性と深く結びついた食べ物だといいます。その原型にVPNは立ち返って真のナポリピッツアを定義づけました。原材料については、種類の限定のみならず産地にも限定を設けています。その他、生地作りなどの調理法、薪窯などの設備、調理用具、生地の延ばし方や焼き方などの調理技術、厚みや外周の耳などの仕上がり具合といった要素に対して、厳格な枠組みを設けました。それは、伝統的ナポリピッツアのガイドラインとでもいうべき内容で、真と真でないものとの峻別を意図しています。
しかし、もしそれだけであれば、VPNが心血を注いだ規約もナポリ野郎の勝手な言い分で留まったことでしょう。大きな変化は2009年に訪れます。この年12月、ナポリピッツアのマルゲリータとマリナーラが、EUの「伝統的特産品保証」の対象に認定されました。この制度が「STG」の略名で通用していることから、固有の呼び名は「Pizza Napoletana STG」となりました。
ナポリピッツアは、みんなで守っていく食文化としての地位を得たわけです。世の中には伝統に忠実な元祖ナポリピッツアとその伝統を外れた亜流のピッツアがあるとEUが認め、その区別について公のお墨付きを与えたことになります。
マルゲリータとマリナーラこそがナポリピッツアの真の姿だとする価値観は、おそらく老舗ピッツア店の影響力下で形成されていったものと思われます。このサイトを見ると、老舗店による老舗店のための主義主張がうかがわれます→老舗中の老舗Da Micheleのサイト 強烈な郷土愛や、伝統を担っていこうとする気高さに対しては頭が下がる思いです。でも、この主義主張に賛同してしまえば、日本の「真のナポリピッツア認定店」の売り上げの大部分は「偽のナポリピッツア」で成り立っている理屈になります。
STG認定を世に伝えるVPNの広告は、”After years of struggling with red tape,”と言っています。お役所仕事に長年手を焼き続けた末にやっとといったニュアンスでしょうか。STG認定をEUに願い出たのはVPNとAPN(ナポリピッツア職人協会)です。申請から結論までに8年間も待たされました。
申請がよく通ったなと私は思います。粘り続けたんでしょうね。私が行政や政治の立場の人間なら、「言うてることはよく分かる。けど、それはあんたらの信念というもんや。信念のままに進むだけでは満足でけへんのか?」と言い続けたことでしょう。
関税を窯で焼いたらSTG?
STG認定食品について日本の農水省資料は、「伝統的な原料から作る。伝統的な配合、または生産・加工方法である」と述べています。
これをナポリピッツアに当てはめれば、「伝統的な原料・配合・生産・加工」については、VPNの規約書が明らかにしています。つまり、VPN規約書は仕様書のようなもので、その通りにこしらえたピッツアならば伝統的特産品の資格を備えている(真のナポリピッツアの条件にあてはまる)のだと私は解釈しました。
<本規約によって要求される特徴を満たした製品を提供することが出来る製造者であれば、世界中どの国においても真のナポリピッツァ協会に対し、「真のナポリピッツァ」の呼称および標章の表示許可を申請することが出来る>
VPNの規約書冒頭にはこのような記述があります。
つまり、Pizza napoletana STGはべつにナポリの独占物ではないということです。とはいっても、使用すべきトマトやモッツアレラチーズには細かい産地規定が伴います。日本で出そうとすればイタリアからの輸入食材を必要とします。ピッツアのフェラーリとまではいえないまでも、手頃なイタリア車といった感じでしょうか。
原産地呼称統制(AOP)、地理的表示保護(IGP)、伝統的特産品保証(STG)など公の保護でお宝的物産品の存在価値を高め、競争の弊害から保護しようとするEU。
宝であれクズであれ市場原理による淘汰を生き抜いた商品がいいものとしての地位を手に入れる日本。
その間に横たわる大きな隔たり。貿易摩擦のタネでもあります。
はじめからこれがいいものと決めておくのはおかしいだろ、いいかわるいかは消費者の選択で決まるんだろと言いたくなります。
しかし、EU商圏内にあるナポリピッツアにとって、STG認定はとても大きな一歩だったそうです。
とくに、VPNはピッツァイオーロの社会的地位向上を悲願としていますから、その面でのSTG認定効果を大いに期待しているといいます。VPNは会員に向けた文書で、STGにふさわしい有能なピッツァイオーロであれといった趣旨を述べています。裏を返せば、そんな檄を必要とするだけの乱れがあるということでしょう。
ついていきたくなるピッツァイオーロ
といったことを考えつつ焼きあがりを待っていましたと書けばつながりもいいのですが、実はそうではありません。あっという間に焼きあがりました。
最初のパーラで石窯の床にピッツアを置いた小田原さんは、いったんはパーラを手から放して、どこを見るともなく視線を空に漂わせていました。「さっきの見た?」と、隣に誰かがいたら声をかけたいくらいでした。堺正章のテーブルクロス引き抜きみたいな早業で、ピッツアの底面からパーラを抜き去ったのです。ピッツアがワイングラスだったとしても決して倒れることがなかったでしょう。
二度目に空のパーラを手にした小田原さんは、それを窯のなかに突っ込んでピッツアを回転させ始めました。あんなに窯の中を見つめたら目玉がやけどしそうです。窯の中でパーラの先端は細かく動いているのでしょうが、窯の外にある持ち手はほぼ同じ位置を保ち続けています。
パーラの動きが急に止まったかと思ったら、よしOKと見切って取り出すまでの早さ。私がいままで見たことのある人たちと、そこが違いました。いままでの人たちは、ためつすがめつというのか、最終調整をするというのか、よしOKの見切りがあそこまで即断即決ではなかったように思います。
それで出てきたのが冒頭写真の仕上がりでした。これが芸能やスポーツでしたら拍手を送るべき局面です。
小田原さんがピッツァイオーロとしての立身を決意したのは、1997年、いまから16年前のことです。バードランドのホームページを見ますと、「喫茶店のマスターが一転ピッツァヨーロに」というタイトルで決意に至るまでの経緯が書かれています。1997年~2002年までの6年間、現地のピッツァイオーロから直伝で極意を学んだときの様子も書いてあります。
「本場イタリアのナポリに負けないくらい美味しいピッツアをお客様にご提供することを常日頃自己の信条としております」と小田原さんは宣言しています。
焼き上がったピッツアを見たとき、この言葉にウソはなかろうと思いました。きれいな焼き上がりは焼きの技術だけで生まれるものではありませんし、生地作りの技術だけで生まれるものでもありません。生地を練らんとして小麦粉に水を加え始めるスタートから、ピッツアを窯の炎から引き出すフィニッシュに至るまで、すべてのステップにおける熟達度が焼き上がりに現れるはずです。
いま目の前にあるのは、VPNやSTGなんて価値観はどこかへ吹き飛ぶピッツアでした。もし言うのならOMGT、お・み・ご・とのピッツアです。
ピッツア内にこもった余熱と食べるときの変形でトマトソースとモッツアレラが一体化します。生のミニトマトのスライスはみずみずしさを保ちながらも甘みが増しています。
窯入れと窯出し。炎で何もかもが生まれ変わるその様は陶芸でした。
この年齢になりますと、いいものへの指向性が強くなります。その思いは若い頃とは比べものにならないほどです。たしかな技がこめられたものをいいものだと感じる機会が増えてきました。作り手がこだわって、こだわって、こだわりぬいた。ものの魅力はそんなところに宿るのだとわかってきました。
いいものを見分ける眼力がないと自覚しているだけに、この年齢になってまだ踊らされているようではあかんぞという警戒感が頭をもたげ、余計にいいものとの出会いを求めます。
福井県坂井市三国町のバードランドでそれを見つけました。
小田原さんはついていきたくなるピッツァイオーロでした。たとえバードランドが剣岳の頂上に移転したとしても、私は食べに行くでしょう。
バードランドでは、客自身がナイフとフォークで切って食べます。店はまったくカッターを入れません。どこの店もこれでいいんじゃないかと思いました。1秒でも早く熱々のうちに食べ始められますし、店側も石窯まわりの仕事が滞りません。そしてなによりも、切れ目のないピッツアは容姿端麗です。ナイフとフォークで食べるのはめちゃ難しかったけれど、自分好みのサイズに切れる利点もありますし、何かと理にかなっていると思いました。
スゴいぞ、日本のピッツァイオーロたち
日本人ピッツァイオーロの技術水準はとても高いのだろうと私は思います。大西誠さん、牧島昭成さんをはじめ、ナポリピッツアの世界大会成績優秀者が日本から続出しています。
全国展開のナポリピッツア店であるサルバトーレ・クオモの「DOC」というピッツアは、2006年から3年連続で世界一に選ばれています。京都店で食べましたが、とてもおいしいピッツアです。日本のレベルの高さを舌で感じることができます。
これら名人たちはVPN日本支部や日本ナポリピッツア職人協会(APNG)に所属しています。その事実をもってすべての会員がスゴ腕だと考えるのは早計にすぎます。けれども、少なくとも、世界を相手に負けなかった名手たちの実績は、VPN認定店の信憑性を高める傍証材料として貢献しているはずです。
ナポリピッツアのどこか求道的な一面は日本人の気質に合致するのかもしれません。日本人ピッツァイオーロが本場ナポリを凌駕する様相は、日本の国技である相撲がいまや外国人力士の活躍なしには成り立たないのと似ている気がします。サッカー日本代表も頑張ってちょーだい。
日本人ピッツァイオーロのみなさん!
STG条件に合致したマルゲリータとマリナーラだけがホンモノだなんていうイタリアの高慢チキな言い分を、高い技術と熱い心で打ち破ってもらえませんでしょうか。ナポリにとっての地産地消を、「真のナポリピッツア」という大義名分で他の国にまで持ち込もうなんて、おまえは何様のつもりかです。もちろんナポリに学ぶべきことは多々あるとは思います。でも、藍は藍より出でて藍より青しです。
日本のVPN会員たちが生み出したピッツアはジャンクじゃない。Pizza Napoletana STGまでも超越していまやPizza Japonese OMGTだとナポリに言わせてください!OMGTは「お・み・ご・と」です。
反面、私は、VPN認定店の看板をどこまで信じていいのかという疑問も持っています。
ひとつは、認定店の審査がどれくらいの厳しさで行われているのか、私たち部外者には見えないからです。
今日、Amazonで「至福のナポリピッツア(渡辺陽一著)」を注文しました。日本のナポリピッツア店主たちが登場するFoodlife誌の6月号も到着待ちです。この二つの本に何かヒントがあれば幸いです。
VPN認定店をイマイチ信じ切れないもうひとつの理由は、APNG会長を務める大西誠さんの勤務するサルヴァトーレ・クオモが日本のVPN認定店に顔を連ねていないことです。日本国内には46軒のVPN認定店があります。そのなかに入っていません。これがどうにも不自然に思えます。
2003年のことですが、大西さんは、VPNとカンパーニャ州が主催するPIZZA FESTAで世界一の栄誉を獲得しました。スゴ腕ピッツァイオーロです。加えて、上述の「DOC」が3連覇を成し遂げた世界大会もVPNが主催したものです。さらに、経営者のサルヴァトーレ・クオモさんはVPN日本支部の上級会員です。
これら、VPNとの深い間柄を考えれば、サルヴァトーレ・クオモは率先垂範で認定店資格を取得すべき立場にありそうです。VPN日本支部だって優秀な人材をかかえたサルヴァトーレ・クオモには認定店になって欲しいはずです。
にもかかわらず、サルヴァトーレ・クオモは認定店になることを選んでいません。
ひょっとしたら認定店をとれない事情(協会や社内の内部規約など)があるのだろうか。
認定店なんて私たちが思うほどの価値がないのだろうか。
経営者クオモさんのポリシーだろうか、あるいはクレバーな作戦だろうか。
そんな風にあれこれ勘ぐっています。
そこに疑問は残したままではありますが、今回バードランドで小田原さんのパフォーマンスに出会い、VPN認定店のピッツァイオーロは誰もが真面目にピッツアに取り組んでいるのだとすんなり思いたくなりました。
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