2012-04-04

大飯原発のおおい町 百聞は一見にしかず⑤

若州一滴文庫 水上勉の貧困は昔話

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 作家水上勉氏が私財を投じて設立した「若州一滴文庫」。水上氏はおおい町の生まれです。

 家庭の貧しさゆえ、小学校も卒業しないまま、10歳のときに京都の寺へ小僧として出されました。水上氏は1919年の生まれですから、1930年頃のことになります。

 若州一滴文庫設立の趣旨を記した「たったひとりの君へ」のなか、水上氏は次のように語りかけています。

「生まれた村に小さな図書館を建てて、
ぼくと同じように本をよみたくても買えない少年に
開放することにきめた」

 大飯原発1号機、2号機は、1979年に運転を開始しました。若州一滴文庫の設立が1985年です。
 原発運転開始からまだまもない時期には、「本をよみたくても買えない少年」がこのおおい町にいたのでしょうか。

 私は、1987年に、若州一滴文庫に来たことがあります。えらくわびしいところだと思いました。今回レポートしているような公共施設は何もなかったと思います。
 「本をよみたくても買えない少年」が実際にいたかどうかはともかく、いてもおかしくないほど辺境感に満たされた町でした。それまでに体験したことのないさびしさがありました。

 若州一滴文庫のホームページに、水上勉氏の講演書き写しが掲載されています。講演の最後で水上氏が原発に触れています。

「小さな人口五千の大飯町に、四つの原子力発電所ができます。そして隣の高浜にも四基の原発が稼動する。あわせて八個の、まあ、建設中のもあわせてでございますけれども、八つもの原子力発電所が密集しているのです。
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 原発タウンが手放したくないものは、巨額の交付金であり、雇用機会であり、贅沢な行政であるように見えます。
 見えますというよりも、たしかにそれです。

 けれども、それが単に欲によるものなのか、それとも深い涙によるものなのか、どちらなのでしょうか・・・。
 涙というのは、「本をよみたくてもかえない少年」で象徴されるような貧しさです。深い涙を根性と言い換えてもいいと思います。

 ランチハウスリリーのマコちゃんの言葉にヒントを得て、このように考えました。

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