2014-01-21

甲賀市・香良市・紫口市 直木賞「昭和の犬」 姫野カオルコさんはどこ育ち?

20140119-_MG_6545 「昭和の犬」で直木賞を受賞した姫野カオルコさんが、滋賀県甲賀市出身だというではありませんか。
 甲賀市といえば、私の出身地です。直木賞受賞作家が出るなんて、ただビックリのひとことです。


バーチャルな同郷

滋賀県甲賀市
 私やカオルコさんが生まれた昭和の時代に、甲賀市はまだありませんでした。甲賀市の誕生は、平成16年です。平成の大合併という謳い文句の下、日本全国で市町村合併が一気に進んだ時期に、甲賀市ができました。

 合併以前は甲賀郡があって、郡内は、水口(みなくち)、信楽(しがらき)、甲南(こうなん)、甲賀(こうが)、土山(つちやま)の5町に分かれていました。私の出身地は、そのなかの水口町です。カオルコさんがどの町で生まれたのかは分かりません。
 甲賀郡時代は、町が違えばよその人でした。だから、甲賀市で考えているかぎり、カオルコさんとはバーチャルな同郷者どうしにすぎません
<正確に言えば、この5町の他に、甲西町と石部町も甲賀郡に属していました。この2町が合併して湖南市になりました。甲賀郡が甲賀市と湖南市に分かれたことになります。>

 甲賀市という行政区分ではなくて、もっと絞り込みたい。まずは、私と同じ水口町出身なのかどうかを、やはり知りたい。水口町だということになれば、そのときはじめて、郷土自慢がひとつ増えます。

水口と信楽に縁ある人か?

 受賞作には、紫口市(むらぐちし)と香良市(こうらし)というふたつの地名が登場します。5歳の柏木イクが、紫口市を離れて香良市に移り住む。その場面から物語が始まります。

 紫口市も、香良市も、架空の地名です。でも、白紙状態からひねり出した地名ではないと思います。「紫」と「香良」を組み合わせれば、「紫香楽(しがらき)」に近い表記になるからです。

 甲賀市のなかでいちばん知名度の高い町は、信楽です。信楽焼の産地として全国に知られています。
 「紫香楽」というのは、「信楽」をより優雅に言い表したいときに使われる表記です。「紫香楽病院」や「紫香楽国際カントリー」が好例です。信楽と紫香楽は、正式名称とペンネームのように、用途によって使い分けられてきました。

 甲賀市出身のカオルコさんなら、信楽と紫香楽の両方を知っていて当たり前です。紫香楽をふたつの地名に分解して、紫口市と香良市を作り出したのでしょう。信楽の知名度を重視した言葉遊びか。それとも、実際に住んでいた地名をそれとなく伝えたかったのか。

 言うまでもなく、私は、紫口市が水口町のことであって欲しいし、香良市が信楽町のことであって欲しいと願っています。しかし、そう都合よくいくかどうか。受賞作に現れる町の姿をどう身びいきに解釈しても、水口や信楽につながる材料がないのです。

 実在する町との整合性でいえば、香良市を甲良町(こうらちょう)に重ね合わせ、紫口市を彦根市に置き換える読み方もあります。
 紫口市は県内でも大きい城下町だと、物語は言います。県下で大きい城下町は、彦根と長浜だけです。紫口市から香良市まで馬車で54分かかったというのも、彦根市と甲良町の距離であれば、現実味を帯びます。

 まあ、皆目見当のつかないことですし、とにかく、人間模様に詳しい誰かをつかまえて、姫野カオルコさんのことを尋ねてみるしかありません。早速動き始めました。



おまけ1:幻の都・紫香楽宮跡

 奈良時代の742年、聖武天皇が信楽に離宮を設けました。
 Wikipediaによりますと、続日本紀がその離宮のことを「紫香楽」という漢字で記したといいます。国の発掘調査による史跡名称も、「信楽」の表記は用いず、「紫香楽宮跡」としています。
 紫香楽宮には、奈良の東大寺に匹敵する「
甲賀寺」という大寺院があったとされています。聖武天皇は、平城京を紫香楽宮へ遷都する意向だったらしく、奈良の大仏様を本当はこちらの甲賀寺に造営したかったそうです。
 けれども、遷都は失敗に終わり、紫香楽宮も、大仏様も、幻の彼方に消え去りました。発掘調査後の甲賀寺跡は、紫香楽宮跡のシンボルとして、広い林と共に公園化されています。
 寒波が雪をもたらした1月19日、出かけてみました。


20140119-_MG_6649甲賀寺の金堂があった場所には小さな拝殿が建てられています。近辺の地面には、何かの礎とおぼしき円盤状の石が、いくつも顔を出しています。2014年1月19日。

20140119-_MG_6672解説表示の雪を、先に訪れた誰かが落としたのでしょう。聖武天皇が遷都の意志を示し始めたのと相前後して、大きな山火事や地震などの災害が相次ぎ、人心の不安がつのったと書かれています。これが遷都強行を止める結果になったようです。2014年1月19日。

20140119-_MG_6634史跡内は、雪で深閑としたというよりも、むしろ華やいでいました。枯れ木残らず花が咲く。雪でも積もらなければ、冬の公園は退屈なものです。嬉々として歩き回りました。

水口町のYちゃん訪問

 姫野カオルコさんは1958年生まれの55歳。これは、私にとって、ありがたい材料でした。

 水口町にはちょうど55歳の知り合いがいます。仮にYちゃんとしておきましょう。彼女は、商売柄、顔が広い。しかも、近在の町々を含めて、いろいろな出来事の真相・深層が、なぜか彼女のもとに集まってきます。

 Yちゃんの店を訪れました。もし、カオルコさんが水口町育ちなら、Yちゃんと水口中学校で同学年だったはずです。Yちゃんたちの頃、水口町に中学校は1校しかありませんでした。カオルコさんは早生まれではないし、Yちゃんなら知っているはず。いや、それどころか、「あの子が直木賞取りやった」と、今頃は大騒ぎに違いありません。

ーーー いやあ、ごめんなさい。せっかく来てもろたのに。姫野カオルコさんがどこの人か、なんにもわかりませんわ。そやけど、水口の子やないと思います。

 Yちゃんはそう答えました。
 彼女の返答を要約しますと、以下のようになります。

○幼稚園から中学校まで、姫野という子はいなかった。もちろん、姫野はペンネームだろうから、手がかりにはならない。しかし、以下の理由で水口在住の人ではなかった可能性が高い。

○その理由とは、カオルコさんが八日市高校を卒業していること。私たちの時代、八日市高校は学区外で受験できなかった。無理して学区外進学できないこともなかったけれど、水口中学校から八日市高校に進んだ同窓生はひとりもいなかった。

 カオルコさんの実像に迫る有力材料をなんら持たないYちゃんは、自分の情報収集力、情報提供力がまだまだ未熟だと嘆き始めました。甲賀市から直木賞受賞者なんて、千年に一度あるかないかの天変地異です。おもしろく語るためのネタがないのは、誰しも残念なことです。
 彼女は、「Hちゃんのお母さん」みたいな事情通になりたいのだと言いました。

 Hちゃんのお母さんというのは、Mおばちゃんのことです。年齢は85歳。たしかに、Mおばちゃんは、水口町の生き字引みたいな存在です。
 私たちは水口町の旧東海道筋を「真ん中道」と呼ぶのですが、Mおばちゃんは、真ん中道の両側に住んでいる人の姓名を東から順番に全部言えるばかりか、参列した葬式という葬式すべての戒名まで、スラスラと口にできます。

ーーー 葬式で坊さんが言わはるお経、うちは全部覚えてるもん。いつもと違うとこだけ覚えて帰ったらええねん。いつもと違うとこが戒名やんか。

 そのMおばちゃんをもってしても、姫野カオルコさんが水口出身かどうかは不明でした。
 おばちゃんの娘のHちゃんとさっきのYちゃんは同級生で、55歳どうしです。カオルコさんが娘と同じ学年に在籍していた子供なら、ウンコたれた回数まで刻銘に覚えているはずです。

①カオルコさんは、生まれも育ちも水口ではない
②水口生まれだったけど、とても幼いうちにどこかへ引っ越した

 このふたつにひとつではないかと思われました。



おまけ2:近江鉄道線とJR草津線


20140117-_MG_6397 水口町の野洲川を渡る近江鉄道電車。水口町の貴生川駅でJR草津線と接続しています。大津市の高校に通っていた私は、近江鉄道とJR草津線を利用していました。草津線は電化されておらず、朝の通勤・通学時間帯はSLが走っていました。2014年1月17日。

20140119-_MG_6698-2貴生川駅にJR草津線の電車が入ってきました。草津線は、草津駅~柘植駅の間を結んでいます。甲賀市内を通る唯一のJR路線です。京都・大阪方面へ行くときは、草津でびわこ線に乗り換えます。いっぽう、柘植駅で連絡するのは、JR関西線です。2014年1月19日。

20140119-_MG_6716
信楽町の陶器店

 陶芸の町、信楽。
 陶芸家を目指す人が全国から移住してくるこの町は、芸術分野の人材を育ててきた歴史において、甲賀市のなかでは異色の存在です。

 立ち寄った陶器店では、地元のおばあちゃん2人の作品展が開催されていました。作品展といいましても、陶芸ではなくて、切り絵、圧し絵、布細工を展示してあります。

 作品の主であるおばあちゃんお二人は、84歳と75歳になったいまも、原チャリをビュンビュン走らせているそうです。そんな行動的なおばあちゃん二人が、揃いも揃って、とてもきめ細かい手作業を得意とする。そのギャップがなんともおかしくて、二人に展示場所を提供したのだと、店のご主人が話していました。

--- いや、普通のおばあちゃんでも展示会ですから、信楽は陶芸の町だけに、自己表現欲の気風を感じます。直木賞の姫野カオルコさんが信楽出身でもおかしくないと思うんですが・・・

 私は、そちらに話を振りました。

 しかし、ご主人の知る範囲では、信楽出身の可能性は低いとのことでした。直木賞をとったのはあそこの娘さんだという噂もないそうです。

 在所のことなら何か聞くはずだとご主人は言っていました。ご主人のいう在所とは、その土地で二代、三代、あるいはもっと長く続いている家という意味のようでした。
 たしかに、どんな祝儀であれ、不祝儀であれ、在所の動静がすぐに町を走ってくれないと、何も知らずにいた自分が義理を欠くおそれがあります。信楽にかぎらず、甲賀市のような田舎町では、そうした人間ネットワークの内側に留まり続けることが、生きるとほぼ同義になっています。うちの母親を見ていて、それを如実に感じます。

 ですから、もし、カオルコさん一家が、信楽町のそういうネットワークの一員で暮らしていたのなら、いまごろご主人のもとに第一報が届いていたはずです。何もニュースがないということは、地元にとって格別の出来事ではなかった証です。

 甲賀市出身とカオルコさんは公表しているけれど、その実、どこかの町とかすった程度の接点だったのかもしれません。



おまけ3:再び走る日を待つ信楽高原鉄道

20140119-_MG_6561新名神高速道路の信楽ICでドライバーを送迎するのは、信楽名物の狸です。狸の置き物は、国道307号背絵沿いのどの陶器店でも、店外の広い敷地に並べられています。値段は侮れません。インターチェンジに立つサイズなら、普通は2万円を超えます。台風18号では大量の狸が洪水で流されたそうです。2014年1月17日。

20140117-_MG_6384昨年の台風18号で、信楽高原鉄道(SKR)の仙川鉄橋が橋桁ごと水に流され、以来、SKRは運休になったままです。甲賀市は6億円の費用を予算計上し、完全復旧を目指しています。新しい橋桁だけは完成しました。写真では暖かそうに見えて、実は甲賀市の冬はとても寒いのです。私の住む草津市とは、最高気温が2度くらい違います。2014年1月17日。

20140119-_MG_6694 駅の構内で復旧の日を待ち続けるSKRの車両。利用者数激減による慢性赤字。台風被害から復旧させるだけの価値があるのかという疑問符も投げかけられました。公共交通の存廃はもっとも頭の痛い問題だと、大津市の要職を務める友人は言います。2014年1月19日。

カオルコさんは甲賀市生まれの東近江市育ち

 さて次の一手は何かなあと思っていた矢先、1月18日付の毎日新聞で以下の記事を見つけました。


直木賞:甲賀出身・姫野さん受賞 県内祝福の声 売り切れる書店も /滋賀 (毎日新聞 2014年01月18日 地方版)

 第150回直木賞を甲賀市出身の姫野カオルコさん(55)が受賞したことに、県内から祝福の声が上がった。受賞作「昭和の犬」には香良(こうら)市が登場することなどもあって県民の関心は高く、17日には売り切れる書店もあった。

 姫野さんは東近江市立聖徳中学校、県立八日市高校(東近江市)を卒業し、上京するまで県内で過ごした。高校で国語を教えた井上昭夫さん(63)=大津市=は現在も親交があるといい、10日ほど前に姫野さんから電話で「直木賞の候補になった。5回もノミネートされたことがうれしい」と連絡を受けたという。井上さんは「これだけ異なるタイプの小説を書き続けてきたのはすごい。高校時代も『柴田錬三郎が好き』とか言って、他の子が興味を持たないような本まで読んでいた。『おめでとう』と言ってあげたい」と喜んだ。

 中学校の英語教諭だった奥村實さん(75)=日野町=は「映画のことなどをよく話し掛けてくれ、好奇心や情熱を感じた。これからもどんどん作品を発表してほしい」と話した。

 中嶋武嗣甲賀市長は「これまでの努力が実を結び、才筆が花開いたことをお祝いしたい。郷土に思いを馳(は)せながら、ますますご活躍いただきたい」と祝福。嘉田由紀子知事は「人間とは、家族とは、という本源的な問いに向き合い続ける作風に共感する」などとコメントを発表した。【村瀬優子】


 まったく知りませんでした。カオルコさんは、いつのまにか、東近江市の聖徳中学校に通っていました。それなら、聖徳中学校からわずか1kmほどの八日市高校に進学したのも納得です。甲賀市からの学区外入学ではありませんでした。
 中学校入学までの、ある時期に、やはり甲賀市を離れていた。そう考えるのが正解のようです。

*1月29日、高校の同窓生から、聖徳中学→八日市高校は、経済小説家の幸田真音と同じだという話を聞きました。幸田真音さんは、そこから京都女子大学に進学しています。

 ここで、紫口市の「紫」が、東近江市の八日市を密かに言い表しているのではないかと思いつきました。万葉集には、八日市を舞台にした恋の歌が残っています。男女が心を伝え合う相聞歌で、これぞ道ならぬ恋の色彩といわんばかりに、「紫」が登場します。この歌でいきますと、都が近江大津宮に置かれていた頃の八日市は、季節によっては紫色に染まる野だったことになります。

あかねさす 野行き 標野行き 野守は見ずや君が袖ふる
(紫草の生えているご料地の野を行ったり来たりしながら、貴方が袖振っているのを野守がみるではありませんか)

のにほえる妹を憎くあらば 人妻ゆえにわれ恋めやも
(紫草が匂うように美しい君が憎かったら、すでに貴女は人妻なのに、どうして私が恋しようか。君が好きでたまらないのだよ)
  歌の訳は「ぶらり近江のみち(クリック)」から引用しました。

 この男女、誰かと思いましたら、なんと、額田王と大海人皇子(後の天武天皇)です。額田王は、天智天皇と大海人の両方から慕われてました。男二人は実の兄弟です。韓流ドラマ並みの三角関係。やってくれますね。

 紫口市の「紫」は、この濃密な三角関係にちなんだ八日市を指す。私には、これがいちばん魅力的なアイデアです。

20140124-_MG_7184額田王と大海人皇子の相聞歌は、船岡山の万葉歌碑として、石板に彫り込まれています。その石板は自然石にはめ込んでありました。「茜さす」は「紫」の枕詞だそうです。船岡山は、近江鉄道八日市線市辺駅のすぐ近く、東近江市と近江八幡市のちょうど境にあります。あの低い丘陵地形の形状はおそらく古墳だろうと思います。
滋賀県の観光情報はこういっていますーーー
額田王は大海人皇と愛し合いましたが、のち彼の実の兄である天智天皇の寵愛を受けました。この歌は、蒲生野遊猟のときに交わされたもので、人目もはばからずに袖を振って見せる大海人を額田王が咎めたのに対し、大海人が大胆にも人妻である額田王への激しい恋情を歌い返したのであります。額田王はもと大海人の妃であったのですが、この頃には天智天皇の後宮に入っており、この3者には極めて複雑な事情がありました。ーーー

20140124-_MG_7310船岡山は、とても静かな場所です。カカカカカカという音に気づいてあたりを見回したら、コゲラが木の幹をつついていました。

 さて、カオルコさんが中高時代を東近江市で過ごしたとなると、作家としての姫野カオルコは東近江市出身だというほうが的確だと私は思います。八日市らしい風景があちらこちらに登場することからも、東近江市の貢献度は低くありません。

 じゃあ、甲賀市は何かといえば、出生届を出しただけの場所です。私が東近江市長なら、甲賀市長に負けてません。

 東近江市は、辻亮一(1950年に「異邦人」で芥川賞受賞)や外村繁(池谷信三郎賞、野間文芸賞、読売文学賞)も輩出したエリアですから、うちの町には何かがあると、私なら言いたいところです。


おまけ4:多彩な顔をもつ東近江市 そして、昭和が現役

 東近江市も平成の大合併で誕生した自治体です。合併ですから、地理や歴史や暮らしぶりに基づく自然発生的な自治体ではありません。鈴鹿山脈の山村から琵琶湖岸の集落まで、普通はありえない組み合わせです。
 愛知川沿いの広い平野部には、聖徳太子の時代、百済からの渡来人がハイレベルな職工技術をもたらしたといいます。渡来人の手による石塔寺が有名です。
 五個荘町は近江商人の里として知られています。司馬遼太郎さんは、計数感覚に長けた近江商人に、渡来人の血流を見て取ろうとしました。

_MG_6862カオルコさんが卒業した八日市高校。とても広い敷地と、余裕をもった贅沢な使い方に驚きました。この広さは、農学科併設時代の恩恵でしょう。高校から市役所にかけての直線道路は美しい並木道になっています。2014年1月22日。

_DSC6641師走がくると、イルミネーションが東近江市役所を飾ります。八日市駅前から官庁街までの道路全体に電飾が施されます。2012年12月10日。

20140122-_MG_6853八日市駅から百数十メートルの浜野町交差点には、「たねや」と「Club Harie」があります。どの店舗も外観と内装に凝るたねやですが、八日市店には威風堂々という表現が実に似つかわしいと思います。2014年1月22日。

20140122-_MG_6770東近江市にも近江鉄道が通っています。物語のところどころに出てくる私鉄電車は、近江鉄道がモチーフだと思います。昭和時代の近江電鉄車両は黄色一色でしたが、いまはパトカー模様をはじめ、様々なラッピング車輛が走っています。アニメ「けいおん」の舞台となった豊郷小学校も東近江市の一部で、映画封切の頃はけいおんラッピングも走っていました。

20140122-_MG_6837
_MG_6816
20140122-_MG_6847上の3枚の写真は、新八日市駅。私はすごく気に入りました。この駅の時間は、「昭和の犬」の頃から止まったままです。この駅をロケ地に、受賞作を映画にしたいほどです。2014年1月22日。

20140122-_MG_6870東近江市の背後は山ばかり。すこし寒ければ山は必ず雪です。この山並みの奥には鈴鹿連峰がそびえ、冷たい風が容赦なく人里に下りてきます。2014年1月22日。

20140122-_MG_6896八日市のほんまち商店街。昭和の遺産というべきでしょうか、シャッターを下ろしたままの店が増えるいっぽうです。2014年1月22日。

20140122-_MG_6898太郎坊宮から見下ろす東近江市の平野。夕焼けは琵琶湖の向こう側に沈みます。これと逆方向です。能登川の琵琶湖岸に立ち、水面が黄金色に染まる夕焼けを見るのもいいのですが、今日はカオルコさんに縁が深い八日市の俯瞰ということで。2014年1月22日。

_MG_6958-Edit部活を終えた高校生たちが八日市駅に向かいます。信号を渡ったら「AL PLAZA」に立ち寄る生徒もいます。この季節のこの時間帯、暖房のきいた大型スーパーのフードコートは、次の電車を待つ高校生たちには欠かせない存在でしょう。東近江市の空気はキンと冷え込んでいます。2014年1月22日。

DSC02253
八日市から10kmほどの五個荘町、近江商人の郷です。作家の外村繁と辻亮一の出身地です。ひな祭りの時期には、それぞれの旧商家が、代々伝わる雛人形を展示します。2013年3月16日。

PB031356東近江市の奥にそびえ、三重県との県境をなす鈴鹿山脈。秋11月。黄色に染まる樹木が多いなと思いました。鈴鹿では、古くから炭焼き師や鉱山師の活動が盛んでした。いまは、中部や近畿の登山家たちに人気の山です。2007年11月17日。

P9151244東近江市の山奥、愛知川上流部の藤切谷で釣ったアマゴです。藤切谷は、近江から伊勢へ抜ける古道・千種街道に沿って流れています。織田信長の千種越ルートとして知られ、信長が甲賀忍者の杉谷善住坊に暗殺されかけた場所です。2007年9月15日。


気楽に読めておもしろいのに、常にズッシリとくる物語

 カオルコさんの受賞作「昭和の犬」は、育った時代と地域を共にする点で、「分かる、分かる」とか、「そう、そう、そうやった」だらけの小説です。子供時代に何をどう感じたかをよく覚えているなあと、そこにも感心します。

 あまり言い過ぎると、これから読もうとしている方々の邪魔になります。おもしろくて、気づかないうちに半分以上読んでいるくらいの気楽さなのに、常にズッシリきて涙寸前状態でした。

 滋賀県からの女流文学者は、万葉集の額田王以来。
 約2000年の沈黙を破って、姫野カオルコの登場です。



OLYMPUS DIGITAL CAMERA滋賀県甲賀市水口町Hちゃんの家。ここも、なかなか「昭和の犬」っぽい。棚の上のコルゲンコーワのカエル、見えますか?レコード盤がまだありました。ユーミンの古いアルバムです。「お兄ちゃんが買わはったやつやねん」とHちゃん。ここにあった昭和初期の机をもらってきて、いま私が使っています。2010年5月2日。

16 件のコメント:

  1. 「昭和の犬」を半分ほど読んだところで、ところで「香良市・紫口市」てどこにあるのかと、
    グーグルマップで検索したところヒットなし。
    やっぱりそうか、架空の地名か。この「やっぱり」はそうであってほしい、そうであるはずだ、が入り交じった気持ちだった。それは「遠近法」、そしてカバーの「犬のおぼろげない目線」からきたもの。
    そんな懐かしくも不確かな感覚を楽しんでいると、にこのブログに着地しました。
    そしてここでも「約2000年の沈黙」という時間の遠近法に出会い、
    「昭和の犬」後半がますます楽しみになっているところです。

    少しノスタルジックな写真とともに、カオルコ世界に浸ることにします。

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    1. こんにちわ。

      紫口と香良について、それらしいとこを実地見分しました。
      どこかの記事が、香良市は出身地の甲賀市だと書いてましたから、「絶対ウソや。もしそうなら幻滅や」と思いながら、自分の足で確かめました。
      直木賞受賞作家を生み出すような精神風土が甲賀市にあるとは思えないんですよ。

      物語の舞台はやっぱフィクションですね。
      各地の要素を、物語を進めるための設定にアレンジしていると思います。
      カオルコさんは、昭和の滋賀県を、イリュージョンのように描いてくれました。
      地元の私ですら、こんな滋賀県があったらよかったなと思うくらいです。
      そんななか、八日市(その当時は東近江市はなかったので)独特の空気感が、まるで写真のソフトフィルターみたいな効果になっているのかなと思います。
      いい町ですから。

      このコメントを頂戴しましたので、ちょっと八日市の写真を入れ替えますね。
      新八日市駅なんて、昭和が立ち止まっているようです。

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    2. 「昭和の犬」読了。
      引きづりながら、またこのブロクに着地、
      なんと、写真が差し替えられていました。

      昭和の「名画座」に立ち寄ったら、
      またまた昭和に引き戻され、
      毎日雪が降り続くモノトーンの世界(北海道)から、
      それこそソフトフィルターをかけられた色彩のある世界へ、
      小さなそれこそ小さなパラレルワールドを旅し、
      カオルコ世界の素粒子的な香りを身にまとい、
      懐かしさという異空間を楽しんでいます。

      「昭和が立ち止まっている」、
      的確で色彩のある表現に、
      おさちゅんさんの神髄を垣間見せてくれました。

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  2. こんにちわ。

    そう、写真を入れ替えたんですよ。新八日市の駅舎がめちゃええ感じなんですけど、みなさんによさをお伝えしたくて、天気のいい日に写真を撮り直しました。
    さらには、額田王と大海人の不倫スキャンダルまで発覚しまして、証拠写真を撮って入れときました。

    北海道の方でしたか。
    私の知り合いに、昭和何年だったかの、ミスユニバース北海道代表という人がいます。さすが、平成になって50歳を超えたというのに、まだまだきれいです。めちゃ酒飲みますけど。

    カオルコさんのおかげで、いままであまり気づかなかった東近江市のおもしろさを知ることになって、感謝しています。

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  3. なるほど、そういうことでしたか。甲賀市出身なんて公表されるもんで、甲賀のどの町のどの中学出身者かと、すごく気になったんです。というのも、同じ甲賀市で昭和33年8月28日生まれの私にとって、一日違いの生まれの彼女に興味を持つなという方が不思議。中学がすでに聖徳中というのなら、分らないのも当然。八日市高校に通うのなら、近江鉄道で水口町ろうと、勝手に思い込んでいましたが、確かに学区が違う。普通科なら学区が違えば無理のはず。しかし、同じ年の、同じ滋賀の空気の中に、そんな少女がいて、数十年後直木賞という賞をとるような事になるなんて。驚きと、ある種の同郷者、同年者の喜びというべきことが起きましたね。今まで、姫野カオルコも作品も知らなかった私ですが、まずは”昭和の犬”から読んでみようかなと思います。

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  5. え、甲賀市生まれで1日違い!
    ということは、神様が世の中に出した順番次第では、匿名さんのほうがカオルコさんやったかもしれません。

    昭和の犬を読みますと、ごく平凡で、どこにでもいそうなおとなしい少女だったみたいです。
    カオルコさんが滋賀県のそんな子供だったということは、滋賀県民の誰もが何かの拍子でもっと大物になれるのだと、あつかましくもそんな気持ちになりました。

    甲賀市を滋賀県まで広げても、本当に嬉しいことですよね。
    郡体で勝ったけど県体で負けたみたいな気分ですけど。

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    1. おさちゅんさん。郡体で勝って、県体で負けたの表現は、ちょっと分かりにくいのですが、ほんと、滋賀県まで広げても、直木賞受賞が出たことに純粋に喜べます。

      おさちゅんさんは、自己紹介で北陸の方にも営業で来られることもあるとか、私は25歳で故郷の甲賀を離れて、中国や香港や東京やらに住んで、最終的に金沢に定住して25年になります。金沢に来られた時には、故郷の甲賀談義などできたらと思いました。

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  6. へえ、金沢でしたか。
    今週、行きます。おそらく雪降ってますね。
    今回は分かりませんけど、ぜひ甲賀談義の機会をお願いします。
    25歳で故郷を離れ、金沢で25年間。足して50・・・
    あと中国と香港の分があるなあ。
    と一生懸命に歳を計算してます。

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  7. お久しぶりです。昨日やっと昭和の犬を読み終えたんです。購入後、第一章だけやっと読んで、長くそのままにしていました。
    そして、この土日にやっと読み切りました。だいぶ、旬を外してしまったので、この話もう先が続かないかな、興味もっちた抱けないかなとは思いながらも、書いています。

    さて、読後の感想なのですがいいですか?完全に時期外れですけど。
    この小説は、自伝的小説であり、受賞後のインタビューで第一章はほぼ実際のことらしいのです。ここで、主人公のイクが教会の託児所に預けられていたくだりがあるのですが、昭和30年後半から40年代に、甲賀市で教会の託児所がある町はあったかな?という疑問。水口に教会はありましたが、そこに託児所はあったかな、教会と一緒に幼稚園かなんかはあったような気がしますが。
    やっぱり、小学校に上がる前に甲賀市を離れて、八日市に引っ越していたような気がします。
    しかし、この小説の中に出てくる、会話、風景などは100%あの時代の僕たちの目や耳に入って来ていたものですね。
    読み終えては、感動ではないですが主人公イクが小学校から50代の大人の女性になる過程が全く重なるだけに我が事のように展開され、不思議な感覚をおぼえます。

    ところで、おさちゅんさん、どうしたら今度金沢に来られるとき、甲賀談義で一杯やれますかね。

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    1. いま金沢にいます(笑)
      4日~6日、駅前のANAクラウンに泊まっています。
      あ、そうかあ、ここに携帯を書くわけにいかないんですよね。
      場所と時間を定め合いましてお会いできたら幸いです。

      水口のあのキリスト教幼稚園は、私も通ってました。
      でも、託児所はやってなかったですねえ。
      他にキリスト教会はないので、多少はかおるこさんの脚色も入っているのではないでしょうか。

      あの小説を読んでから、近江鉄道が愛おしく思えるようになれて、いろんなラッピング車輛を見て楽しんでいます。
      小説の後半、東京時代になってからがもの足りない気もしたのですが、なんでもない毎日をうまく書いたものだなあと、そこに感心しています。

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  8. おさちゅんさんへ、なんとタイムリーというべきでしょうか。じゃ、5日の晩である今晩だけですかね。私はおさちゅんさんの、顔がわかるので、場所だけですね。この間五郎八で宴会されたみたいですね。もし、今晩ご都合よければ、夜7時30分にANAクラウンプラザのロビーに伺います。本日夕方6時半にこのブログ確認します。では。

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    1. はい、では7時半にクラウンのロビーでお待ちしております。

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    2. 5日夜のすし屋の甲賀談義はとても楽しく、有意義でした。
      一応、この話題に決着がついたのかなという思いで返信しています。

      姫野カオルコさんはたぶん昭和33年8月27日に甲賀郡水口町に産声をあげ、その後5歳までをこの地にくらし、八日市市へと転居。小学校、中学校、高校と八日市にて多感な青春時代を過ごし、大学進学とともに東京へ。そして、その後も東京にて、就職、小説家へと。その間、滋賀に残った両親を遠距離介護しながら、天国へと見送ったのでしょう。

      昭和の犬に出てくる風景は、甲賀のものであったり、八日市であったり、あるいは心の中で創り出された昭和が描かれているのだとおもわれます。この小説のおかげで、当時の滋賀、甲賀の懐かしい風景や人々が思い出されました。
      祖母の命日で3月15日に帰省しますが、たぶん故郷の風景がまた違って見えるのかと、楽しみであります。

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    3. 姫野カオルコさんは八日市が生んだ直木賞作家だと言うべきでしょうねえ。
      甲賀市がカオルコさんを誇りに思うのではあつかましすぎますね。

      でも、縁もゆかりも薄そうな甲賀市をカオルコさん本人がわざわざ出身地に位置づけているのですから、本人にとってはなにかスペシャルな土地なのだと思います。

      そういえば、明日から、「偉大なるしゅらぼん」が上映開始です。滋賀県はちょっと盛り上がっています。とくに盛り上がってるのは、長浜市かな。

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    4. iいや、滋賀県が生んだ直木賞作家であるとしておきましょう。生まれ育った土地というのは、そこが好きであれ嫌いであれ、本人には特別な土地であるのは間違いないところです。
      『偉大なるしゅららぼん』必ず観ようと思っています。楽しみです。

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