幸福の神様ビリケンさんは、通天閣5階の展望室に飾られています。そのビリケンさんに会うため、通天閣にやってきました。
通天閣5階展望台のビリケンさん像。足の裏をさすりながら願い事をすると叶う。
わしは何でも全体的に手伝うたると、ビリケンさん
通天閣5階の展望室はビリケンさんの神殿に見立てられ、なんとなく宗教めいた室内デザインが施されています。ビリケンさんは、赤ん坊のようなスタイルで座っています。その足の裏を撫でながら(大阪の人は「さすりながら」と言います)お願い事を伝えます。
ビリケンさんの起源は1908年に遡り、アメリカの女性芸術家 フローレンス・プリッツが「夢の中で見た神様」を作品化したのが始まりだそうです。
初代通天閣建造の頃には、すでに全世界でビリケンブームが起きていました。シカゴの企業・ビリケンカンパニーが、ビリケン像などを制作・販売し、「幸福の神様」として海外に売り出したからです。
1912年、ビリケンさんは、初代通天閣隣の遊園地「ルナパーク」にやってきました。以来、世俗信仰の典型として、通天閣といえばビリケンさんの間柄が続いています。
日々の暮らしにまつわる身近な願い事を引き受ける神様。そのキャラを伝えるために、ビリケンさん公式サイトはこう語らせています。
ーーーわしは何でも全体的に手伝うたる。
いってみれば、ヘルプにすぎないわけです。英語のことわざにもありました。God helps those who help themselves。天は自ら助くる者を助く。
日々の暮らしにまつわる身近な願い事といえば、自力で解決できる可能性も大いにあります。いろいろな人が自らの努力不足も自覚しながら、それでもやっぱり少しは神に頼ってきたのではないでしょうか。ビリケンさんはその種のニーズにハマる神様なんだと思います。
当たる人はよう当たる。あかん人はさっぱりあかん
さて、私の後を引き継いで北陸三県を担当している美女。
私は、彼女の代理で通天閣へ願掛けをしています。願い事が叶っているのは、私ではなくて彼女です。
ーーー通天閣さんにおねがいしといてぇ~!
彼女からしょっちゅう頼まれます。
営業をやってますと、会社から無理難題をよくふっかけられます。上の人間は簡単に命令を出すけれど、やれると思うのならやってみろと言いたくなることが多々あります。
この話がなんとかうまくまとまりますようにと、それこそ神仏に手を合わせんばかりの気持ちで外回りする日が絶えません。
そんなとき、彼女からの依頼。
ーーー通天閣さんにおねがいしといてぇ~
そんな彼女も、はじめは通天閣の名前さえ知りませんでした。
ーーーえっと、ほら、塔が立ってるじゃないですか。なんとかタワー。あれに頼んで欲しいんですよ。お願いするのが前に流行ったでしょ。
私は真に受けませんでした。アホくさ。通天閣に頼んで営業がうまいこといくのなら、みんなとっくにやっとるわい。
とはいえ、彼女の負けん気みたいなものは分かりました。「無理です」と弱音を吐きたくない。自分で自分を否定したくない。「できません」の代わりに「通天閣さんにおねがいしてぇ~」と言うわけですね。
そんなこと知るかと冷たくあしらうのも気が引けた私は、阪神高速道路から通天閣がチラリと見えたときに、「頼んまっさ」と軽く短く手を上げておきました。
ところが、私のなめた対応にもかかわらず、これがみごとに当たりました。彼女が思い描いていた以上の結果が出ました。
ーーーこれは通天閣やない。自分や、自分。自分が普段からちゃんと仕事してる証拠や。
私は彼女の努力を褒めました。どうしてうまくいったのか、理詰めでちゃんと説明できる成功でした。しかし、彼女は、通天閣が効いたと言い張ってききません。なんでやねん。アタマの固い奴やなあ。
おそらくですが、実力だったと解釈したくないんですね。
営業ですから、同じようなことがうまくいったりいかなかったりします。うまくいったときに運がよかったのだと解釈しておけば、うまくいかなかったときに運がわるかったのだとあきらめることができます。己の実力不足と正対して深く傷つかなくてもいい。そういう自己防衛心理なんでしょう。
で、次の勝負の機会にも、「通天閣さんにおねがいしといてぇ~」の要請が舞い込みました。
私は、堺筋かどこかから通天閣が見えたときに、「ということですので、よろしく」程度の雑な頼み方をしました。
ところが、なんと、これがまた当たりました。
通天閣に向かって何かをお願いしてもしかたないんですよね。ビリケンさんの足の裏をさすらなくてはならない。だから、当たるはずがない。
そう思いつつも、もし本当のご利益だったらどうしようという気持ちも生まれてきます。ここまでうまくいくのは、逆に通天閣の神通力ではなくて本人の力だと考えるべきです。けれども、断定するまでの確信はありません。
私のお願いのしかたも次第に丁重になっていきました。通天閣くらいの古さがあると、確かになにやら、人間的なものを感じたりもします。
ーーー本人にも頑張らせますから、助けてやってください。
その都度うまくいきました。彼女の運気全体が向上したのか、頼まない日でもうまくいきました。
という話を、「たこ天」のおばちゃんに話しました。「たこ天」というのは通天閣真下の店で、たこ焼きとみやげものを長く商ってきました。
ーーー当たる人はよう当たる。あかん人はさっぱりあかん。何にでも相性ってありますやんか。
おばちゃんはそう言いました。
ーーーそこのお守り、ビリケンさんの形したやつ。そんなによう当たる人なら、財布に入れとかはったら。宝くじは無理でも馬券はよう当たるとか言うてねえ、そういう人もありますよ。
私は、迷わず買いました。「通天閣さんにおねがいしといてぇ~」と頼まれた日に必ず近くを通るとは限らないからです。そういうときは自分でこのお守りの足の裏をさすってもらうことにしましょう。
通天閣真下の「たこ天」。小さな店舗に通天閣グッズとビリケングッズが満載。
ビリケンさんのマスコット。財布の中に入れておくと馬券がよく当たるそうだ。
「壱番」という店で串カツを食べました。本当に古いのか、古臭くしてあるのか、どちらにも受け取れる店でした。串カツ最古のスタイルであるカウンター席の他に、グループ客用のテーブル席もありました。カツの衣が薄くて素材の味がよく伝わってきました。
「壱番」の入り口。入り口横ではたこ焼きを店頭販売。これが新世界界隈の共通スタイル。
串カツ10本セット。1350円。アスパラ、ネギ、エビ、キス、ウインナー、うずら卵、イカ、砂ずり・・・あとは何だったか。
キャベツがついてくる。パリパリ食べる。「ソース二度漬け禁止」下でソースの漬け方が足りなかったときは、キャベツでソースをすくって足せばいい。
店奥の壁には芸人たちのサインが並んでいた。水原弘のアース広告など、昭和ムードの演出がなされている。
西成区釜が崎で日雇い労働者相手に商売を始めたのが昭和4年という老舗の串かつだるま。この行列。海外ツアリストのマストアイテムとして串カツが定着したのか、大半は中国人だった。
たこ天閣のたこ焼き。8個300円。安い!そのかわりタコが8個ともに必ず入っているわけではない。
同じ日、夜の通天閣にも行ってみました。驚いたことに、人通りが少なく、予想外のさびしさでした。大阪情緒を強調する観光地として人気を集める反面、地元の地道なニーズには対応しにくい繁華街になってしまったのでしょう。
夜の通天閣。てっぺんの点灯色の違いで明日の天気を知らせる。この夜は赤色(曇り)になっていた。
通天閣展望室から見下ろす新世界の通り。ひとり、ふたりと歩行者を数えられるほどのわびしさ。
通天閣の5階展望室。金曜日夜8時。
オールドファッションな大阪を伝える資料展示がおもしろかった。
坂田三吉のど根性と妻小春の内助の功を顕彰する王将の像。餃子屋さんではない。
0 件のコメント:
コメントを投稿