やってきました、先斗町。
父親が特別養護老人ホーム入居ということで、東京の姉が京都入りです。感心な弟夫妻が姉を先斗町でもてなそうと、こういう算段。
こんな二人よりも、こちらへ近づいてくる芸妓さんにご注目!!
さあ、ここから何を食べようか。とにかく釜飯だけは先に決めといたほうがいい。釜飯が炊き上がるのに30分くらいかかります。 舞鶴に本拠地を置く店ですので、まずはお刺身盛り合わせを注文しました。ヨコワと鯛の昆布じめと天然ハマチ。
店は「あげ半」です。
ご存知の方もおいででしょうが、舞鶴市の本店は釜飯の老舗。長男の仁司さんが先斗町店を出してから1年を迎えようとしています。Click to あげ半
先斗町の風情と舞鶴の人情。数学の式にしますと(風+人)×情。このふたつのよさで姉をもてなす。どのように考えましても殊勝な弟ではありませんか。
先斗町の狭い路地には番号がつけられています。「あげ半」が位置するのは、21番小路のもっとも奥。元はここに「いふき」がありました。「いふき」と「あげ半」は親戚関係に当たります。
予約を入れたのは前日の午後7時でした。「カウンターでもお座敷でもご用意できます」という返事でして、「うそ?空いてるの?ひょっとして人気ないの?」と逆に心配になりました。
舞鶴では名の売れたあげ半ですが、先斗町ともなりますといわば府大会。生き残り競争が激しい。負けるな、あげ半、舞鶴代表。メガホン持って西京極球場に向かう応援父兄の気分です。
この夜はカウンターに座って好きなものを注文することにしました。店がガラ空きではないかとの心配は取り越し苦労。私たち3人が座ることによってカウンター席はすべて埋まり、テーブル席にもすでに女性二人組が座っていました。
先付けです。イイダコとウリ。姉から「おいしいわあ」の声。よかった、よかった。
へぎに書かれたメニューを3人で回しながら、たけのこ、まぜまぜ、貝柱の3種類にしました。いま見ますと、まぜまぜという釜飯がメニューにないのですが、姉はどこから見つけてきたんでしょう。
「ヨコワって何?」と、姉が質問。
まだ小さいマグロです、10kgにもなっていないマグロがヨコワですと、大将の仁司さんが教えてくれます。
もしここに姉の旦那がいましたら、なんでもすぐに尋ねる妻のことをものすごく恥ずかしがるそうです。知らない話が出てきたときには、一生懸命に頭に入れておいて、家へ帰ってから調べればいい。これが姉の旦那のスタイルです。新聞記者だったんですけどね。
続きまして、串揚げ5本セット。タラの芽、海老、白アスパラ、赤こんにゃく、蓮根。
それぞれの素材には下味がつけられています。たとえば蓮根ならば煮てある。したがいまして、塩をつけるとかタレをつけるとかではなくて、そのまま食べます。
これはいいですね。塩やタレですとどの素材も同じ味つけになってしまいます。この串揚げは下味で食べますから、5本あれば5本ともそれぞれのおいしさだというのがいいですね。
「赤こんにゃくは永源寺ですね」と、ここで姉がまた大将に話しかけます。知らんことはすぐ尋ねる、知ってることはすぐ言う。
甘鯛(グジ)の塩焼き。
「私らが子供の頃はグジばっかり食べていた」と姉。
そうなんです。グジがいまのような高級魚ではありませんでした。むしろ鯛を食べることができないからグジでごまかしていました。関西を早く離れてしまった姉の頭の中は、グジが大衆魚だった時代で止まっていたようです。
グジという呼び方よりも甘鯛という呼び方がより広がるとともに、高級魚に変身していった。その過程を一度調べたいと思っています。
カウンターに座っておりますと、他のお客さんの注文した料理が目に入ります。料理を仕上げる経過がよく見えます。他の人の注文がおいしそうに思えて、おのずとそれを食べたくなってしまいます。
初がつおの塩たたきもそんな一品でした。誰かの注文を受けた大将が、ごろんとした鰹の切り身を炙っていました。塩たたきですので、たれを使わない。魚の鮮度で勝負。
大将が表面だけを炙ります。火を通していない身の色合いがめちゃきれい。それを見たら辛抱できませんでした。
レモンを絞ってネギと一緒に口に入れました。いや、やっぱり旬のものはおいしい。まったく生臭くないねと、姉と妻お龍に大好評!
塩たたきといえば、土佐の名物でもあります。では、ここで、嵐山の落柿舎前から土佐の四天王像をご紹介します。
これもまた、他の人の注文を見て辛抱できなくなった一品。若たけ煮です。
「京都の春はやっぱり筍やねえ」と姉。ほんにそうでおますなあ。
「このお皿の絵柄は鳥獣戯画やんか」と姉が再び口を開く。知ってることはすぐに言う。
筍も蕗も木の芽も、器の中に春の箱庭。
「ばちこ食べたことあるか?」と姉に尋ねました。
「何、それ?あんたこの前、丹後で買うてきてくれたやんか。あれと違うの?」
「あれはへしこや」
大将が、ばちこはナマコの卵巣を干したものだと説明してくれます。1匹ずつに入っている卵巣はひょろひょろした紐状だけれど、それを寄せ集めて干すとばちのような扇型になるのだと、全体の形まで見せてくれました。
「ああ、ばちねえ。琵琶を弾くときの」と姉。
「いえ、三味線です」と大将。
知ってることをすぐに言うたらええちゅうことでもない。
同じばちでも、三味線と琵琶では形状が大きく異なります。
この珍味に姉も妻お龍も大満足。ナマコの産卵期は1月~3月ですので、その季節に卵巣が発達します。二人の卵巣はとっくに衰退です。
さて、釜飯です。
小さな釜で炊き上げた釜飯をご飯茶碗によそって出してくれます。
私は、というか皆さんもそうでしょうが、おこげが大好きです。一杯目のご飯茶碗からおこげ混じりでして、二杯目も三倍目もやはりおこげ混じり。釜に直に触れた米は、底だけといわず側面でも、満遍なくおこげになっているのではないでしょうか。
ご飯の量がけっこうあります。余った分はおにぎりにしてもらえます。私たちもおにぎりで持ち帰りました。翌朝に食べてもやはりおいしくて、よほど上手に炊いてあるんだなと感心しました。
うちの姉は学生時代を京都で過ごしました。しかし、学生時代を過ごしただけですから、先斗町は別世界でした。
年齢を重ねたいまもなお敷居の高い場所だと思い込んでいたようですが、あげ半の気取らない雰囲気のおかげですっかり肩の力も抜けました。カウンター席を共にした他のお客さんたちとも打ち解けて、本領を発揮しておりました。
先斗町の風情と舞鶴の人情で姉をもてなさんとする弟の意図が成功裡に終わったのも、あげ半の仁司大将をはじめ、店のみなさんのおかげです。本当にごちそうさま。そして、ありがとうございます。
ちなみに、お値段はひとり7000円くらいでした。酒に弱い私たち3人はお茶だけです。
店を出た私たちは、四条大和大路の交差点へ。そうです、あの現場です。
交差点の隅に献花の花束が固められていました。あれだけの惨事にもかかわらず、交差点の非日常的光景はすでにこの献花だけでした。
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