ひどい。いろいろなお寺を見てきましたが、お寺の美しさをお寺自身が殺しているケースを他に知りません。
掲示物の多さ。その執拗さは病的です。とくに注意書きが多すぎる。あそこまでやる必要性があるのなら、非公開の寺にすべきです。
いや湖南市の数少ない観光資源として貴重だから一般公開を続けるというのなら、湖南市観光協会が常楽寺のリスクマネジメントにもっと責任をもつべきです。
常楽寺は、時代を刻み続けた寺ならではの風格を漂わせています。
室町時代に建てられた本堂と三重塔は国宝指定を受けているほか、重要文化財に指定された絵図・仏像・仏具を所有しています。
ひとことでいえば出会いのある寺です。京都や奈良であれば、常楽寺のように美しい寺はすっかり観光地化しています。しかし、常楽寺は田舎の風景のなかにいきなり現れる古刹です。「へえ、こんなところに」というインパクトがあります。
国宝や重文など公共財産が充実した寺を一般公開するには、それ相応のリスクマネジメントが求められます。湖南市は、湖東三山(百済寺・金剛輪寺・西明寺)に対抗して湖南三山(善水寺・常楽寺。長寿寺)を世に売り出しましたが、一般公開に伴うさまざまな不都合解消をお寺任せにしているものと思われます。
湖南市の対策不足にここのご住職の性格も重なってのことか、境内のありとあらゆる場所に、参拝者向けの掲示物。しつこいくらいの注意書き。それが、景観や雰囲気をだいなしにしています。がっくりです。
入山受付までに数多くの掲示物、寺を隠すように立てられた板類。金を払わないかぎりは中を見せないという意図が感じられ、その意味では見世物小屋入り口みたいです。境内入り口の境内案内地図は、本堂を正面から眺められないように立てられていて、実に無神経です。
本堂内部も一般公開の対象ですが、防犯カメラの映像を映し出すテレビモニターが数台置かれ、参拝客の視野に入るように仕組まれています。監視してるぞのメッセージでしょう。それらのモニターが薄暗いなかで異様な光景を生み出しています。
よほど参拝客のマナーがわるいのか。
あるいは、怪しい奴が多いのか。
参拝客を信じられないのなら、本堂内部を公開する必然性はないと思います。
貼り紙をどれだけしたところで、やる奴はやります。不測の事態が現実味を帯びているとしたら、実効力のある対策をとらなくてはなりません。いまのままですと、もし事件が実際に起きたときには、湖南市や寺は管理責任を問われます。
若林孝暢住職へのインタビュー記事(常楽寺本堂と三重塔・湖南市西寺 / 歴史文化 [滋賀文化のススメ])を読みますと、「どこからでも国宝が眺められるようにしたい」と、ご住職自らが木を切り、重機を操って三重塔裏山の整備を進めているとのことです。
また、ご住職は、「ご縁があってこのお寺へやってきました。荒れていた寺内を整備して、みなさんが安全にお参りできるように、ここに来てよかったなと思ってくださるようにと、努力を続けています」と語り、「信仰や宗教も大切ですが、まずはもっと気軽に訪れていただくことが大切だと思っています。みなさんが楽しんでくださって、来てよかったと思っていただくことから始まると思っています」とも語っておられます。
しかしながら、下の写真の掲示が述べるように、ご住職はふたつの寺を兼任し、常楽寺の参拝客対策ばかりに力を注いでおれない実情も垣間見えます。手が回らない分を警告掲示で埋めている印象です。
常楽寺以上に集客数のある湖東三山の各寺院、あるいはさらにメジャーな三井寺や石山寺を見ても、ここまで警告文を並べていません。常楽寺はせっかく立派で美しいお寺だというのに、雰囲気や景観を損ねながらの公開では意義がありません。
いまのようなリスク放置の公開方法は、国宝や重要文化財の希少性を正しく評価できていない点において、湖南市観光行政の意識の低さを世に知らしめるばかりです。ひいては、滋賀県の文化度も疑問視されます。
湖南三山の常楽寺については、私も同じように感じます。余りにも威圧的な看板、この寺の住職(実際には坊主ではなく、ただの金の亡者としか思えない)、病的な看板の連立、この寺を拝観して宗教に関する疑問を感じます。参拝して気分を悪くして帰路に。二度と行きたくない寺、二度と行きたくない町、湖南市でした。
返信削除コメントありがとうございます。
返信削除あの駐車場は山門を取り壊して造成したそうで、そのときには地元とも摩擦があったと聞きました。
地元ではあそこの住職を相手にする人が皆無に近く、孤立無援状態だそうです。
歴史の深い古刹ですから、湖南市がもっと真剣に考えなくてはならないと思います。
常楽寺の公開をやめたほうがいいと、私は本当に思います。
コメントを読む限りでは一方的な見地からの批判でしかありません。真の信心からお参りするのであれば、このようなコメントはできないのでは、と感じたりします。
削除コメントありがとうございます。
返信削除ご指摘の趣旨は、真の信心でお参りする者は寺への批判をしないということかと存じます。
私の場合、信心ではなくて、古刹を見たいというモチベーションで訪問しました。
しかし、不届きな入山者が多いのか、せっかくの美しさを台無しにするまでの掲示物。
あの警告板の多さが参拝者への不信感ゆえならば、そこまでの心配を殺しながら一般公開を続ける必然性はないと考えました。
ご住職の危惧が現実のものになってからでは遅すぎるからです。
で、信心深い人はそのように考えないのでしょうか。
信心深い人は、国宝や重要文化財をさまざまなリスクから守ろうとは考えない。
とおっしゃるわけですね?
一方的な見地からの批判という見方にも反発いたします。
一般公開に伴うリスクをいちばん強く感じているのはお寺自身でしょう。
お寺の内心を忖度した結果、一般公開を取りやめるのが最善だという結論に至りました。
こうしたものの考え方は、本当に一方的な批判でしょうか?
警告板を介して危惧の意識を伝えてきているのは、お寺のほうなんですよ。
それを真正面から受け容れることのどこに問題があるのでしょうか。
有料公開を続ける限り、真の信心に拠らない参拝者も受け入れざるを得ません。
これでは匿名さんの価値観に反します。
匿名さんが是認される参拝者は、真の信心保持者です。
一般公開をやめれば、住職が信頼できる参拝者だけを入山させることになりますし、また信心深さをフィルターにして入山者を選別できることにもなります。
一般公開取りやめは、真の信心で参らなくてはならないという匿名さんの宗教的価値観にも合致する話ではないでしょうか。
冒頭の「滋賀県の恥」と表現されているのに疑問を持ちます。今日、ブログで情報発信されている方が多く役立つ反面、表現の自由が色々な影響や問題を醸し出しています。文面からは品位否定、名誉毀損とも受け取ることができます。もちろん、どの様に感想を述べても自由です。ブログは広く情報発信できる手段なだけに、あのような極端なコメントは如何かと感じたことを、「信心」という逆のフレーズで象徴的に用いました。公開した方が〜、リスクが〜、という内容には言及していません。なかなか、上手く伝えきれていませんが…
削除コメントありがとうございます。
返信削除冒頭の滋賀県の恥?
どこにそれが書いてありますか?
ああ、滋賀県の恥、わかりました。
返信削除タイトルですね。
滋賀県の恥だと思っています。
匿名さんは常楽寺のご住職イコール滋賀県の恥であるかのように受け取っておられます。
しかし、決してそうではありません。
歴史も古くて、立派で、美しくて、そんな貴重な寺があんな看板だらけの状況にある。
そこまでしなくてはならない状況を放置しておくのは滋賀県の恥だと申しております。
私は草津市に住む滋賀県民です。
また、湖南市の隣である甲賀市水口町の出身です。
したがって、名誉毀損とか品位否定というのではありません。
いってみれば憂慮です。
琵琶湖を汚すのは滋賀県の恥だといったような形でも恥という言い方をするではないですか。
何々を滋賀県の恥にしたくないという気持ちは郷土愛だと思われませんか?
京都や奈良では美しい寺の多くが美しいままに保たれています。
京都や奈良の寺に魅せられた人が常楽寺を見たらどう思うか?
たいていの場合、なんや、これ、どうした?でしょう。
これは滋賀県民として恥ずかしいことです。
何度も言いますが、万人を対象とした一般公開が続くかぎり、常楽寺は警告板を立て続けなければなりません。新たな問題が生じたらまた新たな警告板でしょう。
そんないたちごっこを放置してはいけないと考えています。
一般公開を継続するために寺の景観を損ねてしまうくらいなら、寺の景観保全を最優先して一般公開をやめる。
それが理にかなっています。
その理にかなった判断を、湖南市や滋賀県の観光行政担当者に求めたいのです。
重要文化財や国宝を地域全体の宝物ですから、自治体も知らん顔ではいられません。寺と力を合わせて古刹の歴史的価値を守るべきです。
それがなされていないから常楽寺の実態があると私は考えています。
寺の美しさを愛でる美意識や歴史的遺産の存在価値を理解する知性が欠如しているようで、こういうのは地域全体の恥だと思われませんか?
このブログの内容は著しく名譽毀損になるもので削除するべきではないか
返信削除かつて村が寺財産をくいものにしていたという情報を聞いたことがある。
解決していない問題もあるのだろう