マニア向けの甲賀流、サービス精神の伊賀流。
甲賀も伊賀も忍者の里で、いずれの里にも忍者屋敷があります。訪問者を大いに楽しませてやろうという意欲は、明らかに伊賀のほうが高い。伊賀に比べたら、甲賀は構えすぎています。
今回、孫聖太郎の帰省をきっかけに、初めて伊賀流忍者博物館に行ってきました。子供を連れて行くのなら伊賀に限りますねえ。
築城の名手藤堂高虎が築いたことで知られる伊賀上野城。
かつて城の敷地であった一帯が、いまは上野公園として整備されています。伊賀流忍者博物館は、その上野公園の一角にあります。
他にも、芭蕉翁記念館、俳聖殿、伊賀歴史民族資料館、だんじり会館などもあって、公園のいちばん高い場所に天守閣(昭和10年の復興建築)が建っています。
公園のなかを歩き始めますと、忍者の衣装を着た子供たちを見つけました。子供たちのパパやママに聞けば、すぐそこのだんじり会館でレンタルしてきたというではありませんか。
いや、それは、知らなかった。予習不足。
はじめにだんじり会館に寄って衣装を借りてから忍者博物館に来るというのが、いちばん楽しいやり方なんですね。忍者に変身した我が子にスマホやカメラを向ける光景が、あちこちで見られました。
まず、忍者屋敷を案内してもらいます。
案内してくれるおにいさんやおねえさんは、まことに手馴れたもので、家のなかに施されたからくりをスラスラと解説していきます。身のこなしまで忍者っぽくって、「ここに身を潜めて」などという実演にしても、えらく素早い。みんな、「へー」とか「ほー」とか、感心しています。
忍者屋敷の解説が終わりますと、地下通路を通って忍者実演ショー会場に向かう仕組みになっています。地下通路には、忍者の武器などが資料展示されています。誰にもまして熱心に見つめている外国人旅行客の姿が印象的でした。Ninjaとして世界にも知られていますからね。
うちの聖太郎は、何はさておき、手裏剣に興味があるようでした。
実演ショーは、午後11時から15時まで、1時間おきに1日4回のスケジュールでした。
実演ショーを受け持っているのは、「阿修羅」というプロ集団です。年間1700回のショーをこなしているばかりか、テレビ番組登場回数もめちゃ多い。日米合同軍事演習に呼ばれたり、パリのジャパン・エキスポにも出演したり、忍者ショーといえば阿修羅の右に出るものなしです。
阿修羅の公式HP=http://www.k3.dion.ne.jp/~ashura/
まあ、身体能力の高いこと。忍者の資料展示だけを見ている分にはいまいちウソ臭いのですが、鍛え上げられた阿修羅のメンバーの動きを見ていますと、忍者は実在したのではないかと思えてきました。
このショーがたった300円は安い!
安すぎませんかと言いたいくらいです。
知之助さんというタレントは、伊賀神楽まで披露してくれました。
昼ごはんは、名阪上野ドライブインで食べました。
伊賀上野へ行くなら店を予約しておいたほうがいいことも、今回、学びました。ストークという洋食店に行ってみたら、予約で満席でした。
とはいえ、名阪上野ドライブインの昼ごはんもおいしくて、しかたなしに来てみたこの選択も、決して間違ってはいませんでした。
私は、伊賀牛ラーメンを注文しました。今年のラーメンのトレンドは牛だろうといわれています。
妻お龍と娘の基子は、みそカツ丼です。田楽味噌に似た味の甘いタレ、キャベツ、白ご飯。この三者の混じりあったおいしさが、娘の基子にウケていました。
電車好きの聖太郎を伊賀電鉄に乗せました。
車両には、銀河鉄道999の松本零士さんがデザインした忍者の絵柄がペインティングされています。
上野市駅から伊賀上野駅まで、わずか7~8分の区間でしたが、また新しい路線を体験できて、聖太郎はご満悦でした。
伊賀上野を訪れたのは、数年ぶりでした。
数年ぶりといっても、前は伊賀牛で有名な「金谷」へ来ただけでしたので、上野公園は中学生以来のことです。
忍者屋敷なら甲賀よりも伊賀だ。伊賀は町を挙げて盛り上げてくれる。
そんなコメントをどこかで見ていました。
今回、なるほどその通りだと、実感しました。
伊賀の観光は、お城、芭蕉、忍者、伊賀牛の4要素に照準がしっかりと定まっています。町が総力を挙げることがなければ、いずれも地味に沈みがちな観光資源だと思うのですが、そうならない演出に長けた町です。
甲賀流忍者屋敷に力を尽くしてこられた方々には申し訳ないけれど、甲賀を見た後は、なんだ、忍者ってこの程度のもんだったのかという気分になってしまいます。どうせ伝説なんだから割り切ってエンジョイしてしまえばいいのに、甲賀はなんかどこかで気難しい感じです。
甲賀流忍者は実在しませんでしたが、甲賀古士という在野の武士集団は実在しました。たしかに、幕府の仕事を請け負っていたことが、甲賀市・湖南市の家庭に残る古文書から分かっています。
正式な身分を望んだのか、さらなる報奨を望んだのか、自分たちのはたらきを徳川家になんとか評価してもらいたくて、自己アピールを繰り返していたといいます。そのアピール内容が、話のネタとして世間に広まり、いつしか虚虚実実の忍者像が形成されていったそうです。
甲賀古士の真の存在価値が世に知られず、忍者という形にフィクション化され、おもしろおかしく語られてしまった。そこが気に食わないという不満が、いまだに甲賀には根強いのかもしれません。誰も自分たちを偉いと言ってくれないから、自分で自分を偉いと言いたがってしまう。
甲賀忍者が大きな観光資源になりきれないのは、実は、そんな自尊心が要因なのかもしれません。忍者なんて、そこまで意味を問うもんではない気がします。
0 件のコメント:
コメントを投稿