毎年、この時期、日野町では「ひなまつり紀行」が開催されます。2月9日から始まったイベントも3月9日が最終日です。ポカポカ陽気でもあり、日野商人の町並みを歩き回るにはちょうどいいと思って出かけました。
日野の町で、直木賞作家姫野カオルコさんのご親戚に遭遇しました。受賞作にはカオルコさんの子供時代が描かれていて、同じ滋賀県生まれの私は背景事情を詳しく知りたい気持ちでした。自力で調べてもなかなか知ることができなくてあきらめたのに、まさか雛人形の町並みでご親戚の方と出会うなんてねえ。探すのをやめたとき見つかることもよくある話でと井上陽水が歌ってましたね。
さて、日野町のひなまつり紀行は、いまも残る日野商人の町並みを散策しつつ各家庭の雛飾りを見て歩くイベントです。飾られている雛人形の年代は、享保から平成まで様々です。
とくに日野の町らしいのは桟敷窓越しに覗き込む雛飾りです。桟敷窓は、外を行く祭りの行列を屋敷の中から眺めるための窓です。開放されるだけで華やぎが生まれます。開け放たれた桟敷窓には赤い毛氈が飾られます。毛氈の赤が、板塀の色や木目、あるいは庭木の緑と好対照を為します。
写真上:桟敷窓
写真下:桟敷窓越しに覗き込んだ雛飾り
ところで、こういう雛祭りイベントの楽しみは古い時代の雛人形を直に見られることです。昨年、やはり近江商人の町として知られる五個荘町で、旧家のお座敷に上がってお雛様を見ました。日野町の場合はお屋敷にまで上がり込むことができないのですが、町内の旧家に伝わる骨董的お雛様を一箇所に集めて展示していました。
さすがに室町雛、寛永雛まで遡る古い雛人形はありませんが、それでも享保雛を筆頭に、有職雛、古今雛が揃っていました。また、個人拓にも享保雛や古今雛が飾られていました。
こういう古い雛人形は古い家系に伝わってきたものですが、末裔が屋敷を離れた家系も珍しくありません。
たとえば、下の写真のお宅は、ひなまつり紀行に合わせて古い雛人形セットを飾っています。地元の方の解説では、五人囃子の衣装に別珍(ビロード)が使われているところが特色だとのことでした。こんな時代物の雛飾りが残っているのは、山中兵右衛門商店の大番頭さんの家系だからです。
しかし、いまやこのお宅は住む人もなく空き家です。この家の場合、娘さんが近くに嫁いでおられますので家の世話はできます。
いっぽう、血のつながった方はすべて町外在住という家系もあり、屋敷だけが日野町に残されたケースも少なくありません。古い町並みがよく残っているように見えて、実は、残しておくより選択肢のない屋敷も多いわけです。
こうなってきますと、雛祭りのイメージカラーである薄桃色が町の瀬戸際色と混ざり合い、ふわっと切ない色が生まれます。
イベント最終日ということもあって、午後4時頃には町を歩いている観光客が私一人になりました。各家庭で片づけが始まっていました。
0 件のコメント:
コメントを投稿