2012-02-28

番外編:原発タウンのひなまつり(若狭高浜ひなまつり) ②

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 若狭高浜ひなまつりの魅力を考えてみました。



町ブラしながら雛人形を見る


 知らない町を歩く楽しみですねえ。細い路地を行ってみたり、海に出てみたり。いくつものお宅を訪れながらそれぞれのお宅の雛人形を見る方式が、予期せぬ演出効果を生み出していると思いました。町の景観にも風情があって、時間が経つのを忘れてしまいます。


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新旧さまざまな雛人形


 家のお宝でもあり町のお宝でもあるような古い雛人形。そのいっぽうで、昭和から平成のさまざまな年代の雛人形。内閣総理大臣賞のお雛様も見ました。95軒ものお宅が参加されていますから、雛人形のバリエーションが広がります。
 雛人形の顔をじっくり見たのは今回が初めてでした。時代とともに表情が変わっていくもんなんですね。


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旧家と雛人形の組み合わせ


 古い民家の残る町ですから、家の造りと雛人形の組み合わせがえらく絵になります。どっしりとした旧家が現役だというのも魅力です。観光資源の「旧なんとか家」なら見せてもらえて当たり前なのですが、そうじゃなくて、生活を伴うお屋敷をウォッチングできる。「今しかない!」の気持ちでどんどんいきたくなります。


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町の人たちの心意気


 このお宅では、「長持」の話になりました。長持に50年間眠ったまま、一度も出したことのなかった雛人形や当時の人形を今年初めて出してみたら、カビも生えてなければ虫にも食われていない。「いや、長持すごいなあ」と、そこの奥さんと驚きを新たにした次第です。誰か来客があるたびの応対は面倒だろうと思いますが、親切に相手をしていただきました。


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 こちらのお宅にかぎらず、とくに本町商店街では、いろいろな方から声をかけていただきました。もしこのイベントに行かれることがあるのなら、本町商店街から歩き始めることを、私はお勧めしたいです。みなさんが笑顔。町の人たちの意気込みも、そしてホスピタリティーも伝わってきます。
 お雛様の隣ではこんな小さなプレゼントを見つけることがあります。小さなお土産ながらも雄弁です


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番外編的サプライズ


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 こういうのも飾ってあります。明治40年のお人形は、レトロをとびこしてホラーの色合いさえ漂わせていました。
 町を歩けば、さびついた井戸ポンプ。


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原発タウンは心惹かれる町だった


 昨日、2012年2月27日、民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)が調査報告書を発表しました。ニュースでもすでに流れていますが、「安全神話」の生まれた要因に分析を加えているといいます。
 MSN産経新聞の記事を引用しますと、以下の通りです。

「安全神話」醸成、事故の遠因 イデオロギー的反対が反作用

2012.2.28 00:40
 民間事故調の報告書は、長年にわたって醸成された原発の「安全神話」が事故の遠因となったとした。規制当局や電力事業者だけでなく、原発立地を受容してきた自治体の住民、ひいては国民全体が神話を受け入れたことで、事故の可能性を論じることが難しい状況が生まれたと指摘。一方で、イデオロギー的な反対運動が“反作用的”に働き、それを強化する土壌をつくったと分析している。
 報告書は、安全神話の背景となった2つの「原子力ムラ」の存在に言及した。原子力行政・産業に加え、財界・政界・マスメディア・学術界を含めた「中央の原子力ムラ」と、積極的に原発との共存を選び続けて自らも安全神話を構築してきた「地方の原子力ムラ」だという。
 報告書は、中央のムラは原発導入の初期、リスクを明示せずに安全性と技術的先進性を強調し、原発を受け入れる素地を作ったが、反原発運動が盛り上がると、さらに神話を強化する方向に動いた-とみる。
 事業者が事故対策を取れば、反対派が訴える安全性への疑念を肯定することになる。それを否定するため、ムラは「原発の絶対的な安全性」を唱え、事故想定を許さない環境ができたと、報告書は説明。「原理原則に基づくイデオロギー的反対派の存在が『安全神話』を強化する土壌を提供した」と指摘した。
 一方、一般の国民についても「原発は複雑で難解な技術的問題として認識され、無知・無関心であることを問題視しなくなった」と、その責任を付言した。
 報告書は、原発の再稼働ができない状況の中、少なくない地元自治体が再稼働を望む現状も紹介しつつ、「中央の原子力ムラによる、安全対策が不十分なままの原発再稼働と、地方の原子力ムラによる原発依存経済の継続がなされ、一般国民による無関心が続く限り、再び過酷な事故を引き起こす可能性は常に存在する」と警告した。


 高浜町の立派な学校校舎や道の駅を見るたびに、この報告書がいうところの「地方の原子力ムラ」を想定していました。ところが、若狭高浜ひなまつりに実際に足を運んでみましたら、さびれゆく商店街への危惧から、住民が自主的に始めたイベントでした。いわゆる自助努力。「地方の原子力ムラ」のなかに、どこの田舎町にも共通する悩みがありました。
 原発によって持ち込まれた活力のいっぽうで、生活と文化に根ざした町の活力は衰退していく。そんな図式を見た思いがしました。踏みとどまるためのひな人形ロードであって欲しい。


 現在の高浜は、原発や漁港のイメージが色濃いのですが、かつての高浜町はもっと多機能な町ではなったのかと思いました。町を歩いてみて、丹後でいえば久美浜に通ずる空気を感じました。陸と海との交易に大きな役割を果たしていた町ではなかったのでしょうか。郷土史家の館太正さんが、「高浜は京都とも縁がある」とおっしゃっていました。急がず、もっとじっくりお話を伺えばよかったと、いま悔やんでいます。


 何か、頭を使ってもっともらしいことを言いたいのですが、いまはなんだかセンチメンタルになってしまっています。ひな人形ロードの舞台になっているあの町並みが原発事故でゴーストタウンになって欲しくないとか、言葉を交わした町の人たちの笑顔が原発事故で失われることになってはイヤだとか、そんなことを思っています。自分がいくらそんな風に望んでも、町の人たちはやっぱり原発が大切かなあ、とか。


 高浜漁港から見る青葉山。若狭富士とも呼ばれる整った山容。山の向こう側が舞鶴市です。
 ごまかしたみたいな弱々しいまとめになってしまったなあ。悔しいなあ。


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