ずっと気になっていて、いっぺん入らなあかんと思っていた店。
JR環状線寺田町駅の近くです。
食べ終えて、ご主人に言いました。
子供のとき、初めてお好み焼きを食べたとき、あのときの味や。
私の生まれ故郷はどれだけ田舎だったのかと、いまになって思います。お好み焼きは都会的な食べ物でした。
いいえ、お好み焼きがというのではなくて、外食そのものが都会的な経験だったのです。
あの当時、私の故郷には「水口銀座商店街」というアーケード通りがありました。私たちが「銀映」と略して呼ぶ映画館もあって、銀映の西側は路地でした。
その路地のどんつきに、お好み焼き屋さんがオープンしました。水口町初のお好み焼きでした。
おいしい、こんなおいしいもん食べたことない。
高校生や大学生のいとこたちに連れられて、なにやらお兄さんめいた行動をとっているのも嬉しかった。アルマイトの器からキャベツがこぼれないようにかき回すのも嬉しかった。自分で焼くのも嬉しかった。でも、それ以上に、おいしいもんを食べられることが嬉しかった。
何がおいしいといって、やっぱりソースでした。家には絶対にない味です。
家に帰ってからなんとか真似してみようと頑張りました。
あの頃ですからイカリソースだったんでしょうねえ、そこにトマトケチャップ入れたり、醤油を入れたり、煮込んだり、冷ましたり、寝かしたり。
夏休みの自由研究になりそうなくらいやっていました。
手が届かないと分かれば分かるほど、ソースの味は憧れの味に変わっていきました。
いつの頃からかお好み焼きも、外食産業のくくりに含まれるようになりました。チェーン店を近畿一円とか、さらに広ければ全国各地とかに展開するビジネスに育ちました。
競争の激化、他店との差別化、メニューの多様化。
どこも味に工夫を凝らしますから、「ここのお好み焼きはハズレや」なんてことは、まずなくなりました。
でも、あの憧れの味は、どこに行った?
自分が過した歳月だけがあの憧れの味を知っているのか。
タラタラタ~ンタ~ンタ~ン(淋しい曲)。
ところが、ここにありました。あの味。
ジャジャジャ~~ン、パンパカパ~ン(嬉しい曲)
ほんまに音楽鳴らせないのがもどかしい。
ご登場願いましょう!
おまえはこんなとこにいたんか。知らんかったわ。
その気分でしたねえ。
食べ終えた私がご主人に告げたように、子供のとき、初めてお好み焼きを食べたとき、あのとき・・・その味でした。
あ~。おいしかった。書くべきはそれだけです。
時代の主流は目に見えておいしいお好み焼きです。目に見えておいしいお好み焼きを食べて、実際においしい。あ~嬉し。それはそれでよかったんです。
でも、いくら食べても時間までは遡れませんでした。
私が本当に欲しかったおいしさは、新しさではなくて古さ。
そういうことになるんでしょうか。
テーブルに作り付けのステンレス棚。そのなかから取り出すのは、コテから青海苔まで、お好み焼きを食べるための基本グッズ。そういうのが、えもいわれずレトロです。
いっぺん入らなあかんという気持ちでいつも通り過ぎていましたが、あれは、意識できないままの予感だったんでしょうねえ。
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