冷え込みます。さすが立冬。立冬は、ほとんど毎年11月7日で、年によっては8日です。
写真は琵琶湖、浜大津の花噴水。寒かったから、見物のカップルがひと組だけでした。
2014-11-07
2014-05-06
ローザンベリー多和田(滋賀県米原市) 連休で子供がいっぱい、お龍はギャザリングを学ぶ
うちの妻お龍のギャザリングです。いわば寄せ植え。米原市のローザンベリー多和田で、大沢恵理子先生の指導を受けながら、6種類か7種類の苗を植え込みました。
植え込んでから2日後の夜明けです。それぞれの草花がもっと育つまでは寄せて植えただけにすぎません。
2014-05-04
善光のにしん蕎麦(滋賀県長浜市) 店の自慢はにしんの味
桜の季節に初めて寄ったそば処善光を再訪しました。
あのときは焼鯖そうめんを食べたのですが、その焼鯖がめちゃええ味でした。女将さんが、「にしんと同じように煮たるさかいに」と言わはりました。
「うちはにしん蕎麦が評判ですねん」ということでしたので、「それやったら、次はにしん蕎麦や。もういっぺん来るわ」と、その場で決めたのです。
2014-05-03
2014-04-10
長浜城・豊公園の桜(滋賀県長浜市) 秀吉さんのキャラが花見にも重なって
無礼講じゃ。皆の者、大いに花見を楽しむがよい。
秀吉さんのそんな声が聞こえてきそうな長浜城・豊公園。彦根城は見て楽しむ桜ですが、ここは一緒に遊ぶための桜です。うきうきするこの楽しさ。全国お花見百景に入っている理由がよく分かりました。
2013-12-09
ガラス細工と親子丼 ぐっと冷え込む長浜市
思い立って、長浜へ行きました。
いちばんの目的は、鳥喜多の親子丼でした。
長浜駅前に到着したのが3時半くらいで、鳥喜多が休んでいる時間帯でした。夕方の営業は4時半からです。
それまでの間、黒壁スクエア周辺のガラス細工を見て回りました。
2013-06-11
菊水飴(滋賀県長浜市余呉町) 昔ながらの水飴、中味は麦芽糖
賤ケ岳合戦で知られる余呉町は、かつての北国街道沿いに位置します。
北国街道は滋賀県米原から新潟県直江津を結ぶ長い道ですが、余呉町だけにスポットを当てれば、近江側の北国街道最北集落であり、峠を越えればそこが越前という国境でした。宿場は隣接する木ノ本にありましたので、おそらく余呉は通過地点だったと思います。それと同時に、真言宗・菅山寺の門前町でもありました。
昔の旅人もふとここに立ち寄り、水飴を買い求めたことでしょう。北国街道当時の道幅そのままの道路に面して、菊水飴本舗があります。
2013-01-30
鳥喜多(滋賀県長浜市) 玉子かけごはんのような親子丼
長浜においしい親子丼があって、だいぶ前から評判が高い。
そう聞いていましたが、なかなか立ち寄る機会がありませんでした。
親子丼がおいしいとはどういうことなんだろう。
やってきましたのは、長浜駅にも黒壁スクエアにも近い鳥喜多です。
2012-10-05
道で買う29 サラダパンとサンドウィッチ 北陸自動車道賤ヶ岳サービスエリア
滋賀の名物サラダパン・・・
そうやったかいな? サラダパンが滋賀の名物やったかいな?
首をかしげて見つめておりますと、他のお客が5個も6個も買っていくではありませんか。
これはおいしいのかもしれない。さっそく食べてみました。
2012-09-07
梅花藻と伊吹艾(ばいかもといぶきもぐさ) 醒ヶ井・柏原(滋賀県)
近江は、古くから交通の要衝と位置づけられてきました。それだけに、近江の「実効支配」をめぐって、戦国武将のせめぎあいが絶えなかった土地でもあります。
今回の滋賀県米原市には、東海道本線、東海道新幹線、北陸線、国道8号線、名神高速道路、北陸自動車道、すべてが通っています。
それら現代の動脈が忙しさの圧力で流れるのとは裏腹に、静脈血が受動的に流れるが如く、中山道の面影がいまも人の生活に寄り添っています。
近江が大好きだった司馬遼太郎さん。その著作「近江散歩」に触発されて、中山道の醒ヶ井宿と柏原宿に立ち寄ってみました。
2012-08-24
余呉湖(滋賀県長浜市余呉町) まだ真夏やなあ
滋賀県最北の地、余呉湖です。
子供たちが水につかってバチャバチャやっていました。
秋を探しに来たなんて そんな私がバカなのね
ひょっとして余呉湖ならばと期待しながら、夏から秋への移り変わりを探しに来たのです。
2012-08-08
焼鯖そうめん 北ビワコホテルグラツィエ(滋賀県長浜市)
湖国近江と鯖のつながりといえば、まずは鯖街道。若狭の鯖を京へと運ぶために、近江の山間ルートが効率的でした。これが鯖街道です。
この鯖街道は琵琶湖の西側を通ります。いっぽう、焼鯖そうめんが郷土料理だとされる長浜市は、鯖街道から琵琶湖を挟み、向かいの東岸に発達した町です。生のままの鯖を長浜まで運ぼうとすれば、途上で腐ってしまいます。
そこで、です。「読売旅行」の記事によりますと、長浜には、港であらかじめ鯖を焼いてから運んだのだといいます。京に運ぶのも長浜に運ぶのも距離は似たようなもんだと思いますが、昔の湖北の山越えが険しすぎて日数を要したのかもしれません。