立石寺(山寺)の石段を登りきった五大堂にて。
さて、みんな59歳~60歳。どんな暮らしをしているのでしょう。
何人かをピックアップしてみましょう。
S君:年金と健康保険で損をするなとみんなにアドバイス
他の同期に先がけて無職の生活に入ったS君。
彼が強調するのは、「こっちからちゃんと言わないかぎり、国は不親切。もらえる金をもらい損ねる、とられなくてもいい金をとられる」という点でした。
たとえば、国民健康保険料。
退職後2年で、企業の健康保険組合から脱退する時期が来ました。S君夫妻は国民健康保険料の被保険者に変わりました。夫婦でひと月2万4千円の国民健康保険料を払わされることになったといいます。
しかし、これは何かのまちがいではないか?彼は疑いました。
無職・無収入でこんなに国民健康保険料を支払う必要があるのか?
神戸市の窓口を訪れ、その疑問をぶつけました。無職・無収入だという事実をきちんと伝えたところ、翌月から夫婦で6千円程度まで支払額が下がったそうです。
もしあれを黙ってたらな、そのままやで。 N君:オシッコのちょいモレはみな同じ
彼は回顧します。
年金についても、年金事務所に出向いてしっかり説明を聞いたほうがいいと、彼は口を酸っぱくしてみんなにアドバイスしていました。
社会保険庁のいい加減な保険記録管理が社会問題化する以前、年金事務所の態度はきわめて横柄・冷淡で、年金のことを詳しく知りたい彼はぞんざいに扱われて帰ってきたといいます。
ところが、あの大きな問題以降、年金事務所の態度がころりと変わったそうで、いまは丁寧すぎるほどの説明をしてくれるそうです。
年金事務所の説明を聞いた結果、彼は60歳から年金(国民年金の比例報酬分)を受け取るほうが賢いのではないかと考えました。
彼の場合、65歳まで受け取り開始を遅らせたほうが76歳以降の受け取り額が多くなるという試算結果でした。
けれども、76歳以降の金額なんて、自分がずっと長く生き続けたときにこそ意義のある話です。病気で死んでしまう確率は、誰しも76歳以降にぐっと高くなります。動けるうちに金があったほうがいい。
そればかりではなくて、年金受け取りを先送りしているうちに年金そのものが破綻するおそれだってあります。
年金事務所の職員さんに、「65歳からにした場合ですけど、日本の年金はまだ大丈夫ですかねえ?」と、彼は尋ねました。
「それを私に言わせますか」という返答だったそうです。
その返答に出会ったS君は、もらえるうちにもらっておいたほうがよさそうだと考えています。
マイクロバスのなかでそう話し出したのがN君です。
そうやねん、若い奴に負けるねん。俺がションベンしてる横にな、若い奴が後から来たくせに、俺より先にさっさと終わって行ってしまいよるねん。
T君がそう応じました。若い奴が颯爽と去った後も、T君はまだ便器に向かって立ち続け、オシッコを絞りきろうとがんばらなくてはなりません。
それがな、絞りきれたらええで。絞りきったつもりが、チャック閉めてからチョロっともれることあるやろ。自分が自分に裏切られた気がするで。そんなこと、ないか?
とN君。
なんや、みんな同じかいな。あれ、冬はスースーして寒いねん。
と私。
N君の知り合いのある人は、チョイもれがこわくて薄い色のスーツを着られないそうです。薄い色合いですとそこだけ色が濃く変わります。私、オシッコもれますねんと周りに告げながら歩いているようなもんです。
N君やT君が籍を置くアステラス製薬はベシケアという尿流改善薬を売っているだけあって、みんなオシッコには詳しい。ナントカという薬を飲んだらオシッコ年齢が一発で若返るそうです。
なんという薬だったか、忘れてしまったのが残念です。もう一度教えてもらわないとなりません。
Y君:うつ病があふれる時代を救えるか、平成の曽良
立石寺にあった曽良の像。曽良は芭蕉の弟子です。「奥の細道」の旅に随行しました。
Y君の顔と比べてみていかがでしょうか?
風貌がどこかで似てませんか?
Y君は、50歳代前半で脱サラしました。
いまは、精神の健康を害した人たちをカウンセラーの立場でサポートしています。面倒見のよさを発揮して患者さんたちの役に立っている様子です。
入社当時の同期のなかには、熱心なキリスト教信者がいました。信仰のためにたった1年で退社しました。信仰に生きる奴がそもそも何のために企業に就職したのかみたいな結果でした。
Y君は、他人には理解しにくい価値観にも共感できる素養の持ち主です。そのキリスト教信者の行動を肯定的に受け止めていました。
困っている人に出会ったら国籍・性別を問わず助けてしまうといったように、人情深い一面もあります。
Y君のそのようなフトコロの広さを考えますと、いまの仕事は転職ならぬ天職かなと思えてきます。
サラリーマン時代は給料のために頭を下げまくるわけですが、シニアになったら、もうそんな頭の下げ方から脱け出したいものです。とはいっても、現実にはやはり給料のために頭を下げ続けているシニアが少なくない。
そんななか、Y君は理想のコースを歩んでいるようにみえます。
世間にうつ病があふれる時代。心を病んで人生の奥の細道に迷い込んだ患者に寄り添うのがカウンセリングの仕事。やっぱY君は曽良じゃないのでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿