「お茶漬けでいいよね」と妻お龍の声。
「なんでもええわ」と私。
孫と娘の帰省中は、「聖太郎、何食べたい?」で明け暮れた1週間でした。二人は、今日の9時32分発のぞみ号で、千葉県に帰っていきました。
孫も娘もいなければ、うちのテーブルはこんなに広かったのか。料理も食器もなく、がらんと空いた天板が、冬の光を跳ね返すばかりです。
京都駅は帰省客で込み合っていました。上の写真の女の子は、よその子です。聖太郎にこんな妹がいたらいいなという願望を、よそのお孫さんで実現してみました。
このお孫さんを見送るのも、やっぱりおじいちゃん・おばあちゃん夫妻でした。
この子が乗る新幹線まで、あと20分か、30分か。
その子のおじいちゃんは、わしの命も発車までの勢いでシャッターを切っています。その気持ち、よく分かります。どれだけシャッターを切ったところで何も満たされないことも、よく分かります。
かわいいところを逃すまい。
英語で言えば、I don’t wanna miss a thing。
こんなときのおじいちゃんって、そんなことしかできないのです。
今日、1月4日が帰省のピークだと、ニュースが伝えていました。新幹線が停車するありとあらゆる駅で、おじいちゃんというおじいちゃんが、何をしてみたところでどうにもならない感情を押し殺しているに違いありません。抱きしめれば孫に嫌がられます。
のぞみ号名前のわりに切ないな。
N700系は、無駄に長い鼻っ面。人間味のないデザイン。祖父母の感傷をせせら笑うかのような表情で、一気にホームを駆け抜けていきました。いまいましい奴です。
マールブランシシュでお茶でも飲んでいかない?
妻お龍に誘われるまま、近鉄名店街みやこみちのマールブランシュカフェに立ち寄りました。聖太郎を見送ってしまった虚脱感なのか、私は、自分が何をしたいのか、それすら自覚できない心境です。
正直言って、こんなときにわざわざ飲むほどのお茶でもありませんでした。観光客相手に京都気分を演出する以外、これといって役目のない店だと思いました。
家へ戻って、伊賀流忍者博物館で買った「かたやき」を食べました。
めちゃ硬いのを無理して食べるだけの値打ちがあります。
真ん中の胡麻や青海苔に辿り着くまでに顎と歯を酷使しなくてはなりませんが、辿り着いたときのおいしさは、山登りのご褒美のようです。
袋に入っていた解説文には、伊賀忍者の携帯食だったと書いてあります。忍び込んだ先で、潜伏中の栄養補給にしたのだとか。しかし、割っても噛んでもバリバリと大きな音がしますから、隠れていることがすぐバレてしまうと思います。
うちが買ったのは、鎌田製菓です。伊賀名物として数多くの地場メーカーがかた焼きを作っています。かた焼きだけで商品棚の両面が、上から下まで埋まるほどです。
食べやすさ重視でわざと軟らかく焼き上げた商品もあるいっぽう、硬さの点でいちばん有名なのが「元祖かた焼き伊賀庵山本」だそうです。山本のかた焼きは、割るための木槌付きで棚に並んでいました。
これだけの種類がありますと、妻お龍は迷いに迷います。欲しい気持ちが募るほどにどれかひとつに決められない性格です。そんなお龍の性分を店のスタッフが知らないのは当然で、なかなか決めないお龍が貧乏に見えたのでしょう。350円のいちばん安いやつを勧めていました。
今年のおせちは、京丹後市の縄屋で頼みました。毎年、頼むのを忘れているうちに、注文予定数に達してしまうことの繰り返しでした。
今年は、案内葉書が届いたその日にすぐ注文しました。私たち夫婦がいちばんおいしいと思う和食を娘の基子に食べさせたかったこともありますし、食品偽装が大きな社会問題になった2013年を思えば、この2014年を、実直一筋の吉岡さんの味でスタートさせたかったからです。
うちが頼んだのは、「若水」と名付けられた2~3人用で、値段は2万円くらいです。20cm×20cm×6cmの重箱の2段重ね。そこに合計52種類のおせち料理がぎっしり詰まっています。
縄屋がいちばん大切にしているのは、丹後の地の味を伝えることです。だから、ふたを開けたときの第一印象は、とても地味です。海老の赤や栗きんとんの黄色でめでたさと豪華さを演出するのが、こういう既製品の常道かと思うのですが、縄屋のおせちは、ことによったら、家庭料理よりもまだ素朴かもしれません。
見かけにたがわず、まさしく地味~においしいおせちでした。じんわり、じんわりと、噛み締めるほどにおいしい味つけです。
キャッチーな味つけという点でいえば、妻お龍の数の子や黒豆のほうが輪郭もはっきりしていて、おいしさがよく伝わってきます。
縄屋のおせちは、おいしさをなんら主張しないくせに、まるで水のように、空気のように、おいしい。よくできる奴は勉強しなくてもよくできるのに似ています。
娘基子は、食材選びと下ごしらえに手を抜いていないからだと言います。塩ひとつとっても、きっと最適な量だけではなくて最適な順序があるはずだというのです。
素材の内側に味を充分に含ませてあって、表面をしっとり保ちながらも決して煮汁を浸み出させていません。隣り合うものどうし、重なり合うものどうしで味が混じり合っていません。だから、52種類もの献立をこれだけぎっしり詰め込むことができるのだと思いました。
基子は、何かひとつをつまんでも、それでまだ底が見えないから嬉しかったそうです。その下から、また別の献立が顔を出します。「すぐ底が見えたら、あら、私がこれを食べてしまってよかったのかしら?と思わなくちゃいけないでしょ」と言っていました。
2~3人用ということでしたが、実際は3~4人用だと思いました。酒を飲む家庭ならば、うちほどパクパク食べないでしょうから、まったく過不足なしだと思いました。
さて、年末・年始の休みも終わろうとしています。
おじいちゃんの憂鬱の原因は、聖太郎が帰ってしまったことよりも、また仕事かぁのほうが大きそうに思えます。
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