ワン・ツー・スリーというのは、私たち家族が富山市に住んでいたときの住所です。1980年頃のことです。大泉本町1ー2-3という住所ですから、ワン・ツー・スリーなのです。
当時のアパートがそのまま残っていました。
ほんとに偶然でした。
たまたま缶コーヒーを買いたくてセブンイレブンに立ち寄ったら、そこが前に住んでいた場所のすぐ近くでした。30年前は、そこにサンフレッシュという食品スーパーがありました。
自分たちが住んでいた建物も別の何かに変わってるんだろうなと思いつつ、向かい側の歩道に目をやったら、なんと、何も変わらずに建っていた。こういう次第です。
この建物、アパートともマンションともいいません。大泉ビルディングといいます。それだけでも大袈裟なのに、私たちの部屋の名前が「立山」でした。
部屋番号をごく普通に言えば「402」です。ところが、部屋から立山連峰がよく見えることにちなんで、わざわざ「立山」という名前がつけてありました。おまえは旅館か! 部屋の名に恥じず、こたつに入ったまま、雪に輝く立山連峰を眺めることができました。ちなみに、隣の401は「剣」でした。剣岳の剣です。
ここで、長男の直也が生まれました。その直也に、いまは男の子がいます。今年1月に生まれた理久斗です。
生まれた頃の直也の写真をここに載せたいと思って、やっと1枚見つけました。長女の基子と一緒に写っています。
直也の時代、写真はフィルムです。いまの時代に生まれた理久斗はデジカメです。
理久斗の写真はクリックで現われ、クリックで消えます。あの写真はどこへ行ったと家探ししなくてもいい。いまの時代、写真はモノでなくなったんですね。かといって、幻でもありません。じゃあ、何か?はて、何でしょう。
おかしなもんです。自分は時代の変化になにも貢献した覚えはないというのに、時代はちゃんと変わっています。
長女の基子は2歳でした。妻お龍がふと見たら、基子が薬の引き出しを開いていて、セデスだったかバファリンだったか、頭痛薬のシートが何錠も空になっていました。
え?この子、ひょっとして、食べたの?
食べたのかと確かめたら、「うん」と答えます。
食べたの? モコちゃん、ほんとに食べたの?
うん。
お龍は、あわてふためいて、救急車を呼び、富山県立中央病院に急ぎました。
いまでも覚えています。小児科の石黒先生に助けてもらいました。すぐに胃洗浄でした。頭痛薬の主成分はアスピリンです。子供の場合、3gのアスピリンでも致命的です。
幸いにも、だったのか。さもなくば、本当は食べていなかったのか。入院はひと晩だけで、翌日にはけろりとして戻ってきました。
お龍は、あれは自分が飲んでいた錠剤シートかもしれないと、その可能性を捨てられませんでした。
あれ以来、10年に1回ずつくらい、「あのとき、ほんまに食べたか?」と基子に尋ねてきましたが、答はいつも「食べたよ」です。基子はいま35歳だったと思います。来週になったら、聖太郎を連れてここに来ますから、もう1回尋ねてみようと思います。
富山にて。基子は右から2番目。タケちゃんマンが大流行りだった時代。
0 件のコメント:
コメントを投稿