おこしやすの冷たい麦茶。そして、おしぼり。
年季の入ったガラス戸の向こう側を高野川が流れています。古いガラスのせいで景色がところどころいびつ。それがまた風情。
川床よりも快適だと感じました。蒸し暑さでは日本一かと思える京都の街ですから、川床とはいえ同じこと。エアコン入ってる部屋から川を見てるほうがええわ。
山ばな平八茶屋は、川端通を北上し、北山通を過ぎて300mほどのところにあります。目立ちます。でも、目立つ建物は看板のようなもので、実際の食事場所は広い庭のなかにあります。
川端通というくらいですから、その名のように川に沿って走る道路。川端通に面した平八茶屋のすぐ裏手は高野川です。
店の門をくぐるだけで気温が急に変わると若女将が言います。
門の内側は、山の一部を切り取ってきたような庭になっています。木と土と水が涼しさを生み出すと若女将に教えてもらいました。
庭の内側と外側で本当に違うかどうかを試してみましたら、たしかに庭に立つほうがひんやりしています。門を境に涼しくなるというのも本当です。びしっと和服を着こなしたべっぴんさんの若女将。顔に汗のひと粒もありません。それだけでも涼しい。
その庭から廊下に上がり、座敷の引き戸を開ける。
途端に高野川の流れが視野に入ります。
「いや、ええとこやな。カメラ忘れてきたな」と、隣の老夫婦。親孝行な息子さんが、老いた父母を連れてきていました。
先生方7人の集まりを手伝う仕事ができました。予算5000円以内でおいしい昼食の場所を探す。それがいまの私の任務です。願ってもない任務です。こういう任務なら会社の経費で昼飯食ってもいいのじゃないでしょうか(あかんかもしれませんけど、領収証だけは一応もらっておきましょう)。
エリアは左京区ということで、候補に挙がっていますのが、XIVのイタリアンか中華、北山モリノスのフレンチ、下鴨茶寮の和食、おくむらのフレンチ、そして平八茶屋の麦飯とろろ膳。
やっぱり、まずは歴史400年の山ばな平八茶屋から実地見分せねばなるまい。新選組の追撃を避けた岩倉具視がここを隠れ家にしていたというではありませんか。
壬生狂言には「山端とろろ」という演目もあるそうです。頼山陽の漢詩にも「山端にあそぶ」というタイトルで登場するそうです。夏目漱石の「虞美人草」にも店の名が出てくるそうです。
さて、その麦飯とろろ膳。4410円。
若女将に負けず劣らず、料理もべっぴんさん。見た目がとてもきれいです。お箸をつけるのがためらわれます。
白いテーブルクロスの明るさに露出調整がごまかされてしまいましたねえ。写真の写り方が暗くなってしまいました。
山ばな平八茶屋でのランチをひとことでいえば、よく演出された京都の夏です。身体で感じる夏が暑いからこそ、心で感じる夏が涼しい。
夏野菜の上品な味付けは幸せを感じます。心を満たされながら視線を上げますと、そこにはガラス越しに高野川の水面。食通になった気分です。テレビに映してくれ。
とろろには味付けが施されています。それをそのまま麦飯にまぶして食べます。抹茶がひとつまみ、とろろの真ん中にのせられています。その抹茶を粘るとろろ全体に万遍なくいきわたらせるのは無理ですが、おのずと生まれた抹茶の濃淡が味の変化につながります。
とろろのくっついたお箸の先でおかずをつまむとせっかくの煮物の味が濁るような気さえしまして、麦とろを食べては箸をひとねぶり、またひとねぶり。行儀の悪い食べ方やなあと思いつつ。
鱧の梅肉にも驚きました。いや、恥ずかしながら、普段はもっと酸っぱい梅肉しか食べたことがありません。味も色も中国選手のユニフォームみたいにえげつないやつです。ところが、この梅肉にはいやな酸っぱさがどこにもなくて、甘くてまろやか。これならば鱧をいくらでも食べたくなります。
「まだこのあとに水もんがありますから」と出てきたデザートは、オレンジとキウイのワインジュレ。金粉で飾られた半透明のガラスの器のなかには、ジュレの食感、オレンジの酸っぱさ、キウイの甘さ、ミントの爽やかさ。器に残る甘さと香りが惜しくて、スプーンで何度も底をさらいました。さらってなめれば、空のスプーンでもまだまだおいしかった。
アンケートに答えたら名物の麦とろ饅頭が2個もらえるというので、よろこんでボールペンを手にしました。もらった麦とろ饅頭は妻お龍へのお土産です。ほんとに小さなひと口サイズのお饅頭でしたが、お龍も山なべ平八茶屋の片鱗を知ったようです。
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