土曜日の朝、近江八幡市日牟禮(ひむれ)八幡宮まで出かけ、開店直後のCLUB HARIE日牟禮店で焼きたてバームクーヘンを食べました。
初秋を感じる風がときおり吹き抜けるイングリッシュガーデン。その心地よさがもったいないから、戸外のテラス席を選びました。
「うちら、普段はシャトレーゼで充分」という能登川のおばちゃんですら、「あそこの焼きたてバームクーヘンは行く値打ちがあるなあ」と言います。
日牟禮ビレッジ
日牟禮八幡宮は、平安時代に創建されたと伝えられる古式ゆかしい神社です。八幡宮の「八幡」が近江八幡の地名を生んだともされていて、近江八幡市の総社と位置づけられています。
八幡さんの大鳥居をくぐり、八幡堀の橋を渡ったところに、CLUB HARIE日牟禮店(洋菓子)と日牟禮の舎(和菓子)が店を構えています。ふたつの店舗は参道をまたいで向かい合っています。ともにたねやグループに属する店舗です。
日牟禮の舎は1999年(平成11年)にオープンしました。後れること4年、2003年(平成15年)にCLUB HARIE日牟禮店がオープン。この時点から、たねやグループは、この区画を「日牟禮ビレッジ」と呼び始めました。
私は、日牟禮ビレッジという命名におさまりのわるさを感じます。どこがどういう風にビレッジなのかわかりません。地元の人たちには、あそこは八幡さんだけでええのやろ。語感をだいじにしすぎて中味があいまい。そういう東京人みたいな発想は好きやない。ええかっこしすぎやないかと言わせてもらいます。
日牟禮八幡宮
洋菓子のクラブ・ハリエ
和菓子の日牟禮の舎(看板はたねや)
CLUB HARIE 焼きたてバームクーヘン エアロカプセルの仕業か?
CLUB HARIEの焼きたてバームクーヘンは、柔らかさとしっとり感を最優先に焼き上げられます。
バームクーヘンは、焼き時間が長ければ日持ちがよくなる反面、焼き時間をかけた分だけ仕上がりが硬くなりやすいといわれています。
2002年1月~12月まで毎日新聞滋賀版に連載された「やがて実果(みのり)のーーーたねや物語」によりますと、CLUB HARIEでは、焼き時間を短くすることで柔らかさとしっとり感を確保しているとのことです。
まさか焼く時間だけではなかろうといったところですが、それくらいの要素だけなら公表してもかまわないということでしょう。賞味期限1週間のバームクーヘンの場合は1本50分だと、毎日新聞が書いています。
柔らかさ優先で焼き方を短くしていきますと、なかには芯棒から落ちてしまうバームクーヘンも混じってくるそうです。もちろん商品にはできませんが、実はこれを食べるのがいちばんおいしい。
毎日新聞はそのような逸話も紹介しています。
落ちてしまうバームクーヘンにもっとも近いのが焼きたてバームクーヘンなのかもしれません。それくらいに柔らかい。そして、おいしい。
焼きたてバームクーヘンを食べるたびに、このフワフワ感はもはやバームクーヘンではなかろうと思います。
さっきまで卵でした。さっきまでバターでした。素材がそんなことを語りかけてきます。この点では、いわば生菓子です。
焼くことで素材の持ち味を空気に閉じ込められるのでしょうか。なにか微小なエアロカプセルが散らばっているようにも感じ、それがこの風味の秘密ではないのかと、いつも思います。
しかし、焼きたてバームクーヘンもいいことづくめではありません。日持ちはまったくよくありません。焼きたてバームクーヘンの店頭販売には、日持ちの短さをきちんと伝えるための丁寧な説明が加わるほどです。
そんな焼き菓子をバームクーヘンと称しては、味も日持ちも求められる菓子職人さんたちへの反則技じゃないでしょうか。
CLUB HARIEのカフェでは、どの客もカメラを構えていました。あんたもブログやってるんですか?と聞いてみたいくらい。
「いやあ、ええなあ」の気持ちが撮影の動機であることは、これだけ写真を撮ってきましたからよくわかります。
50歳半ばに見える夫婦連れが、娘さんに電話していました。「なんか、ええとこや」と伝えていました。
バームクーヘンの味が人気の大きな要因ながら、写真をいっぱい撮りたくなるほどの環境でお菓子を食べる経験。これまた人気の理由でしょう。
CLUB HARIE日牟禮店の販売スペース。客の殺到風景がないのは平日の午後4時くらいだったから。土・日・祭日は混み合っています。
併設されるHIMURE CAFEのセールス・ポイントは、イングリッシュ風庭園とクラシックな洋室(特別室・要予約)です。オリジナルの家屋はヴォーリズ建築の洋館だったそうです。
混雑時には販売スペースにまで空席待ちの行列が延びてきます。並ぶのが嫌ですし、せわしない雰囲気では値打ちがないので、私は開店直後に出かけました。
こちらは店頭で販売される焼きたてバームクーヘン。今朝の第一弾が焼きあがったばかりなのでまだ客がいません。やがてここにも長い行列が生まれます。
人気の理由のひとつがこれです。バックヤードの見せまくり。このスタイルを取り入れる競合店が増えているそうです。
和菓子の日牟禮の舎(日牟禮ビレッジたねや)初詣で行ってみたいな
CLUB HARIEの向かい側に、和菓子の日牟禮の舎があります。
古い商家ではないかと思われる家屋を改装して、買い物・喫茶・食事のすべてを可能にしています。
この日牟禮の舎について、たねやグループCEO山本徳次氏は、前出「やがて実果(みのり)のーーーたねや物語」のなかで、このように語っています。
1998年3月にオープンしたときは「あんな店、なんでつくったんや」と批判もされた。でもこの店は近江八幡で生まれた当社のご恩返しの思いを込めた店。ご縁があって来ていただいたお客様に喜んでいただければそれでよい。最善のおもてなしをすることで、別の店にも行っていただけるはず。
実は、私も、日牟禮の舎を初めて見たときには、「こんな店、なんで作ったんや」と思いました。自分自身の「なんで」を振り返りますと、他の人の「なんで」にも多種多様な批判が含まれていたのだと思います。
けれども、何度か来ているうちに、日牟禮の舎が日牟禮八幡宮の参道に花を添えていることを確信するに至りました。
千年の歴史を有する八幡宮自身、時代に合わせて変化し続け現在に至っています。べつに金閣寺を真っ赤に塗り替えるような暴挙でもなし、平成の時代には平成なりの魅力作りがあってかまわないと思います。
平成生まれの店なのに、従来からそこにあった景観とのからみ方には風格すら感じます。
上の4枚の写真は、日牟禮の舎内の日牟禮茶屋です。訪れたのは真夏でした。本わらび餅というのを注文しました。氷の透明さがいまも記憶に残っています。観光スポットである「近江商人の町並み」に近接する場所柄、かつての町民暮らしを見せる要素も含まれています。
日牟禮ビレッジが地元観光スポットを下支え
日牟禮ビレッジの周辺一帯は、伝統的建造物群保存地区に選定されています。近江八幡市の場合は、1991年(平成3年)に国の選定を受けました。
初めてここを訪れたとき、1週間前に加悦町のちりめん街道に行ってきたばかりでした。同じ伝統的建造物保存地区だというのに、集客力には大きな開きがありました。
その集客力に対してたねやグループの日牟禮ビレッジの貢献度はいかほどか?
まあ、ブログですから、ここまでの内容を見たら貢献してるのがわかるやろで済ませてしまってもかまいません。
けれども、自分自身が知りたくなって、近江八幡市や滋賀県の観光統計資料を参照してみました。
【観光客数300万人突破の牽引役】
出典:データで見る「近江八幡」の観光http://www.omi8.com/gaiyo/data.htm
山本徳次氏が「近江八幡への恩返し」と位置づける日牟禮の舎がオープンしたのは平成11年(1998年)のことです。
上の棒グラフを見ても、平成11年~15年までの観光客数に顕著な増加傾向は認められません。
ところが、平成16年に一気に200万人を突破したかと思えば、平成19年までのわずか3年間で300万人に達してしまいました。
CLUB HARIE日牟禮店のオープンが、平成15年11月です。観光客数の一気上昇がCLUB HARIE効果であると言ってしまってかまわないでしょう。
平成11年からの数年は、CLUB HARIEの知名度が上がり続けました。
梅田阪神や日本橋三越をはじめとする大都市のデパートから出店を請われ、バームクーヘンで県外へ出ていった期間にあたります。
いまのCLUB HARIEはいっときほどではないという地元の声が聞こえてきます。その「いっとき」とは1998年からの数年間を指しています。県外の評判を県内に逆輸入するような形になり、そのまま日牟禮八幡宮の観光客数増大につながったのでしょう。
ただし、平成19年の300万人到達要因はCLUB HARIEだけではないと、私は思っています。
平成18年に近江八幡市の水郷地帯が国の重要文化的景観に選定されました。これが平成19年の観光客数を押し上げたのだと推測しているからです。
平成20年と21年には観光客数が減り、棒グラフに小さな谷間が見られます。ところが、平成22年には、再び300万人台に復活しています。
実は平成22年、近江八幡市と安土町が合併しました。これによって、安土城を訪れた観光客数を近江八幡市に合算できるようになりました。
しかも、平成23年には、NHK大河ドラマで「江 -姫たちの戦国 -」が放映されていました。信長ゆかりの物語が安土城の観光客数を増大させたにちがいありません。
したがいまして、平成22年・23年の観光客数復活は、近江八幡本体の魅力度アップに基づかない可能性が高いといえます。
こうした統計的事実から、日牟禮ビレッジのパワフルな牽引力は誕生後4年~5年間で終息し、その後は観光客数下支え、言い換えれば「負けない近江八幡市」に貢献しているのだと思います。
【日牟禮ビレッジ以降にベスト10入り】
次に滋賀県が公開している統計資料を見てみますと、日牟禮ビレッジの貢献度をさらにハッキリと知ることができます。
滋賀県では観光地別に観光客数を集計し、年度ごとにそのなかのベスト30を公表しています。この資料は日牟禮八幡宮だけをピックアップしてありますので、観光客数増の要因を日牟禮ビレッジに絞り込めます。
この統計資料を表にしてみました。
なお、滋賀県の場合、近江八幡市のデータとは観光客数のカウント基準が異なるのだろうと思います。数値に開きがありすぎます。
年度(平成) | 順位 | 観光客数 |
12 | 18位 | 395400人 |
13 | 21位 | 391200人 |
14 | 17位 | 397000人 |
15 | 19位 | 365200人 |
16 | 9位 | 491900人 |
17 | 9位 | 511900人 |
18 | 9位 | 553800人 |
19 | 7位 | 620800人 |
20 | 10位 | 586400人 |
21 | 7位 | 646100人 |
22 | 7位 | 605500人 |
統計の元資料は、http://www.pref.shiga.jp/f/kanko/irikomichosa10/irikomi_chosa10.html
予測どおり、CLUB HARIE日牟禮店の誕生翌年にあたる16年度に順位がポンと上昇しています。観光客数自体も一気に10万人増となっています。
この表からはわかりませんが、もうひとつ特筆事項があります。
平成18年度、八幡堀が初登場で10位の快挙を成し遂げたことです。それ以前、八幡堀の名前は、ベスト30のなかに見当たりません。平成18年度以降も、八幡掘は8位~9位を維持しています。
これについては、日牟禮八幡宮を訪れた人が八幡堀も訪れた相乗効果だと思われます。
日牟禮八幡宮と八幡堀はシームレスにつながる観光スポットどうしでもありますし、双方の観光客数がほぼ同数である事実からも、こうした推論でいいと考えています。
八幡堀の景観保存運動は民間主導で始まりました。八幡堀の埋め立て計画に反対の声を上げたのは町の人たちでした。その行動が、観光スポットの八幡堀につながっています。
日牟禮ビレッジが八幡堀の観光客数増にも貢献したという成果をみれば、山本徳次CEOの「近江八幡で生まれた当社のご恩返しの思いを込めた店」という言葉が現実のものになったといえるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿