2012-10-24

自家焙煎珈琲のばん(金沢市三馬) 経営者が変わって

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 金沢日赤病院は、公私ともになつかしい病院です。
 仕事でもいちばんよく訪れた病院でしたし、長女が生まれた病院でもあります。

 病院の近くの喫茶店「ばん」に、毎日のように顔を出していました。あの店は、まだあるのかな?
 それを確かめたくて道を通ってみましたら、なんと、当時の姿そのままで店が残っていました。

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 日本海を寒冷前線が進み、朝から雨が強くなったり弱くなったりの肌寒さでした。
 低い雲に覆われた空は北陸の晩秋を思い起こさせます。気温は14度までしか上がりません。
 Openの札がかかってなければ閉店のように暗いドア。35年前の世界に入るのはむしろふさわしいようにも思えました。

 「いらっしゃいませ」

 迎えてくれたのは、とても柔和な表情の女性でした。年代はどうでしょう。50歳半ばに見えました。

 柔和な女性に迎えられるなんて、計算がそこで狂いました。35年前を思い起こさせるのは店ばかりです。

 予定としては、当時のママが70歳代半ばくらいに歳をとっていて、歳をとっても丸みを増すなんてしおらしさもなく、「あんたは誰よ?」といった怪訝な顔つきで私を睨みつけるはずでした。

 いや、見知らぬ者にはそれくらいにきついママでした。きついというよりも、気の弱さゆえに警戒心が強かったのだと思います。

 年老いた眼ですから、これだけ暗いと人の見わけもつけにくい。こわい顔を崩そうともしないママがいつ私を思い出して当時の笑顔に戻るのか、それが楽しみでした。


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 「あの、ここ、だいぶ前からありましたよね」

 柔和なママに尋ねました。2012年の質問です。
 「そうですよ」の言葉が返ってきました。表情と同じく柔和な口調で、「40年くらい前からありましたよ」と答えてくれました。

 「経営者が変わったんです」

 奥の席の若い男性が急に口を開きました。

 彼は、さっきからずっと、銅製のコーヒーセットを磨いていました。奥の席に座っているのは、そこがいちばん明るくて作業しやすいからでしょう。窓があって、そこからの明るさがカウンターの天板だけを照らしています。

 「経営が変わって、私になりました」
 「そうしたら、あのママはもう店をやめて・・・」
 「そうです。やめるというので、私がやることにしました。4年半前のことですよ」
 「でも、それまでずっと、あのママが」
 「ママというか、ご夫婦でね。覚えておられませんか、ご主人のことを。まあ、カウンターを仕切っていたのがママでしたから、マスターのほうはあまり目立たなかったかもしれません」

 彼の話をまとめますと、以下のようになります。

 私が通っていた当時、あのママとご主人の二人でこの店を経営していました。
 自家焙煎の喫茶店がまだ珍しかった頃に、ご主人、つまりマスターが、先見の明をもって自家焙煎スタイルを取り入れていました。

 コーヒーの専門家や愛好家によく知られた広瀬幸雄氏もマスターの常連客でした。広瀬氏はものを教わる形できていたそうです。
 広瀬氏の専門は工学関係で、いまは金沢大学大学院の特任教授の肩書を与えられています。同時に日本コーヒー文化学会の副会長を務め、「コーヒー学入門」といった著作もあるほどのコーヒー博士です。2003年のイグノーベル賞受賞者でもあり、ユニークな学者です。


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 私が金沢を離れて20年くらい経った頃のことです。いま私と話している彼がこの店に雇われることになりました。この店の常連だった彼をオーナー夫妻が誘ったのです。
 以来、彼は従業員として、マスター夫妻とともにこの店を盛り立ててきました。20歳頃から店で仕事をし始めて、今年35歳です。

 そして、いまから4年半前のこと、元のマスターとママがこの店を手放そうと心を決めました。
 その店を買い取ったのが、彼です。
 20歳の頃に喫茶店のマスターに憧れ、いつか一国一城の主になりたいと願って、この店で働き始めたのだといいます。
 その夢が35歳で実現したことになります。

 彼に焙煎の技術をいちから仕込んだたマスターは3年前に亡くなったそうです。心臓がわるかったそうです。動脈瘤が破裂したのだといいます。

 「それで、あのママは?老人ホームかどこかに入ってるの?」
 「いえいえ、そんな話は聞いたことないからお元気だと思いますよ。まだ75か76くらいですし、でも、私たちはもうずっと会ってないから」

 経営が変わってからも、自家焙煎方式はそのまま続いています。マスターが使っていた古い焙煎機の横に、光沢のまぶしい新しい焙煎機が置かれていました。

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 私のコーヒーをドリップし終えた彼は、銅製のコーヒーセットをまた磨き始めていました。
 「ピカピカやんか」と私が言いましても、「いやこんなもんではありません。磨けば磨くだけ光ります」と言って手を休めることがありませんでした。

 嬉しいことに、彼のコーヒーのどこかに35年前の味が残っていました。豆も違うし、煎り方も淹れ方も異なるでしょうが、マスターからコーヒーの基本を教わったのですから、三つ子の魂百までのような共通点があって当然でしょう。

 ちょっとこのブログには書けない苦い思い出、深入り焙煎のようにほろ苦い思い出もあって、ときおりではあるものの、私ひとりだけが35年前にタイムスリップしていました。

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