前の会社で同期入社だった男。
キモオジと呼ばれてキャバクラでいたく慕われているそうだから、ここでもキモオジと呼んでおこう。
彼が舞鶴まで出張だというので、「よこ田」で飲んだ。一品なんでも600円。値段の心配がない。楽膳楽座と店は自負する。
女好きにも様々ある。しばらくキモオジと出会わないうちに、彼はネールアート収集オヤジになっていた。きれいなネールアートの女性に出会うと、写真に残しておきたい気持ちを抑えきれないそうだ。彼の携帯にはそうして撮り貯めた写真がいくつも保存されている。ブログで使わせてくれと、その一部をメールしてもらった。
キモオジがネールアートに初めて心奪われたのは東京へ向かうのぞみの中だった。
名古屋から女の人と隣り合わせになった。
その女性のネールアートの美しさが彼の眼をとらえた。
膝の上にヴィトンのバッグ。
そのヴィトンの上で重ね合わされた左右の手。
細く長い指とネールアートがまぶしい。
展覧会の絵画を見ているみたいで目が離せなかった。
「写真を撮らせてもらえませんか?」と何度も切り出そうとした。
しかし切り出せない。切り出したい気持ちを無駄に空回りさせ、ドアーの上に流れるニュースばかりを読んでいるうちに、臨席の女性は眠り始めていた。
黙って撮影させてもらおうか・・・
ツメも黙って撮ったら盗撮か・・・?
盗撮には違いないとしても、ツメならば道徳上の罪で済むのか?
それとも、やはり刑法上の罪か?
そんなことを考えつつ、汗ばんできた掌に携帯を握りながら、いちばん地味なシャッター音に設定を変更した。
やがて窓から富士山が見えるようになった。
眠っている女性がシャッター音で目を覚ますかどうか。富士山を撮っているふりをしながら試してみればいい。そう決意した。
そう決意してからも、口は渇く、心臓は脈打つ、他人の目は気になる、緊張で指は固まる。
珍しくもない富士山だが、窓から見えるたびに撮影してみた。腕を伸ばし気味にして、女性の顔になるべく携帯を近づけて撮影した。
チャリリ~ン。チャリリ~ン。チャリリ~ン。
三発連続撮影でも女性は起きなかった。
となれば、富士山の見えている間が好機だ。たしか富士川鉄橋までか・・・。
数枚の撮影に成功した。女性が目を覚ましたのは新横浜だった。
その日を境に、キモオジのネールアート熱が一気に開花した。きれいなネールアートに出会うと見過ごせなくなった。盗撮はあの日の一度きりで、ちゃんと相手にお願いして撮らせてもらっている(そうだ)。
「気合の入ったネールアートを携帯で撮るのは申し訳ないけど」とキモオジのトークは続く。
携帯のカメラ性能だけでどこまできれいに残せるか。その努力過程にもハマってしまったのだという。
よこ田のカウンターのなかでは三人の若い女性従業員が働いている。もちろん、彼女たちの爪はスッピンだ。ただ、この店の味と値段のバランスはアートである(この言い方、缶コーヒーのCMを真似した)。
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