親戚の四十九日があって、「ふじ吉」で夕飯をよばれてきました。
来月になったら、うちの父親の一周忌も、ここでやります。
私の郷里、滋賀県甲賀市水口町の場合、「ふじ吉やったら、まあ間違いないやろ」という家庭が少なくありません。
法事の店選びは、高齢者の便宜抜きに考えられない
法要は高齢者の出席ぬきにありえない。
うちの親戚ばかりではなくて、だいたいどこの家も似た事情でしょう。
日本の平均寿命が女性86.41歳、男性79.94歳です。身内も故人相応に年とっていて当たり前なんですね。法要の席では、次は誰の順番やろと、やっぱり考えてしまいますよね。
で、また、年寄りは律儀ですから、いうこときかん身体でも、なんとか法事だけは出ようとします。いや、そこまでしてもらうのは、ありがたいことなんですよ。故人に近い人に出てもらわないことには、やる意義も薄れますしね。
そのかわり、店選びの苦心が生まれます。おいしくて安い店でも、年寄り向けの配慮が不十分ですと失格です。
ふじ吉は、年寄り向けにちゃんとテーブルが用意されています。普段は座敷として使う部屋にテーブルを持ち込む形で、今回のようなケースに対応しています。
そこまでなら、いまどきはたいていの店がやってることです。
ところが、ふじ吉の場合、エレベーターまであります。これがいいんです。2階建ての店舗ですが、それでもエレベーターがついています。エレベーターの床面が畳です。年寄りたちは、「畳の上で死にたい」と常日頃から口にしますが、もちろん、それを見越した畳ではありません。
今回の四十九日には、90歳台の年寄りが二人含まれていました。階段を昇り降りさせようとしたら、付き添うほうがどれだけ大変なことか。ふじ吉の高齢者向け店作りが大いにものをいいました。
当代が京都の木乃婦から帰ってきて店が大きく変わった
私の郷里、滋賀県甲賀市水口町は、甲賀市内の便利さを一手に背負わされているような町です。
アル・プラザ、西友、アヤハ・ディオ、ニトリ、コメリ、カインズ・ホーム・・・。大型店舗が水口町に集中して、みんな買い物に来ます。
その反面、法事のようにあらたまった会席向けの店を探すとなると、ほとんど選択肢のない町です。かつてはそうでもなかったのですが、旧市街がさびれるに連れて、料亭も姿を消してしまいました。
郷里を離れた私は、サラリーマンになってからは転勤の連続で、よその町にはおいしい店が普通にあることを知るに至りました。それだけに、人口の割にいい店に恵まれない郷里がぶざまに見えてしかたありません。「なんでやねん?」と首をかしげるばかりです。
今回の四十九日の施主は、私の従兄弟でした。
彼も郷里は水口ですが、普段は東京暮らしです。どこの店を選んでいいのか知らない上に、いざ選ぼうとすると店が少ないことに気づいたはずです。けっこう困ったことでしょう。
しかしながら、その空白を埋めてくれる形で、ふじ吉が存在します。従兄弟も私も、ふじ吉のおかげで安心できました。
たしかに、選択幅が狭いなかでの選択です。かといって、苦肉の策でふじ吉に決めるわけではありません。ちゃんとした店だという理由で選べるからいいのです。
ふじ吉当代店主の平井要介さんは、京都市の「木乃婦(きのぶ)」で修業を積んできました。まだ40歳前後の若さですが、生まれ故郷の水口町に戻ってから、すでに12年か13年が経っています。
木乃婦といいますと、三代目の高橋拓児さんになってから、マスコミに登場する機会が増えた店です。高橋拓児さんは、京料理の新しいスタイルを追い求める料理人として、全国的に名を上げています。ただ、まあ、ホームページを見ていますと、三代目はどこか上滑りしていないかと思わないでもありません。
ふじ吉の要介さんが修業したのは、その前代の木乃婦です。いまのような創作料理によって注目を集める店ではなくて、仕出しや宴席を昔ながらの流儀できちんとこなす店として信頼を得ていた時代です。団体客ばかりの木乃婦ではなくて、個人客も増え始めた頃だと聞いています。
それがよかったと、もちろん私は言いたいわけで、あの時代の木乃婦に身を置いた要介さんは、地元に密着した会席料理店のあり方を、しっかり学んできたのだと思います。
要介さんが戻ってくる前のふじ吉といえば、寿司と天麩羅と茶碗蒸しを出前で持ってきてもらうくらいのことでした。それが、要介さん以降、「ふじ吉がえらいおいしいなったで」とか、「料理がぜんぜん違うねん」とか、「息子さんが京都で修業してきはったさかいなあ」といった評判が生まれ始めました。
その評判がいまではすっかり定着しまして、はじめにも言いましたように、「ふじ吉やったら、まあ間違いないやろ」と、信用の厚さは鉄板並みです。
当代店主である要介さんの名前も、要介護の老人が増える町の流れを見越したようでピッタリなのですが、その名前に負けることなく、2階建てなのにエレベーターまでついている店をこしらえてしまったわけです。
サプライズやインパクトよりも食べやすさを優先
この夜の料理は、年寄りの食べやすさをよく考慮してありました。
歯応えを楽しむ調理を避けて、入れ歯でも噛みやすいやわらかさに仕上げてありました。
全体を通して、もし個人客で食べに来たのなら、この料理ではインパクト不足を感じたことでしょう。しかし、この夜は法事の会席ですから、これくらい無難路線のほうが、招くほうも安心感があります。
上座には「南無阿弥陀仏」の掛け軸までかかっていました。法事の席を盛り上げるというのもなんですが、心配りが利いています。
いわゆる「八寸」。
柿の葉の裏には蛸の子が隠れていました。海から大きく離れたこの町ではきわめて珍しい食材です。
鱧の炙りがおいしくて印象に残りました。鮪もいい材料でした。
難を言えば、ふじ吉の刺身はいつもちょっとばかり生温かい。もう少しキリっとした冷たさならいうことありません。
朴葉と朴葉味噌を使って、卓上コンロで朴葉焼き。コース全体の流れとは少し毛色の異なる品だと思いますが、逆に、こういうものもないと食卓が淋しくなります。
ふじ吉の天麩羅はおいしいというのが、前からの定評です。この日は、叔母さんの四十九日だったのですが、その叔母さんは、娘夫婦が帰省してきたら、必ずふじ吉の天麩羅を出前注文していました。娘夫婦には母の思い出にもつながる味です。
いまが旬の鰹のたたき。残念、味が眠かった。鰹のたたきといえば、やわらかさを求めるような品ではないのですが、それをなんとかやわらか仕上げにしようとするあまり、本来の魅力を消してしまった気がします。
めちゃやわらかく焼き上げた牛肉です。
実は97歳の伯父さんからのリクエストです。肉が大好きです。
甲賀市の総人口が約9万4千人。そのうち95歳以上の男性は、わずか42人です。伯父さんは42分の1ということになりますから、「長生きしたけりゃ肉を食え」は真実なのかもしれません。
山芋と蕎麦の組み合わせ。これはおいしかった。山葵の量がぴったりで、これ以上でも以下でもバランスがわるくなると思いました。
この日の品々のなかで、私はこれがいちばん気に入りました。
鯖の押し寿司を、かつら剥きにした蕪か大根で覆ってありました。味でも、発想でも、心に残りました。さすがに寿司まで食べきることはできなかったのか、おばさんたちはパックに詰めて持ち帰りました。
デザートです。柿が甘くてやわらかくて、本当の高齢者ではない私にもうれしい一品でした。
ふじ吉は美代子おばさんのお気に入り
私が「葬祭のメモリーズ」と呼んでいる二人。うちの母(左)と美代子おばさん(右)です。両腕がまだ上がるうちに記念写真を撮っておこうということで。
美代子おばさんは、糖尿病歴が長くて、血糖値を気にかけています。その割には、身体能力面ではまだまだ元気で、グリコのマークみたいに腕が上がります。東京オリンピックは無理でも、糖尿オリンピックなら腕を上げてゴールインできそうです。
この美代子おばさんが、ふじ吉と親しくて、しかも近所ですから、なにかと詳しくて。
法事に招かれたり、友達との懇親会があったりで、多いときはひと月に2回くらいはふじ吉に来るそうです。ふじ吉は、こういうおばあちゃん世代のニーズを支えています。ついでに「ふじ吉杯」というゲートボール大会を始めたらどないやと思うくらいです。
食べログの口コミを見ますと、ふじ吉は隠れ家的な一軒と紹介してあります。そんなことありえない。「おばちゃんのブログは口がキーボード」と私が言ってるくらいで、美代子おばさんの知っている店が、隠れ家的存在でいられるはずありません。
うちのお父さんの13回忌もふじ吉でするでぇと、言ってました。
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