「アホと煙は」と言いますが、私も高いところが好きです。
下界の暑さを凌ぐべく、御在所ロープウエイに乗りました。
アキアカネも暑気払い
アキアカネが御在所岳山頂を避暑地にしているという噂を聞いていました。
御在所岳山頂では真夏にアキアカネが飛んでいる。麓の四日市市や菰野町で初夏に生まれた連中が、暑い夏を頂上で過ごす。涼しくなったらまた人里へ戻って、そこで産卵する。
御在所岳のWikipediaにまで、そう記載されています。
たしかに飛んでました。この目で見ました。
よく考えてみたら、標高1200mを超える場所ですから、そんなとこにアキアカネは、普通、いませんよね。山で見かけるのは、オニヤンマとかギンヤンマとか、イトトンボです。御在所岳山頂を乱舞するアキアカネは人里由来だと考えるしかないわけです。
アキアカネの団体がロープウエイでやって来たなんてことはまったくなくって、上昇気流をうまく利用して空中散歩してきたのでしょう。あの小さい体で1200mの高さまでとは驚きます。アキアカネはすぐどこかにとまって羽を休める奴らだと思っていましたら、やるときはやるもんです。見習いたいもんです。
この夏は酷暑でした。「今年の甲子園は、準決勝になっても、赤とんぼがグラウンドに姿を見せません」と実況中継のアナウンサー。「たしかにそうですよねえ。いつもは外野を飛んでいるのが見えますよねえ」と解説者。
甲子園の赤とんぼは六甲山頂にでも行ってしまったのでしょうか。
近頃、鈴鹿といえば、「あまちゃん」の鈴鹿ひろ美
御在所岳は鈴鹿山脈の主峰です。
でも、鈴鹿山脈って何?という人のほうが多いはずです。
他府県の人が鈴鹿山脈を知らないからといって滋賀県民はそれほどガックリしないはずです。琵琶湖を知らなければ確実にアホ扱いされますけど、鈴鹿山脈ならば、滋賀県民100人のうち99人までは、「知らんてはっても当たり前や」と言うことでしょう。鈴鹿は、あっち側からこっちに来とる山や、こっちからあっち側に行っとる山やないと、たいていの滋賀県民は思っているのじゃないでしょうか。
あっち側というのは、三重県のことです。
鈴鹿山脈は、滋賀・三重の県境に沿って南北に連なる1000m級の峰々をいいます。鈴鹿山脈の背骨を両県の境が走っています。滋賀県民の場合、山は三重県でもええけど水は琵琶湖がもろときますわと思っている節が濃厚です。
そもそも、「鈴鹿」というのが、近江の国とは縁もゆかりもない地名で、伊勢国の国府が置かれていた鈴鹿郡のことです。伊勢国府の名を冠して、鈴鹿山脈と呼ばれているわけです。近江側からの愛着心を促す命名ではありません。
たとえば、滋賀県内に新設高校が生まれたとして、校名を鈴鹿高校にするか。これはあり得ません。命かけてもええくらいの確率であり得ません。京都市内に浪速高校というのをこしらえたらおかしいでしょ。生徒も集まりませんわ。
ま、それくらいに、鈴鹿というのは、地理的に他所の土地だというだけではなくて、近江が従属し得ない文化圏を連想させる言葉なのです。
にもかかわらず、山だけが、鈴鹿という名前のままで、平気な顔をして今日もそびえている・・・山に罪はないものの、どれだけ無神経でけったくそのわるいことか。だから、他府県人に鈴鹿のことを知ってもらってなくていい。近江は美しい山々に囲まれた湖国だと思ってもらうだけで存外のよろこびです。
ただし、これが三重県に入れば、事情が違ってきます。
明治以降、鈴鹿郡内のいくつかの町が合併して、そこから鈴鹿市と亀山市が生まれました。鈴鹿市といえば、本多技研やF1グランプリですし、亀山市といえば、シャープのAQUOS「世界の亀山モデル」です。「鈴鹿」の二文字の重みは、三重県側と滋賀県側で大いに異なることだろうと思います。古代から現代にいたるまで、鈴鹿は誇るべき土地として、三重県内に君臨してきました。
だから、三重県民の前で、「鈴鹿って、鈴鹿ひろ美の鈴鹿?」なんて言わないほうがいいかもしれません。伊勢神宮を知らないのと同じくらいにアホ扱いされる可能性があります。
しかも、鈴鹿といえば東海道五十三次の有名な宿場ですし、さらには、西国と東国を分ける交通の要衝として、鈴鹿の関もありました。三重の県民感情からすれば、鈴鹿を知らないのは、鈴鹿の知名度不足にあらず、知らないほうの勉強不足だということになります。
50年ぶりにやって来た
御在所ロープウエイの開業は昭和34年、1959年のことで、私は小学1年生でした。初めて連れて行ってもらったときには4年生か5年生になっていたと思います。
なにせ子供ですから、地元ナショナリズムのような負けん気があって、他所のほうが進んでいるのは何か悔しいわけです。鈴鹿山脈は滋賀県側にも山裾を下ろしているというのに、どうして向こう側だけにロープウエイがあるのか。近江鉄道や滋賀交通が三重交通に負けたような気分でした。
けれども、これはしかたのないことなんです。
大人になって分かったことですが、三重県側の鈴鹿山脈はめちゃ険しい山容です。御在所岳も、植物に満たされた滋賀県側とはまったく異なり、ヨガ修行者のごとく岩盤質です。一気に頂上まで屹立する斜面はたしかに禁欲的で険悪ですが、反面、短い距離で高度を稼ぐべきロープウエイには願ったりかなったりの好条件であることが、実際に見ればよく分かります。
加えて、鈴鹿山脈の三重県側では、伊勢湾から山麓にかけて、べたっと平野が広がっています。何をするにも山を縫わざるをえない滋賀県側と違って、すぐに手がつけやすい。リゾート地にするにはもってこいの地理的要因が揃っています。
三重県側の御在所山麓には、ロープウエイ誕生以前から湯の山温泉がありました。歴史の長い温泉です。いまほど観光地が多様化・分散化していない時代には、温泉とロープウエイの組み合わせだけで、鬼に金棒の相乗効果でした。
その御在所岳ロープウエイに50年ぶりにやって来ました。
湯の山温泉の温泉街に入った途端、あの当時の面影そのままであることに気づきました。思いのほか地味な場所だったことを覚えています。頑張っても派手になれないのか、わざと派手にならないのか、わかりません。庶民的でありながら渋い。おそらく、斜陽の雰囲気のなかに漂う浮世離れ気味の風情が、この温泉の持ち味なんでしょう。
温泉街の背後に壁のように立ちはだかる鈴鹿山脈、宿の一歩先からいきなり山深さを見せ始める鈴鹿山脈が、商業活動もここでおしまいのさいはて感を醸し出し、それがこの温泉の性格を方向づけているようでもありました。
山頂からの見晴らしはなかったけれど
ロープウエイの料金は往復でひとり2100円です。他に駐車場代が1日1000円ですので、私たち夫婦2人で5200円を要します。そのかわりというわけでもないのでしょうが、登りは家族やグループごとに1台を割り当てる気遣いがありました。定員の10人まで詰め込むのではなくて、私たちのような夫婦連れでも2人で1台です。
誰に気兼ねすることなく、見たい景色に合わせて席を移ったり、立ったり座ったり、はるか彼方の伊勢湾に目をやったり、真下をのぞきこんではお尻がスースーしそうな高度感を味わったり、退屈しません。私も妻お龍も大満足でした。
山上は期待したままの涼しさでした。エアコンちょっと効きすぎというときの、あの涼しさです。下界の服装のままでは身体が冷えてしかたないとか、そこまで冷涼な気温ではありません。たぶん22~23度だったのではないかと思います。いや、たしかに、ちょっと涼しい夜なら町でもそれくらいの気温まで下がります。でも、はっきり違います。涼しさにも上・中・下があります。
標高というのは正直なもんだと思いました。
ロープウエイで登ってきた自分がまずふがいない上に、人の手で広く平坦に切り拓かれた山頂には一般大衆の姿だらけです。その点では、スカイツリーが高いというのと同じような話です。
それでもやっぱり、スカイツリーのようにメートルの高さだけではありません。地球そのものの高さですから、ここまで登らないことには触れられない空気があり、植生があり、地質があります。こういうのを標高の表現力というのでしょうか。
ただひとつ叶わなかったのは、この高さからの見晴らしでした。標高1000mあたりから上には雲がかかっていました。考えようによっては雲の中で遊んでいるような状態ですから、当然のことながら見えるのは雲ばかりです。条件が整えば南アルプスはおろか富士山まで見通せるというだけに、秋の高気圧に覆われた日に来てみたいものだと思いました。
晴れていればこういう展望なのかと思いつつ看板を読んだ。
鎌ヶ岳。鈴鹿の槍ヶ岳とか、鈴鹿のマッターホルンといわれる尖鋭な山容。
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