伊根湾を全部使ってブリを養殖する。
そんな夢を語る少年がいました。
少年の隣には、彼の夢に耳を傾ける釣り師がいました。
二十数年前のことでした。この写真の場所です。赤い灯台が、二人の会話を聞いていました。
夢を語る少年は、橋本水産の橋本弘(ひろむ)社長でした。
少年の夢に耳を傾ける釣り師は、ランチハウスリリーのマコちゃん(加藤真さん)でした。
しかし、あの頃の二人は、海を見ながら語る少年と大人にすぎませんでした。人なつっこい少年が橋本弘であり、人のいい釣り師が加藤真であることを、当時の二人はなにも知らなかったのです。
37歳になった橋本弘さんは、本人のブログでこう書いています。
あれはそう・・・確か、小学低学年の頃だったと思います。
まぁ~ 誰にでもすぐに話しかけてた子供だった私は、
「おっちゃん!何が釣れんの?」 ってな感じで、近づいていってた訳ですが今思えば、おそらく釣りの邪魔だったかも・・・(笑)
<中略>
ほんでね!
いつもチヌ釣りに、こられてたおじさんがおられた訳ですわ~
そのおっちゃんが来られる度に、話に行くもんだから
仲良くしてもらい・・・ リールを貰っちゃったり・・・ (笑)まだまだもじゃこのブログhttp://ameblo.jp/ineburi/entrylist.htmlから
いつもチヌ釣りに来ていたおじさんが、マコちゃんでした。
時は流れました。お互いが誰であったのかを知らないまま、伊根湾の波の数だけ、時が流れました。
2012年2月の福知山市。そこはランチハウスリリー。
マコちゃんが、あのときの中学生の話ばかりを繰り返しています。
夫婦連れで伊根までよくチヌ釣りに出かけた。釣りをしていたら必ず話しかけてくる中学生がいた。あれは橋本水産の子供だったはずだ。
伊根の中学生の話題になったのは、「鍵屋」で鰤しゃぶを食べてきたと、私が伝えたからです。
天然の寒ブリはすでに旬を過ぎていました。鍵屋の賢吾さんが用意した鰤は養殖ものでした。
養殖ブリだけどおいしさは保証する。橋本水産のブリだから天然に負けない。鍵屋の賢吾さんが確信をもってそう語っていました。それをマコちゃんに話していたのです。
マコちゃんは記憶をたどっていました。奥さんのキョンキョンも、橋本水産といえばあの中学生だという気がしてならないといいます。
マコちゃんとキョンキョンが語る遠い日。二十数年の月日。あの場所からどこへも動かなかったのは、赤灯台だけです。
その後の橋本弘さんは、宮津市の海洋高校へ進学し、京都市内へ就職しました。橋本水産をお父さんから引き継いでからは、天然ブリに限りなく近い養殖ブリを育てたいと、夢を追いかけてきました。橋本水産のホームページから、弘さんの熱意が伝わってきます。
マコちゃん夫妻は、このホームページで弘さんの容貌を確認しました。どうもそうらしい。たしかにあの日の面影がある。容貌に加えて、養殖で天然並みのブリを目指そうという、その夢、そのキャラクター。
そんなことをやりたがるのはあいつしかおらん。
容貌はあの日と違って見えもするけれど、人物像はあの日にぴたりと重なって見えました。Click!(橋本弘さんと芸人の石田靖さんが並んで写っている写真)
橋本弘さんと私は、一度出会っています。
昨年11月、宮津市のビオラビットで開催された趣旨不明のパーティー会場でした。弘さんは、このパーティーの料理用に、8kgクラスのブリ(下の写真)を提供していました。
私は弘さんから名刺をもらっていました。それをマコちゃんに渡しました。マコちゃんは橋本水産に電話をしました。
マコちゃんから電話をもらったときの心境を、「まだまだもじゃこのブログ(http://ameblo.jp/ineburi/entrylist.html)」はこう述べています。
その方は、福知山で喫茶店をしてるって情報だけしか知らなかったんですが
な、なんと!! 電話をかけてきてくれたんです。
「あの~赤灯台で良く魚つりに行ってたものなんですが?」
私は、すぐに思い出しましてね~ 喫茶店の名前も出てきました!
良く話を聞いてみると、喫茶店にこられたお客さんが
伊根で、ブリの養殖をしておられる私のことを話されたようです。
そして、思い出してくれたんですね~
偶然ってのは凄い! ちょっとした感動もんですわ!!
マコちゃんからもらったリール(Click)を、弘さんはまだ大切にしていました。
3月14日、あの日の少年と大人が、二十数年の時を経て出会いました。再会のきっかけを作ったおさちゅんも同席させてもらいました。
この日、マコちゃんは、弘さんのブリを素材に、創作料理を作りました。
料理の数々はメッセージでした。マコちゃんから弘さんへのメッセージでした。
伊根湾の出口に網を張って、湾全体を養殖場にする。そんな気宇壮大な夢を口にしていたあの少年が、いま天然ものに限りなく近い養殖ブリを目指している。マコちゃんは、傍観者でいられない気持ちでした。
マコちゃんがどのような料理をこしらえたのか。次の記事でご紹介するつもりです。けれども、その前に、弘さんのブログをごらんください。
「我が人生の、心に残る1パージ!(Click)」というタイトルで、あの日の少年がこの日の思いを言葉にしています。
釣りの世界で、とくにフライフィッシングの世界で、Tight lineという言葉をときどき使います。魚がかかれば、竿先から魚までの釣り糸がぴーんと一直線状に張り詰めます。これをTight lineといいます。
フライフィッシングの老舗メーカーOrvis社のロゴマークにもTight lineが描かれています。
Tight lineの使われ方はさらに広がり、釣り仲間どうしの心の絆を表すようにもなりました。弘さんとマコちゃんの心は、ぴーんと張った釣り糸、Tight lineでつながっていました。釣り糸は、二十数年の時を越えて、なおも劣化知らずでした。
私が二人を引き合わせたと、弘さんもマコちゃんも言います。
でも、決してそうではありません。
二人をいつか再会させてやろうと、あの赤灯台が仕組んでいたのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿