2013-03-12

さよなら タンゴ・エクスプローラーと183系

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 183系と称される古い特急列車が、この3月15日で姿を消します。
 183系は、山陰線を豊岡まで走るこうのとり号、きのさき号として、そしてまた、北近畿タンゴ鉄道(KTR)経由で京都~天橋立間を走るはしだて号として、長年活躍してきました。

 「ダイヤ改正の前日となる3月15日において、定期列車として最後の運転となる183系車両のラストランセレモニーを開催いたします」

 JR西日本がそうプレス発表しています。それくらいですから、183系引退はけっこう大きな出来事です(ラストランセレモニーのURLはありがとう183系 183系引退に伴う「ラストランセレモニー」の開催について:JR西日本)


 183系特急が出るのは、京都駅の31番線。マイナー感漂うあのホームから旧態依然とした車両に乗り込む。初めて183系に乗り込んだとき、それだけで京都府北部のうらぶれ方を知る思いでした。

 あのとき、自分が丹後のことをこんなに好きになるなんて、思いもしませんでした。いやいや、自分の担当エリアがいずれ丹後になるだろうなんて、それすらも思いつかなかった。

 その日、私を案内してくれる京都北部の担当者は、とても温かそうなダウンコートを着ていました。
 「ええコート着てるなあ」と私がほめると、「そうですか。舞鶴やら丹後は、こういうのを着んことには我慢できませんのやわ」と、彼はやたら攻撃的に言葉を返してきました。ひがんでいました。

 京都府北部を担当させられるというのは、子供の教育資金や住宅ローンなどをかかえる年代の社員には辛いことでした。
 まだまだ出世して金を稼ぐ必要があるのに、京都府北部の市場は衰退の一途です。人口も容赦なく減っていく。手柄を上げる機会から切り離されてしまう。
 そのうちに、京都や大阪を担当するライバルたちは、支店長にも取り入ったりしやすいし、ひと足もふた足も早く所長に昇進していきます。
 丹後を好きになるなんて、野心を捨てられない営業マンにはとうてい無理な話です。

 183系の写真を撮るだけなら京都駅の31番線で充分です。けれども、どうしても天橋立駅から出発する183系を写したかった。丹後好きになった私の場合、はしだて号というのは京都駅の特急ではありません。天橋立駅の特急です。

 入場券を買ってホームに入ろうとする私に駅員さんが尋ねました。
 「お乗りにならないんですか?」
 「あ、乗りません。ほら、車両がもうなくなりますから、写真を撮りたくて」
 そう答える私に、その駅員さんは言いました。
 「ありがとうございます」
 はしだて号を代弁するような言葉だと思いました。

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 3月15日で姿を消す車両がもうひとつあります。

 かつてタンゴ・エクスプローラー号として、京都や大阪と豊岡の間をKTR経由で走っていた、あのハイデッカー車両です。KTRからのお知らせは以下のようになっています。

1990年に京都から丹後地方へ向かう特急列車としてデビューした「タンゴ・エクスプローラー」ですが、3月15日(金)の特急たんごリレー7号(福知山駅20時08分発⇒豊岡駅21時48分着)の運行を持ちまして、タンゴ・エクスプローラーの定期運行を終了させていただきますので、ご案内させていただきます。(URLはさよなら タンゴ・エクスプローラー|北近畿タンゴ鉄道です)

 タンゴ・エクスプローラーのラストランに乗ると183系のラストランに乗れない。う~ん。悩むところです。

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 初めてタンゴ・エクスプローラーを見たときは、こんなかっこいい気動車があったのかとビックリしました。大きな1枚板のフロントガラス。客席の窓はなんとハーフミラー。アルファードなどミニバンの流行を先取りするようなデザインではないですか。ガラスの大胆さがメタリックなボディーに映えて、JR車両にも近畿の他私鉄にもないユニークな列車でした。

 6両編成で走ることもありました。その姿はKTRの星。まさにスーパー・エキスプレスと呼ぶにふさわしく、とてもじゃないけど日本一赤字の鉄道だなんて思えませんでした。
 何両もつないだプラレールを孫が走らせると、その途端に鉄道臭くなります。1両編成や2両編成ばかりのKTRにあって、6両編成の本格的な姿は、お年玉で買ったプラレールみたいでした。見ると本当に嬉しかった。

 しかし、タンゴ・エクスプローラーは、2011年3月のダイヤ改正で廃止に追いやられました。採算性がよくなかったからでしょう。空席の目立つ日が多かったと、そのように記憶しています。

 タンゴ・エクスプローラーという便が廃止された後も、ハイデッカーの車両自体はそのまま使われました。特別な列車でもなんでもなくて、ごく普通のKTRとして走っていました。
 なんといっても、KTRは、毎年度7億5千万円の補助を府と関連市町村から受け取る大赤字路線です。貧乏人にはよそ行きも普段着もない。持ってる服を着るしかない。そんな感じで高級車両が普段使いされていました。

 写真は、17時56分発として丹後由良駅に入ってきた福知山行きです。こんなすばらしい車両で通学する高校生たちもいます。

 列車を見送る夕暮れのホームに気動車の煙が残り、少しばかり蒸気機関車に似た臭いがしました。

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