仙台駅前のインターネットカフェでこれを書き始めています。
銀山温泉(山形県尾花沢市)に行ってきました。
「F-51同期会」という集まりがあったからです。
【同期もいまや散り散りに】
F-51同期会。
Fはフジサワ薬品のF。51は昭和51年。フジサワ薬品昭和51年入社の同期会です。
私たちが医薬品業界で過ごしたこの36年間は、国が医療費抑制策を次々と打ち出してきた時代でした。
医療費抑制策進展は。新たな分野の新たな仕事を生み出しました。最たるものが調剤薬局の普及でしょう。
薬剤師免許を持っている者は、主に調剤薬局の分野へと転身を図りました。
薬剤師免許を持たない者には調剤薬局の普及が転身のアドバンテージにはなりませんでした。
けれども、製薬企業の再編が続くなか、私のように帝人ファーマへ移籍した者とフジサワに残った者に分かれました。
私の世代がサラリーマンになって以後にバブル崩壊が訪れ、それ以降、日本企業がリストラを屁とも思わなくなりました。
2005年、フジサワ薬品と山之内製薬が合併し、アステラス製薬が誕生しました。アステラス製薬発足時のフジサワに在籍していたのは、同期36人中のわずか9人にすぎません。
散り散りばらばらになって、競争も結束も薄れた者どうしの同期会だから、かえっていいのかもしれません。そのほうが、個々の人間に戻った付き合いができます。
隣を横目でにらみ 自分の道を確かめる
かつて泉谷しげるが、「春夏秋冬」のなかでそう歌いました。
私たちの同期会では、そんな人の弱さを正々堂々とさらけ出すことができます。
どのような道でもそれなりに生きることができるのだと、なんだかほっとして帰ってこられます。
そんな集まり。大いに楽しもうという子供みたいな趣旨だけなのに、何年かに一度の集まりがずっと続いてきました。
なかには、早く脱サラしてしまって九州の山にこもり、いまや現金収入無一文の変わり者もいます。そいつが、新聞配達やビラ配りで必死にカネを作って参加してくることもあります。 釣りをするつもりで早割予約しておいた仙台→大阪便が最終19:05のフライト。早割は安いけど不便。釣りがなくなったからといって、乗る便を好き勝手に変更できません。 けれども、いまだJRが寸断されたままの石巻へはバス便の需要がきわめて高く、地元の人がたくさん並んでいました。 仙台の駅前にいるかぎりにおいては、あの大震災をみんな忘れているようにすら見えました。ところが、石巻までの経路すらまだ不完全だという現実。 それを知った後の思いはあまり言葉にならず、「そうか、そうなのか・・・」と頭の中で繰り返すばかりでした。 それでもなお、東北はやはり魅力的でした。釣りができませんでしたけれど、いつものように満たされました。 震災がひどかった地域からはるか遠く離れての短い旅、しかも東北の広さからすれば局所を巡っただけの小旅行にすぎません。
【仙台を基点に往復180km】
さて、今回のコースです。
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6月16日、13:00、仙台駅に集合した我々一行は、マイクロバスをチャーターして山形県へ向かいました。
まずは、「閑けさや岩にしみいる蝉の声」の立石寺(山寺)にお参りしました。
いま脚がえらくだるいのは、1015段の石段を往復してきたからです。
この夜の宿泊は、NHKの朝ドラ「おしん」で有名になった銀山温泉。そのなかの能登屋でした。大正時代そのままの街と宿が人気の的になっています。
翌日、仙台への帰路、天童市のさくらんぼ狩りに立ち寄りました。
さくらんぼ狩りを済ませて仙台駅まで戻った一行は、利休で牛タンの昼食。昼食後に解散となりました。
【東北を旅するという支え方?】
当初、私は、釣りをして帰る予定でした。久しぶりに東北のヤマメやイワナと出会うチャンスだと目論んでいました。
けれども、孫聖太郎の家庭にトラブルが発生。旅行直前にそちらに時間を削がれ、魚釣りの余裕がなくなりました。
時間をもて余してしまって、いまこうしてインターネットカフェでブログを書き始めた次第です。
いや、実は、震災がひどかった石巻に行って帰ってこようと、バスターミナルまでは足を運んでみたのです。
写真は石巻行きのバスを待つ行列です。
石巻まで座っていけるかどうかわからなかったこともあります。
それ以上に、自分が座れて誰かを立たせるのでは申し訳ないという気持ちになりました。
震災地の厳しい暮らしを目にしたわけでもない。それだけに、ハッピーな旅でしただけで済ませていいのかという自問自答が残ります。
そんなとき、仙台駅構内でこんなポスターを見かけました。
「東北を旅する」という支え方がある
本当にそうならいいんだけどなという気持ちで、今回の東北旅行をレポートします。
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