同志社に進んだ友達も多いのに、不思議なことです。
今出川通を走りながら、秋が深まれば深まるほど同志社は絵になるなあといつも思っていました。
怪しまれることもなく、すんなり構内に入れてもらえました。
「どなたでもご自由に入っていただけます」とのことです。
同志社には、ずっと、漠然とした憧れを持ったまま歳をとりました。
行きたかったなあと、いまでも思える大学です。
高校の同窓生を思い出しても、もっと勉強したら違う大学も行けたのに「もうええわ」と言ってさっさと同志社に決めてしまう奴のほうが多かったと思います。
同志社合格に必要とされる学力の持ち主のうち、さばさばとした心の持ち主が同志社に魅力を感じていたように思います。
ちょっとでも偏差値の高いところへ入らなければ損---そういう選び方ではなかった気がします。
勉強をサボりたいわけではない。反面、一生懸命やっても京大に入れるほど頭がよくない。そこで、同志社に魅力を見出すことで自らと手を打ち、「それでいい」の決断に至った(のではなかったでしょうか)。
いっぽう、立命に進んだ同窓生たちは頑張り屋さんで苦労性。自分をイッパイ・イッパイまで追い込まないと気のすまない傾向があり、ゆえに、自分をイッパイ・イッパイまで追い込んだ結果が立命館だった(のではないでしょうか)。
ところが、その内実、口で言うほど自分を追い込んでない。そこにいちばん気づいていたのは本人たちだったと思います。
その自覚があるだけに、華やかな同志社を志望するのはどこか自分に甘すぎる気がして、地味目の選択で立命のほうにする。
そんな一面があったように思えます。
まあ、いまとむかしでは、各大学の難易度も違いますから、どちらの大学にしても、当時の学力では全員落ちるぞと思いますけどね。
同志社に進んだ高校の友達、会社に入ってから出会った同志社卒、誰もがみなのほほんと生きています。
なんか、こう、コンプレックスの材料を持ち合わせないというのか。
私の知ってる同志社卒だけがそうなのか、同志社がだいたいにおいてそういう大学なのか、どっちなんでしょう。
ひとりだけ精神的ストレスでハゲになったのがいました。かつらをかぶって仕事していました。彼の場合、人がよすぎたのだと思います。
今日、初めて足を踏み入れた同志社のキャンパスは、こざっぱりとしてさわやかな空気に包まれていました。
私の知っている同志社卒の男女たち、彼らの人当たりのよさとつながるものがありました。
私がカメラを構えていますと、前を通る学生たちは足を止めてくれるか、でなければ大回りしてくれるか。余計なものが写りこまない気遣いを見せてくれます。
その都度、「ごめんなさい」とか「ありがとう」とかお礼を伝えながら、京都の街のいけずな体質がこのキャンパスには伝染していないぞと感じていました。
秋の青空みたいな学生ばっかりなのでしょうか。
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