とても寒い一日でした。でも、めげずに、ウォーキングを兼ねて石山寺へ出かけました。
石山寺を歩く楽しみは、私の場合、以下の3点です。
①花の寺・・・関西花の寺25箇所には含まれていませんが、寒中の梅や椿、春の桜、秋の紅葉に至るまで、季節ごとの花が散策路を飾ります。
②文学の寺・・・紫式部、和泉式部、松尾芭蕉、島崎藤村といった時代を代表する文学者との関係が深く、寺に物語性があります。
③地質の寺・・・天然記念物の珪灰岩が境内中央に露出し、その様は鎮座の表現にふさわしい威容です。名は体を表す。「石山寺とは石の山の寺か」と思える景観が随所に見られます。
こんなところに越直美
石山寺といえば、紫式部が源氏物語の着想を得た寺として有名です。
本堂の脇には「紫式部の間」があります。紫式部がそこに逗留したといわれています。
その部屋に紫式部のマネキンが置かれています。あろうことか、マネキンの顔が大津市長の越直美に似ているではありませんか。
まあ、みなさん、見比べて下さい。なんでやねんと思いますよ。
こんなに似ていていいんですか。
天然記念物の上に立つ国宝
天然記念物の珪灰岩越しに見えるのが国宝の多宝塔です。ごつごつとした岩肌は剣岳のように先鋭な容貌。対する多宝塔は曲線や円筒形がものをいう建造物。両極端の様相が溶け合う。石山寺のシンボルともいうべき景観だと思います。
ちょっと急でちょっと長い石段を登りつめたら、珪灰岩の塊とその頂上に立つ多宝塔が視界に入ります。天然記念物と国宝の組み合わせって、ひょっとしてすごい値打ちではないのかと、いま文章を書いていて思いました。石山寺が身近なゆえに、普段はその値打ちを考えたことがありません。
「地質百景」というサイトをやっているYOSHIDA FUMIOさんは、「石山寺のような平地のところに褶曲した層状石灰岩ホルンフェルスが見られるのは珍しく、昔の人がこの不思議な形の岩石を霊石とあがめ、観音信仰の霊場として石山寺をこの地に建立したのも首肯できます。多宝塔が石灰岩ホルンフェルスの巨岩上に建立されているのも何らかの理由があるのでしょう」と書いています。「褶曲した層状石灰岩ホルンフェルス」というのは、天然記念物に指定されている珪灰岩の成り立ちを表す学術用語です。
「地質百景」が言うとおり、多宝塔近くまで上がっても、地面には岩の大きな塊が露出しています。岩盤が主流の固い地面に多宝塔を建立したことになります。まさに石山寺です。
とんがった珪灰岩越しに多宝塔のやさしい姿が見える。
どの角度から見てもバランスのいい多宝塔。
多宝塔の展望場所から瀬田川と琵琶湖を望む。
冬の中の春か、春の中の冬か
ときおり雪がはらはらと落ちる天候でしたが、流れは確実に春に向かっています。梅林園の紅梅が、一輪ずつのペースながらも咲き始めていました。
この季節、散策路沿いには艶やかな寒椿が目立ちます。確実に春に向かおうとする季節に待てを告げるがごとく、まだまだしゃきんと咲いていました。
茶丈藤村で一服
おまえはどれだけトイレ行くねん。
妻お龍にはとびきりの寒さがよほどこたえているようでした。「コーヒーでも飲もうよ」と、お龍のほうが先にめげてしまいました。めずらしいことです。
石山寺の周辺には魅力的な店が軒を並べています。
ただし、ちょっと一服という目的で寄るとなると、第一候補は茶丈藤村だと思いました。
この店でとくに有名なのが「たばしる」です。指先が触れるだけでへこんでしまうほどの柔らかい求肥のなかに、釜あげ丹波大納言(甘納豆のような食感)とくるみが入っています。テレビ番組などメディアを介しても幅広く知られている和菓子です。
お龍がたばしる、私は寺辺もちを食べました。
明治時代の文豪島崎藤村も石山寺に逗留したことがあります。
教え子との恋愛のために教職を去った藤村(22歳)は石山寺の密蔵院で2ヶ月間暮らしました。その滞在中、刀鍛冶堀井求助と出会い、語り合う機会を得た結果、文学を目指す志を固めたそうです。
藤村と求助が語り合った場所が密蔵院の茶丈(茶丈の意味がわかりませんけど)だったのにちなんで、店の外観をその茶丈に似せ、店名を茶丈藤村としたのだと聞きました。
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