2010-09-30

VUCCIRIA da CATERA 福知山市 イタリアン 「写真撮影はいけません」


 会社のすぐ隣に「VUCCIRIA da CATERA」という小さなイタリアンレストランがある。隣がゲームソフト専門店になってしまって、レストランが目立たないばかりか、隣が俗っぽい商売なもんで、場末の飲み屋みたいな風景になってしまった。気の毒なことである。

 初めてそこへ行って、出てきたパスタを写真撮影した。
 途端に、店の女性から、「できれば写真は遠慮していただけませんか」との声。


 この店では写真撮影が行儀違反に当たるようだ。
 ストロボ撮影でもないし、人物撮影でもないし、正装でフレンチのフルコースでもないしと反発したいところだが、この店に入ってしまったかぎりは不適切な行為だったと自戒。


 店に入った瞬間の空気にもっと敏感であればよかった。
 先客の二組が異常とも思えるほどに静かな食べ方をしていた。
 声を潜めてしゃべり、楽しそうに笑うこともなかった。
 陽気なイタリアンという言葉は一般的だが、ずいぶんと陰気なイタリアンだ。


 店の面積が小さいので、テーブルどうしの間隔も狭い。おしゃべりにしろなんにしろ、静かに食べる以外の音や所作は即座に他の客への迷惑と化す。化すというよりも、それを迷惑と解釈する店らしい。そうなったのが店の流儀ゆえか、あるいは常連達の気質ゆえか定かではないが、私は店の姿勢ゆえだと推測している。
 というのも、客のテーブルまで来て撮影禁止の趣旨を伝えるでもなく、カウンターの中から客の方向へ短い言葉を飛ばしてきた。一方的通告とまではいわないが、1に満たないにせよ0.6方的通告くらいのきつさはあった。少なくともコミュニケーションではない。
 デジカメや携帯で手軽に高画質の写真を撮れるようになった現在、食べたものを写真で思い出に残す人は増えている。その欲求を店がどこまで制限していいのか、世間に共通の合意はとくにない。
 といったところなのに、客の心象を顧みず、この店は少し高飛車ともとれる伝え方だ。店内での他のマナーについても同じような上から目線で店の流儀を伝え、店の側が客を淘汰してきたに違いない。店の女性がこちらの視野の内で配膳の準備や食器の片づけをしている。店と客の間で互いの一挙一動を気にかけざるをえない環境だ。
 結果として、肩をすぼめて食べる作法に耐えうる客だけが通う店となり、陰気なイタリアンを絵に描いたような店になった---と、私は考えている。


 ただ、ま、そんな店とは知らずに無神経にも写真撮影をしてしまった自分が軽率だった。


 パスタがさほどではないと感じたことは言っておきたい。わざわざこの店を選んで明るい雰囲気を犠牲にしてでも食べるだけの値打ちがあるとは思えなかった。パスタなら、同じ福知山市内のモルトボーノ・ピッコロやROSSOの味のほうが人なつこくて親しみがもてる。あちらの店ではどの客も楽しそうにしゃべっている。


  VUCCIRIA da CATERAを日本語に訳すと「二度とごめん」になる(ウソだよ)

2010-09-27

野間 シリーズの1 京丹後市 弥栄町 そば 「野間亭と田渕夫妻」

そば屋の野間亭

 海もいい。山もいい。
 これが丹後だ。
 うちの支店長や所長は、丹後に来たらこう言う。
 「あんたのエリアに来ると仕事を忘れそうやな」
 わかってくれてありがとう。
 俺は丹後を担当した初日から仕事を忘れたよ。

野間川。鮎の川。野間では、何もかもが川沿いにある。人家、農地、寺、墓、学校、郵便局・・・

  弥栄町の山村、野間に、「野間亭」というそば屋がある。docomoの電波が届くぎりぎりの場所にある。
 表からみたかぎりではやっているのかやっていないのかわかりにくいが、火曜日以外はやっている。

看板は手作り

日にすっかり焼けたのれん。これも手作り

野間の忠犬ハチ公
 私と同い年の田渕さん。少し年下の奥さん。二人の店だ。
 表にハチという名前の柴犬がいる。ハチといえば忠犬ハチ公だが、このハチは常連客をなかなか覚えない。私が行く度にまずは咆える。「また忘れたか、おまえは」と奥さんから言われる。



 田渕さん夫妻は網野に大きな家を持っている。ところが、その家には酒を飲んで寝るために帰るだけ。二人の生活の軸は野間亭だ。
 以前は田渕さんも会社勤めをしていた。しかし、大病を患った。健康はすっかり回復したが、その回復を機に自ら職場を去った。そして、奥さんの郷里である野間で空き家を買った。そば屋を始めた。いうまでもなく自家製そばだ。

ワサビは山から採ってくる。出汁には魚ダシも使う。

店の薪ストーブ。晩秋から冬には大活躍
 一日に何人の客が来るのだろう。雪の日は、雪が降るのを眺めているだけで一日が終わる。

 繁盛しないからいろいろなことができる。
 蕎麦を打つ。畑で野菜を作る。自前のソバ畑の世話をする。山にワサビを採りに行く。農機具の手入れをする。薪を割る。家の修繕をする。客と世間話をする。鮎を追って川で遊ぶ。今年からは一反くらいの米作りも始めた。

 山村暮らしに伴うさまざまな不便を、田渕さん夫妻は自力で解消する。しんどそうな顔つきを見たことがない。笑っている。いつも笑っている。
 野間亭、田渕さん夫妻、野間という山村。
 何回かに分けて書くことになるが、どうかお付き合い願いたい。







座敷もあるから客を受け入れるキャパは充分

この日、田渕さんは外壁の板を新しくしていた

田渕さん夫妻とハチはいつも一緒

森林の工房 京丹後市 弥栄町 牛乳 ソフトクリーム 「牛はお留守」




ソフトクリーム

森林の工房」へ立ち寄った。
 道沿いの牛たち、今日はお留守。1頭もいなかった。
 牛と触れ合うことができなくて、女子大生風4人グループがしきりに残念がっていた。
 この子牛君は、ちょっと前に写した写真。

食べる前に床に落としてしまった

牛がお留守だと報告する娘さんたち

 ここの牛乳、「森林の牧場」の牛の数が少ない頃は土曜・日曜限定の販売で、現地に来るか京都駅の伊勢丹で買うかだけだった。いまは生産量が増えて、毎日売っている。 500mlで630円という値段だ。


 ジャージミルクのソフトクリーム原料を「ひと粒」(綾部市・福知山市)に卸しているから、ここまで来なくても食べられる。でも、ここまで来てオープンエアーで食べると味がちがう。

テラス風景

 ここから、「野間亭」に向かった。野間でスローライフを送る(というより、スローライフ以外に送りようがない)田渕さん夫婦の話を、次の記事で紹介させていただきたい。

2010-09-26

鍵屋 伊根 舟屋 民宿 「人生の楽園(朝日放送 9月25日)」



2008年8月。伊根漁港で花火を待つ
 9月25日夕方4時頃、伊根の民宿「鍵屋」の奥さんから電話をもらった。
 ひょっとして自分は今日予約していたのか、行くのを忘れたのかと焦ったが、6時から6チャンネルを見てくださいという電話だった。朝日放送の30分番組に「鍵屋」が出るという。
 「やったなあ。来週から客いっぱいになるぞ。なんていう番組?全部鍵屋だけ?いつ取材したん?」
 私は矢継ぎ早に質問を飛ばした。8月、花火大会の日に取材を受けたのだという。早速ビデオテープをセットして、5時からずっと6チャンネルだけを見ていた。奥さんから聞いた番組名を新聞でもう一度確かめた。人生の楽園 海の上一日一組”舟屋宿”のおもてなし 。

 番組が始まった。ナレーターは西田敏行さん。おゝ、浜ちゃんだ。


 放送されたのは普段どおりの鍵屋だった。テレビだからといって何も特別なことはしていない。
 あんなに魚が簡単に釣れるのかと知り合いが驚いていたが、 あれでも私にはまだ少ないように見えた。


初めて泊まったときの刺身。上アオハタ。下アジ

朝のごはん
 テレビ画面の晩ご飯。ボリュームは毎回通りだった。腹を空かしておかないと完食できない。私も今年はホウボウの刺身だった。
 朝食、テーブルの上でご飯を釜炊きするのは、奥さんが茨城県日立市の寿司屋の娘だからだ。米とご飯には人一倍のこだわりがある。
 ひとり息子の海斗君が夏休みの宿題でお母さんからなんやかんや言われている。海斗君はやったページ数などをけっこう厳密に答える。あれも、いつも通りの風景だった。

 放送終了後、鍵屋のホームページにはアクセスできなかった。一気に混雑していたのだろう。
 奥さんの携帯もauお留守番サービスのまま。電話応対に必死のパッチだったのだろう。
 そして、驚いたことに、このブログまで、18時のアクセス統計がポンと跳ね上がっていた。以前の私の記事が検索でひっかっかったのだろう。

  もし、あの番組をきっかけに「鍵屋」を検索してこのブログにたどり着いた方がおられるのなら、あれが鍵屋の素顔であることを私が証言します。

 しかし、民宿の「おくの」と「鍵屋」の付き合いが深いことは、放送で初めて知った。

 実は、昨年、伊根の民宿を予約するために、伊根町観光協会の民宿リストを見ながら上から順番に電話していった。

 「予約は2ヶ月前から」とどこの民宿も答えるのだが、その応対がいずれも横柄な印象で、私は段々腹が立ってきた。伊根の民宿の申し合わせで、2ヶ月より前の予約を受けないことになっていると後になって知った。それをきちんと教えてくれる民宿はどこもなかった。
 そして、私は、「おくの」へ電話したときについにキレた。「8月の予約?いまから?おっとろしー」とかなんとか言われたからだ。客を泊める気持ちがないなら民宿やめてしまえとか怒鳴ったはずだ。

 私は、伊根町観光協会に電話した。
 いったい伊根の民宿はどうなってるんだ?
 客を泊めたくないのか?
 どこもここも生意気で、横柄だ。町が指導したらどうなんだ?
 どこか礼儀をわきまえた民宿を教えてもらいたい。

 町の職員さんは、特定の民宿をえこひいきするような発言はできないと答えた。
 ただし一般論を示してくれた。
 観光協会の民宿リストは、だいたいのところ古い順に上から並んでいる。いちばん下にある鍵屋がいちばん新しくて今年開業したばかりだ。古いところは経営者もそれなりの年齢だし漁師の体質が強い。都会の方には合わない面があるかもしれない。いちばん新しい鍵屋は若い夫婦が商売熱心にやっているという噂。 そのかわり値段が高い。
  その職員さんは、あくまで慎重な姿勢を崩さないまま、暗に鍵屋を推奨してくれたのだと思う。

 これが鍵屋との出会いだった。
 予約の日が訪れて男3人で鍵屋に一泊した。
 そのもてなしがどんなだったかといえば、朝日放送が放映したあのまま、そのまま。
 何回泊まっても、放送されたあのまま、そのまま。
 あれ以上もなければ、あれ以下もない。 
 思い出した。初めて鍵屋に泊まった日、酒井のりピーが覚醒剤で逮捕された。


夜の鍵屋。灯りに誘われて小さなメバルがいっぱい集まっている

2010-09-25

丹波茶屋ゆらり 綾部市 和食 「かかの金玉」


由良の門を渡る舟人 梶緒絶え ゆくへも知らぬ恋の道かな
                曾禰好忠(そねのよしただ)『新古今集』
 
 「由良の門(ゆらのと)」というのは、宮津市で若狭湾に注ぐ由良川河口のこと(だとする説が一般的らしい)。
 由良川河口は暴れ河口とでもいうべき場所で、川も海も流れが荒い。遊泳禁止地区に指定されている。
 そんなところで舵を失った舟人のごとく行方も知れない恋の道。
 
 
 その由良川河畔の食事処「丹波茶屋ゆらり」へ行った。
 ただし、「ゆらり」は綾部市にあるから、全長146kmの由良川としては中流域。「由良の門」まではまだ60kmほどある。 
 昼2時を過ぎて客はもう自分だけだった。川の風景を独り占めだった。
 眺める由良川はどちらに流れているのかわからない。
 穏やかだ。
 風が渡る方向へとさざ波が走る。さざ波のきらめきが水の流れだと勘違いしてしまう。


 実は、「丹波茶屋ゆらり」は高い店だと思っていた。ふらりとランチに入るような店ではないと、勝手に思い込んでいた。ところが、冒頭に掲載した定食が1575円だ。 この店をずっと敬遠していた自分はなんだか損をしたような気分だ。
 もうひとつ印象的だったのが、店の方々のてきぱきとした対応だった。とても歯切れのいい女性従業員の方に、「ひょっとして女将さんですか?」と尋ねた。
 「そんなあ。私なんか。私はここでいちばん短いんですよ」。
 いちばん短い方があんなにてきぱきとしているということは、店の方すべて、だいぶ仕込まれているはずだ。

 「由良の門を」のついでに、ずいぶん前にこの世を去ったおじいちゃんのことも思い出していた。百人一首くらい覚えとけということで、正月には孫たちに歌留多とりをやらせた。
 「大江山」になると、おじいちゃんは必ずこう読んだ。

 大江山 生野の道の遠ければ まだ踏みもみず かかの金玉
 
 そして、必ずおばあちゃんに叱られていた。 


 その大江山も天橋立も、50年後の自分が、いま週に何回かは通過している。
こちらはタンタンタヌキの
 しかし、かかの金玉は、私もまだ踏んだことがない。

2010-09-17

今中商店 宮津市 鮮魚 「サザエのふた」


 サザエのふたをとるのはむずかしい。

 従姉妹の亭主がサザエのふたとりの達人。
  親戚が集まる夏のバーベキューで重宝していた。
  ところが、今年のバーベキューを待たずして、二人が離婚。
  ふたとり達人不在の夏となった。

 彼は小さな果物フォーク一本でいともたやすくふたを開けた。まったく力の要らない一点がふたのどこかにある。そこ以外にない。そういう説明だった。
 「どこをつついてほしいかな」と口ずさみながら彼はリズミカルにちょんちょんとふたをつつく。次の瞬間にはサザエの中身がツルンと皿の上に落ちている。その皿を誰かに回す。冷酒をクイと空ける。次のサザエにフォークを向ける。
 その指が長くて細かった。洒脱だった。その浮世離れしたところが離婚につながった。
 身近で離婚の内幕を見てしまうと、離婚とは惨めさを受け入れる決断なのだとよくわかった。

 彼がいない今年、もうサザエはいらないと考えた。
 しかしながら、彼の娘(16歳)はサザエが大好きだ。彼女は母親の下に残った。だから今年もバーベキューの一員だが、サザエの壺焼きを食べたいと私に頼んできた。私の考えすぎかもしれないが、その気持ちのどこかに父への思いが隠されていそうな気がした。

 なんだかしらないが、私は使命感に燃え始めた。
 夫婦は破綻したが、父と娘の間には別れるべき理由がなかった。
 手抜きは許されない、おいしいサザエを手に入れなくてはと、ひとり肩に力が入ったのだった。
 
 ということで、今中商店につながってゆく。

 社長ご夫妻の息子さんは、いま中学3年生で今中理貴君という。「今中理貴」と入力してインターネット検索してみてほしい。ちゃんとヒットする。理貴君がダンスや歌の芸能活動をすでにスタートさせているからだ。
 その理貴君と私の会社の同僚の娘さんが、3年1組の同級生だ。そのよしみもあり、今中社長直々にご対応いただいた。理貴君のパパは長靴を履いたイケメンだった。
 ずらりと並んだ鮮魚や干物。パックされていないむき出しの魚はそれだけで迫力がある。魚の向こう側には、理貴君のお爺ちゃんたちが立っている(どうかな、お爺ちゃんは居眠りしていたかもしれない)。
 サザエは専用の水槽で生かされていた。それを秤り売りで買う。
手抜きの買い物はしていないぞの充実感。クール宅急便の伝票の送り先もきちんと丁寧に書きたくなる。
 そして、バーベキュー当日、みごとにそろった壺焼きサイズが金網を飾るはこびとなった。

 おいしかったのはいうまでもない。やわらかさにも驚いた。
 私の母は88歳でもちろん入れ歯だが、このサザエは噛めた。切り分けてもらった壺焼きを口に運びながら、「噛める、噛める、カメルーン」とアホなギャグを言っていた。

 サザエを望んだ16歳も「このサザエはおいしい」と言ってくれた。彼女の同級生で幽霊が見えるという寺の娘も来ていた。「お友達でいましょう」と彼女から通告された男子も来ていた。3人が3人ともサザエを喜んでくれた。
 サザエのふたとりの件は取り越し苦労だった。甥ッ子がけっこう上手だった。従姉妹の元亭主に比べるとまだまだ力技だが、充分実用に耐えた。

 

 あのバーバキューの時点で、私はまだこのブログを初めていなかった。写真をろくに撮っていなかったので、今中水産に出かけ直して店の写真を撮らせていただいた。

2010-09-14

おかげさま 福知山市 厚中町 中華 「福知山のランチタイム⑤」

田舎町にもおいしいランチ。今回は、「おかげさま」。

この方のブログ(ダーの『悪口雑言部屋』)が私のを読むより役立つと思います。






 味で人気の「おかげさま」。その味は篠尾新町の誇り。
 うちの会社のすぐそばなのでよく通っている同僚もいた。

 その「おかげさま」が、福知山市民病院のすぐ近くに移転した。
 新ビルを建てての移転だ
 なんと、このビルは市民病院より大きい(わけない)。
 そんなにもうけていたとは知らなかったぞ。

     おめでとう!おめでとう!

(なのだが、満員続きで、行っても席があるかどうかわからない状態)

おめでとうの花火

 私はまだ入っていない。移転しましたの報告まで。
 旧店舗にはこんな貼り紙がしてある。



 これが新しい「おかげさま」の位置。市民病院から道を挟んで空き地がある。その空き地に建っている。店の玄関へは、京都北都信金やファミリーマートから回りこむことになる。


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2010-09-13

縄屋 京丹後市 弥栄町 黒部 「ひなにはまれなる」

縄屋の玄関

 「縄屋」。ひなにはまれなる本格的な和食処。
 料理の玄人さんのブログや食通向け雑誌には登場する店だが、素人のブログでの紹介は少ない。言い換えると、責任をもって書くべき立場の人から評価されている店だ。

 「縄屋」を横目に見ながらそのまま車を走らせれば、ガラシャの里だとかスイス村だとか、道はただ山へと向かうばかりだ。そんな場所に、目立つことを嫌うかのように建っている。

はもちりを取り分ける吉岡さん
 「縄屋」の若き経営者吉岡さんは、京都の「和久傳」 で8年の修業を積んだ後、弥栄町黒部の実家に帰ってきた。
 聞くところによると、「和久傳」は、元は京丹後市の峰山にあった料亭らしい。峰山から京都へ進出を果たした結果、いまのような格式高い料亭に成長したのだという。
 吉岡さんの実家は、もともとが仕出し屋さんで、やはり名前を「縄屋」といった。そこにUターンした吉岡さんが自分流の「縄屋」を始めるまでの経緯はこちらを読んでいただきたい。


白ワイン。プリマテッラ。おいしい

 6月、私は、自分の奥さんを連れて行った。あるまじき大盤振る舞いだ。自分の奥さんというのもおかしいか。普段はよその奥さんという意味ではなくて、普段は大切なお客様が一緒という意味だ。自分が信頼している店でなければお客様をご案内申し上げられるはずもない。

 「縄屋」へ行くときのお決まりで、泊まるのは「ホテルセントラーレ京丹後」。美人の湯。部屋が広くて、大きな地デジテレビまで各部屋にあるのに、宿泊代がとても割安だ。
 
 弥栄までの道すがら、
 「この時期、魚はあまり種類がないでしょ?」
 と奥さんが心配する。

 「いや、吉岡君なら、どうにでもするわ。大丈夫、大丈夫」

カウンター、うちの奥さん
  カウンターで吉岡さんに尋ねた。この時期は魚の種類が少ないのか?
 いや、そんなことはありませんという答。その答どおりの食卓。
 ウニに続いて大きなオコゼ。しょっぱなからサプライズだ。
 川魚をやってみたかったという吉岡さん。この日は、兵庫県円山川の鰻や岸田川の鮎も出してくれた。
 「鯉もやりたいんですけど」と吉岡さん。満足できる鯉がなかなか手に入らないのだという。 あらいが食べたいぞ!


 いや~、もう、なんか文章より写真が早い。
 この日の料理の他に、別の機会の料理も合わせて掲載したい。



オコゼ

ウニ


ウナギ
吉岡君の宝物スッポンの甲羅

別の日のアワビ
別の機会に食べた。小骨に包丁を入れたはも
自家製ジンジャーエール

なんだっけ?

 えーと、これ何やったか?

デザート