7年も8年も前から耳にしていたソースカツ丼。
なるほどです。うまい!
猛暑の午後を乗り切れたのも、ヨーロッパ軒のおかげかな?
ソースカツ丼は福井駅の近く。京大を担当していたM君が繰り返してそう語っていたのを、いまもまだ覚えています。
ぜひともみんな行って来いと、しきりに勧めていました。
今日、片町通りのヨーロッパ軒総本店に到着してみたら、火曜日が定休日でした。表のドアーに貼り紙がしてあって、火曜日でも幾久店が開いているとのお知らせでした。
幾久店へは、福井鉄道の路面電車が走るフェニックス通りを行きます。信号待ちをしていたら、隣に電車が止まりました。
福井鉄道の田原町駅を左手に眺めつつ線路を横切り、北陸高校を右手に眺めつつ町の景色に注意を払いながら走っていくと、道路沿いにヨーロッパ軒の看板が見えてきました。
店の人に教わってわかったことですが、幾久店は配達主体の店だそうです。そのため、カウンター8席に加えて4人用のテーブルが1卓という狭い客用スペース。逆にその何倍ものキッチンスペース。キッチンで働くスタッフも多くて、暖簾の下から何人もの足が見えます。
福井にはヨーロッパ軒が全部で12軒もあります。幾久店を除いては火曜日がそろって定休日。県外から来ていただいたお客さんをがっかりさせては申し訳ないから幾久店だけは開けてあるのだと、店の人が言っていました。Click to ヨーロッパ軒ホームページ
このくそ暑い日にカツ丼を食えるかな?
ソースカツ丼にコテコテ感を想像していた私は、量の少ないレディースセット(890円)を注文しました。レディースセットはごはんが少なめでカツの枚数が2枚です。
このチョイスは大間違い。コテコテどころか、こんなにサッパリとしたカツ丼を食べた覚えがありません。とてもおいしいうな重を食べているときのように、いくらでも後を引きます。ヨーロッパ軒が「土用の豚の日」を提唱したらどやろ。
「カツ丼」の3文字に依存してこのカツ丼を想像してはいけないと思いました。カツは決してトンカツではなくて、むしろフリッターです。きわめてなめらかな食感。揚げたとは思い難いサラサラ感。
子供の頃、ごはんにソースをかけて食べたことありませんか。そんなことしたらあかんと叱られましたが、えらくおいしかった。あれをもっともっとおいしいソースでやったとしたら、どうでしょう。
そのふたつの組み合わせ、幸せなコンビネーションが、ソースカツ丼でした。
京大を担当していたあのM君が、あれだけ会社で話していた気持ちがわかりました。京大担当というのは、アホではできません。普通はかしこそうですから。
福知山のみんなに食べさせたいと、私もすぐに思いました。
いやあ、うまかったわあ。ずっと以前に、会社の仲間から、福井へ行ったらソースカツ丼を必ず食べろと言われてたんですよ。
店の人にそう話したら、「そうでしたか。福井には食い物がなくてねえ。ソースカツ丼とおろしそばだけになってしまいます」との返答。
「そんなことないでしょう」と私は言いましたが、いまよく考えてみたら、たしかにそうかもしれません。
でも、今日のソースカツ丼も、敦賀で食べたおろしそばも、聞いていた以上のおいしさでした。名物にうまいものなしとよく言いますが、福井では決して真実ではなさそうです。
ソースカツ丼とヨーロッパ軒の創始者は高畠増太郎さんという福井市出身の和食料理職人です。
1889年生まれだといいますから、明治の人。17歳の時にドイツに渡り、外交官向けの「日本人倶楽部」で働きました。帰国後、ドイツで覚えたウスターソースのおいしさを母国に広めたいと考え、その思いをソースカツ丼という献立に具現化したそうです。東京の早稲田鶴巻町で、ヨーロッパ軒を開業しました。
関東大震災をきっかけに福井に戻って、郷里で再びヨーロッパ軒を始めたのだといいます。
「天皇の料理番」と呼ばれる秋山徳蔵さんとも親交があったそうです。秋山さんは1888年に福井県の武生に生まれた人ですから、明治の偉大な二人の料理人が越前出身だったということになります。
福井市を代表する景観はこの福井県庁。堀と石垣に囲まれています。この堀と石垣も有り余る原発マネーで建築されましたなんてことはありませんで、遡れば越前松平氏の居城です。
この日の若狭湾。原発の海。北陸自動車道の杉津PAから。梅雨明けかと思うほどの青さでした。
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