膳所高校を昭和46年(1971年)に卒業した仲間が有志で集まりました。いまや早生まれでも61歳を越えた面々です。変わり果てたというと死んでしまったみたいですが、会う度、やはり確実に老けていきます。
みなさんは、いかがですか?
同窓会に出て、自分がいちばんあかん感じに見えることってないですか?
私は、そうなんですよ。自分がいちばんあかん感じに見えてしかたありません。友達でもありライバルでもあるというのは、こういうことを言うんでしょうかねえ。
まあ、いまもね、ベランダで煙草吸いながら草津の町を眺めていますと、中古マンションでも終の棲家は確保できたし、年金だけで辛抱できるのならなんとか暮らせそうだし、まあまあやないかと思えてきます。定年退職後の現在も再就職できてますしね。ちょうど孫の聖太郎も来ていて、なんやかんやあっても幸せなおじいちゃんではないかと満足してるんですよ。
ところが、同窓会では、レベルが高いというのか、ハードルが高いというのか、自分の人生が全然あかんかったと思い知らされてしまうことが少なくありません。
同窓会だけにねえ、どいつもこいつもあけすけですから、控え目というのがありません。その分、他人の暮らしぶりが余計に伝わってしまいます。それを聞いていますと、なんで自分はもっと頑張らなかったんだろうと悔やまれるんですよ。他人を羨ましがらせる話が自分には何もない。他の連中にはいくらでもある。それを、「この前テストけっこうよかってん」くらいの調子で話します。
会社を経営している男が「この業界では日本で三本指に入るぞ」とか言い出します。
夫婦で年間150日ゴルフに行ってるという奴もいます。
蘭山苦瓜の栽培計画を披露する奴もいます(大法螺くさいけど)。
東大を卒業して大銀行グループの副社長まで登り詰めた奴は、「今朝の日経の一面は俺のやってる仕事や」とか話し出します。そいつの収入をスマホで検索した女子たちが、「これ、年収? え、月収?! ウッソー!」と声を潜めつつ騒いでいます。
無職の男もいますが、そいつは株売買で十分に食えるいっぽう、「気」で病気を治療する霊能力に目覚め、ボランティアで人助けをしています。
この日は来ていませんでしたけど、同じ新聞部だった男は京大農学部教授になって今年は紫綬褒章をもらいました。
会社や地域でも他人との格差がいくらでもあるわけですが、そっちは歩んできた道が違うからとけっこう無視してしまえます。だから、ベランダから草津の町を眺めたときにも、穏やかな心境になれます。しかし、同窓生といえば、一度は同じ畑に寄せ植えされた作物どうしだっただけに、そこから生じた結実の差を素直に受け容れがたいところがあります。
自分で言うのもなんですけど、膳所高校は当時から県内一ともいえる進学校で、頭のいい奴が集まる場所でした。そんななかにあってすら、領域によっては同窓生以上の素質が自分にあったと思うんですが、結局サボり続けてたんですね。その結果が、いまこの年代になって、あたかも勝ち負けのように突きつけられます。ああ、もったいないことをしてしまったと思えてしかたありません。
でもね、高校を卒業後、同窓生とは直に競争してこなかったけれど、同じような道順と素質で育ってきた連中と競争してきたとは言えるわけです。その競争でサボりっぱなしだったんですから、同窓会に来てみて自分だけがあかん感じに見えるのは当たり前なんですね。
もちろん、私よりもあかん奴もいますよ。そいつは、学園祭で漫才コンビを組んだ男なんですが、残念なことに二度と同窓会に出席することがありません。いえいえ、あの世に行ったのならまだマシです。実のところは、女に溺れて会社の金を使い込み、その上、同窓生たちから借金しまくってそれっきり。どこかへ消えてしまいました。同窓会のたび、「あいつはどこにいるんだ?」という話題になります。
この夜も、自分は自分なんだと負け惜しみの連続。場を明るくする才能を発揮しつつ、心で泣いていました。寅さんみたいなもんです。
一次会は草津近鉄百貨店5階の「京割烹清元 雅庵」。集まりやすさと予算重視の選択なので、料理については可もなく不可もなし。私たちの高校時代以降、県内の人口分布や町の中味が大きく変化し、草津市のほうがなにかと集まりやすくなっているように思える。
飲み放題90分(1650円)を含んで5000円のコース料理。上から主膳、ご飯、デザート。
二次会はアーケード商店街のなかのフィオーレ。夜1時まで営業。酒や料理を注文しなくても喫茶店的利用で団体席がOKだった。私が嬉しかったのは、店の女性スタッフや若い客に美人が多いこと。こちらにも、トイプードルのようにかわいいKさんや、オリエンタル美人のYさんがいるけど、もう61歳やしねえ。
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