アンニョンハセヨ。
アンニョンハセヨ。
アーケード街の通行人と店先の店主とで交わされる挨拶。
電話しながら歩いている人も、通話相手にアンニョンハセヨ。
ここはコリアン・タウン鶴橋。
私も店に入るときに言いました。アンニョンハセヨ。
「魔法のレストランで紹介された」という看板が目に止まりました。その割にカラッポです。
鶴橋はTVネタの宝庫で、あちらこちらの店が次々とテレビ番組で紹介されます。それだけに、宣伝効果は長持ちしません。
小さな店内。ふたつしかないテーブル。奥のほうのテーブルに持ち運びできる液晶テレビ。店のママが「イサン」を見ていました。
ー魔法のレストランて、水野真紀さん?
-いいえ、来てくれたのは、もも子ちゃん、TKO、それから寛平さんもです。
壁に飾ってあるサイン色紙を見ると、魔法のレストランはこの店を2回取り上げていました。2007年7月にハイヒールのもも子と間寛平が来て、2013年9月にお笑いコンビのTKOが来ていました。
ー何か食べさして欲しいけど、何にしたらええのか分からへん。
ーうちのオススメはチヂミです。この海鮮チヂミね。
ーそれなら、そうするわ。値段書いてないけど、高いの?
ー1000円ですけど、よろしいですか?
ーオッケー、オッケー。それで頼みます。
ママはテレビを私のほうに向けてくれました。自分は調理場に向かいます。
「チャンムグの誓い」で見たことのある俳優ばかりが、宮廷のドラマを演じていました。しばらく見てから気がつきました。
ーママ、これ韓国語やんか。
ーあれ?字幕、出てませんか。
ー出てる。そやけど、ママは字幕なしで大丈夫やろ。
ーはい。私は全部分かりますよ。
ーそのほうが絶対におもしろいと思うわ。そのまま分かったら、この俳優は上手とか下手とか、それも分かるやんか。
メニューには韓流四天王のひとりであるペ・ヨンジュンの写真。壁にはKARAのポスター。私に分かるのはそのふたつだけでしたが、ところ狭しと芸能人の顔写真が飾られています。
鶴橋の場合、だから店主が芸能好きとも限りません。韓流ファンのみなさん、その熱心さをうちは理解してますよというアピール材料のこともあります。
ママはずっと料理を続けていました。カウンターで区切られた向こうが調理場です。10分か、15分か。
出てきたのは、ひと目で丁寧さが伝わるまん丸のチヂミでした。切れ目の入れ方がママの几帳面な性格を語っていました。
ーそれから、はい、これ。
ママが小皿で出してきたのはキムチでした。
ーはい、これも。はい、これも。はい、これも。
ママは5秒おきくらいの間隔で小皿を増やしていきます。
都合4枚の小皿に、キムチ、ナムル、オデン、それからおひたしみたいな葉野菜。
小皿がそんなに出てくるとは思いません。ひと皿増えるたびに写真を撮っていたら、iphoneのシャッターを合計5回も押すことになりました。
ーママ、この皿、オデンって何?
ー魚の、うーん、カマボコですねえ。
チヂミは旨みの詰まった円盤でした。
この円盤は空飛ぶ円盤じゃないけど、私の心が空を飛んでいます。
うまい。これはうまい。
たとえていえば、サツマアゲのように海鮮のおいしさがひとつになっています。けれども、それほど単純ではない。焼く熱によって水蒸気に姿を変えた旨みが、チヂミの内部に封じ込められています。口の中でそれがふわっと広がります。
醤油のような味のおつゆをつけて食べる分だけ塩味を引き算してありました。
「うちのチヂミは他とは違うでしょ。うちのチヂミは」と話し出したママ。けれども話しながら別のことをやり始めたもんですから、いちばん聞きたいところがムニャムニャムニャになってしまいました。
そして、小皿の4品。キムチがおいしい。ナムルもおいしい。オデンはカマボコのほうがおいしいと思いましたけど、その違いはお国柄というやつなんでしょうね。
いや、しかし、さすが鶴橋。アンニョンハセヨの街です。
店を出たら、「迷子になりそうや」と言いながら女性グループが歩いていました。
そのとおりです。アーケードのかぶさる路地が縦横に交わり合い、景色を覚えても覚えても、またよく似た景色が現れます。
何に圧倒されているのかうまく言葉にできないまま、圧倒される心地がおもしろくて、アーケードの下を歩き続けました。
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