2013-08-27

つぼみ(金沢市柿木畠) これは違う!おいしすぎる!

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 高校の同級生と金沢へやってきました。
 彼がこの店、「つぼみ」を知っていました。正確には、店ではなくてオーナーを知っていました。知り合い度を、上からABCに分けるとしたら、まあCの下くらいだそうです。

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 ここは、柿木畠(かきのきばたけ)。私の大好きな地名です。
 官庁街のすぐ隣に、こんな地名がふわっと現れる。金沢の魔力です。金沢市役所の裏手、二十一世紀美術館のご近所といった位置関係にあります。

 その柿木畠は独自の色合いを持つ飲食店主体の商店街です。地名が異なれば必ずといっていいほど持ち味が異なる。金沢のこの特色に魅了されて、毎度のことながら、気がついたときにはずいぶん長い距離を歩いています。

 柿木畠は藩政時代からの由緒ある地名です。
 金沢市による柿木畠の紹介文から抜粋しますと、地名のいわれは以下のようなことだそうです。

火事が多かった藩政時代に、火除けとして植えた柿の木は、宝暦8年(1758年)当時のの金沢町絵図では、150歩ほど(約500平米)の畑として見ることができますが、宝暦9年(1759年)の大火災により、すべて消失してしまいました。
火除け地に植えられた柿の木は、飛鳥時代の歌人で、万葉集で名高い「柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)」をもじり、「柿の木のもとでは火が止まる」と昔の人々は信じ、それに因んだといわれています。


 「金沢城西外惣構堀」と呼ばれる用水が、いまも柿木畠を流れています。防火の役割も果たすお堀だったのでしょうか。
 その用水にちなんだ行事だろうと思うのですが、柿木畠では「水掛け神輿」という神事が、毎年8月に行われています。
 今年は25日に終わりました。私たちが柿木畠を訪れたのは27日。水掛け神輿が終わるまで忙しすぎて休めなかった店のいくつかは、26日から28日まで、まとめて休んでいます。

 店のすぐ裏を用水が流れる「つぼみ」。開店は11時です。その11時とともに、店はいっぺんに満席になりました。和スイーツの店の平日の光景には見えません。女性の観光客グループ主体で、おいしいという評判が全国に広がっているのだと思われます。


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 本わらび餅を食べました。
 ひと口めから、これまでに食べたわらび餅とはまったく別格のおいしさだとわかりました。こんなおっさんでも、京都の有名和菓子店の味を少しは知っています。京都も充分においしい、なんら不足はない。けれども、これは違う。人を夢中にさせる力がある。そう思いました。お茶は、嬉しいことに、加賀棒茶です。
 
 同級生は抹茶パフェを注文しました。「俺もブログを始めようかな」と言いながら写真を撮っています。
 ここのオーナーとは、早稲田大学出身者の組織である「稲門会」を通して出会ったそうです。オーナーは石川県で、同級生は滋賀県で、それぞれに稲門会のまとめ役を引き受けています。「東京の会合で出会うただけやけど、金沢に来て、ちょうどええ機会やし」と、同級生は言いました。

 抹茶パフェを食べ始めた同級生に「どうや?」と尋ねたら、彼も私と同じような感じ方だったらしくて、「違うわ」と言います。そのあたりの抹茶パフェとは明らかに一線を画すという意味でしょう。
 彼が日本酒党であることは同級生みんなが知るところですが、甘いものもけっこう好きだとは知りませんでした。夜になれば、同級生がもうひとり合流し、ミニミニ同窓会in片町を開催します。


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 店のインテリアがすてきで、ぜひ写真を掲載したいと思ったのですが、お客さんがこれだけ多いと、お客さんたちの顔が丸出しになってしまいます。
 店のなかでも、私たちの座った自然木一枚板のテーブルが特筆事項で、テーブルそのものの持ち味に加えて、配置が絶妙。視線がおのずと店の奥へと導かれます。
 導かれた先には、小ぶりの石を積み上げた石垣が見えます。その石垣を決して隠すことのない間隔を保ちながら植えられた庭木。石垣に沿って、金沢城西外惣構堀が流れていきます。

 オーナーは留守で、彼は再会を果たせませんでした。そこだけが残念でしたが、再会を理由に彼がまた来てしまいそうなおいしさでした。
*9月3日追記:同級生から連絡があって、オーナーからメールがきたそうです。なんと、犀川べりの老舗料亭「杉の井」のオーナーでもあったとのことでした。

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