桜の咲き乱れる季節は、丹後ちりめんが誕生した季節です。
享保5年(1720年)の春、桜満開のなか、峯山の絹屋佐平治が丹後ちりめんを織り出すことに成功したと伝えられています。
私が訪れたのは、網野町浅茂川の田勇機業(株)。工場内を見学させてもらえる織元さんはそう多くありませんが、田勇さんの場合は「工場見学、お気軽にお立ち寄り下さい」との看板があります。
工場見学、お気軽にと書いてありましたので、お気軽に来ましたけど、ほんまにお気軽に見せていただけるんですか?
田勇さんの事務所に、そう声をかけました。
団体ならば予約も必要でしょうが、たった独りでの訪問です。その扉を入ったら工場ですから見て行ってくださいと、ほんとに気軽に快諾してもらいました。
ガチャコン、ガチャコン、ガチャコン。
それは、それは、ものすごい音です。
ずらりと並んだ織機という織機が、糸を繰ったり、反物を織ったり、同じ動きをずっと繰り返しています。
海風の町角、風にのってどこかから聞こえくるガチャマンの音。それにいざなわれた先が田勇さんでした。そりゃこれだけの機械音なら遠くまで届くはずだと納得しました。
機械の台数と音の大きさに比して従業員数はおどろくほど少ない。
生糸を撚って緯糸(ぬきいと:横方向の糸のこと)に仕上げる工程を別工場にしているのも、この織機場に人が少ない要因だとのことでした。人件費がいちばん高くつくとのことで、どの工程にも必要最小限の従業員数だそうです。
そのかわり、多数の機械をひとりで受け持つ従業員さんが、工場の奥からこちらまでをたえず歩き回り、ときには小走りも交えて、時給以上の労働価値を発揮している様子でした。ふくや工務店のCMにも負けない熱意ですね。
TSUDAKOMAと刻印された織機がガチャコン、ガチャコンと休みなしに機械音を立てるなか、シルク糸が直に触れるパーツはすべて木製です。がっしりとした鉄の機械をフル稼働させて生産効率を上げながらも、繊細なシルクには繊細な気遣い。その組み合わせに興趣を感じました。
シルク商品の直売所もありました。田勇のシルクでこしらえた小物類があれこれ並ぶなか、いちばん人気があるのは絹のボディータオルだとのことです。
水を吸ったシルクはちょうどいい具合に硬くなるそうでして、それがボディータオル向きなのだと説明してもらいました。
お風呂用だけではなくて、120cmのロング丈のほうは夏場のストールにもいいですよということでした。
そういえば、うちの妻お龍は夏でも首になにやら巻いてたなあ。お土産にしました。
私の浅茂川探索はこの奇妙な建物から始まりました。実は喫茶店です。店名を「学園坂」といいます。このあたりで学園といいますと、網野高校くらいしかなさそうです。
喫茶「学園坂」を別方向から見ますと、全体に生え揃っているわけではありません。私の頭と同じです。
喫茶「学園坂」から海の方角へ歩いていきますと、ガチャコン、ガチャコンの音が聞こえてきました。網野の中心街にいてもちりめん工場の音は聞こえません。網野もちりめん産地だったのかと、初めて知りました。
音に誘われるままに進みました。このような建物に遭遇しました。
海からの潮風ゆえか、ぐるりと錆に囲まれた織機工場。コートを着ようかどうしようかくらいの気温と風のなか、ガチャコン、ガチャコンの音が響きます。
浅茂川には、同じような外観の建物がいくつも建っています。現役の織機音をたてる工場もあれば、すりガラスの窓に桜を映しながらたたずんでいるだけの休止工場もありました。
なぜか離れがたい道に立ち、この記事のタイトルを思いつきました。海風のちりめんエリア。
網野町はこのエリアの魅力に無頓着な様子です。実はすごく味のあるエリア。昭和を題材にした映画の一本も撮れそうです。
浅茂川や、海沿いの八丁浜といえば海水浴やカニばかりが有名です。私にもその程度の知識しかありませんでした。車で新しい道ばかりを走っていますと見落とすものも多い。
歩いてみるもんだ。あらためてそう感じました。
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