2012-02-01

鬼を求めて大江山 節分ですから

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 鬼が道案内に立つ山の道。鬼の言うとおりに進んでOK。日本の鬼の交流博物館へと到着です。節分の時期、このあたりは雪一色です。めちゃ地味なスポットですが、子供さんの雪遊びを兼ねてというのもよさげですね。


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 日本の鬼の交流博物館は大江山麓にあります。大江山といえば、酒呑童子を筆頭に、鬼伝説の山です。
 今夜は、ごく簡単にレポートします。節分が終わらないうちに。


 博物館内には、日本各地の鬼の面が集められています。いちばんこわそうなのを孫の聖太郎に写メしました。


 鬼の面がずらりと並ぶ以外にはこれといってインパクトのない展示でして、工夫が足りないなあと思いました。鬼は得体の知れないものです。その得体の知れない鬼をテーマにしてるわりにはアプローチがマジメすぎる(分析的すぎる)んじゃないかと思いました。鬼なんですから、理屈ぬきでもっとワクワクさせてくれてもいいんじゃないか。
 歴史家の梅棹忠夫先生は、何かの著書のなか、遠くからも訪れる人がいるくらいに人気のある博物館だと書いておられました。梅棹先生のお言葉ながら、マユツバもんだと思います。


 とくに、酒呑童子と大江町の関連性ですねえ。これをもっと町自身が自己主張できないもんでしょうか。酒呑童子の住処は大江山以外にはありえないのだと、来館者にもっとアピールして欲しい。でなければ、せっかく足を運んだ値打ちがありません。
 世間一般の感覚でいけば、酒呑童子の里が大江山であってもなくてもどちらでもいい。酒呑童子に似つかわしい山奥ならばどこでもいいんですからね。そのままの感覚で帰したのでは酒呑童子を大江の観光資源にできません。
 「日本のまつろわぬ民(水澤龍樹著)」では、産鉄民を切り口に酒呑童子論が展開されています。さほどページを割いているわけではありませんが、それでも酒呑童子伝説の舞台が大江山でなくてはならない必然性が伝わってきます。
 博物館でも、鉱業を生業としていた住民が鬼扱いされたとの推論を掲げてはいます。けれども、精錬で汚染された水が里の農業に被害を与えたであろう点や、精錬の炎で焼けただれた皮膚が鬼に見えたであろう点を根拠にしているだけです。そのようなローカルな利害の対立にすぎないのならば、都の朝廷が乗り出してくるはずありませんし、鉱業側の人間だけをやっつけるはずがありません。


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 外国の鬼というのでしょうか、魔物を表現したお面の数々です。日本でいう「鬼」に相当するものとして展示されています。とくに、近隣国の魔物に関しては、日本の鬼の成立に影響を与えたと解説されています。


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 鬼の面に加えて、日本各地の鬼瓦も展示されています。「鬼は外、福は内」と節分では言いますが、実は、家の屋根に鬼が配される不思議。鬼には魔除けの一面もある証です。


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 博物館の外には、重さ5トンという超大型の鬼瓦があります。雪が深くて正面から写真を写す位置に立てませんでした。


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 こちらは、日本の鬼の交流博物館への途上にある元伊勢神社内宮。2月3日には節分祭が行われます。病鬼、貧鬼、陰鬼の三鬼を退治するという意味で三鬼打ちと呼ばれているそうです。
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