今日は雲がきれい。写真撮ってるの?
草津のステラおばさんからこんなメールが来ました。
たしかに、空だけでブログになりそうな日です。
しかし、空だけがネタでは芸がなさすぎると思いまして、通り道で見つけたお寺に立ち寄ってみました。
滋賀県湖南市岩根の国宝善水寺(ぜんすいじ)。由緒正しき天台密教仏殿の茅葺屋根に太陽の光が照りつけています。真夏の暑さと青紅葉の新緑が、この季節に正しいのは俺かお前かと、互いに相手の出方をうかがっているようでした。
ありがたいことに、ご住職自らが本堂の解説をして下さいます。平日の4時を過ぎたこともあって参拝客は私一人。解説を独占しました。
ご住職は立て板に水です。おみごと。一度たりとも噛みません。
解説が進むに連れてご住職のイントネーションがどんどん標準語になっていきます。標準語で始めてもだんだん関西弁になってしまう人が多いというのに、ご住職は珍しい人だなあと思っていました。
途中で携帯が鳴りますと、ちょっとすみませんと言って電話に出ます。戻ってきたら、さっきの続きを話し始めるポイントが正確きわまりなくて、そんなことにも感心しておりました。
ご本尊は薬師如来です。ご本尊のご開帳が不定期(前回は平成13年)で、普段は扉の奥にあるお姿を拝観することができません。次のご開帳を決めるのはご住職でもないようで、予告編的発言もありませんでした。
その見えないご本尊を安置した厨子を真ん中に、梵天、帝釈天、四天王、十二神将が両側に並びます。これだけの仏像を揃えるのが、天台密教仏殿のもっとも正式かつ古典的な方式だそうです。つまり、オールスター大集合です。
天台宗総本山は延暦寺ですから、当然のことながら、あそこの根本中堂は天台宗の教義に則って正統な仏像群を具備していたはずです。けれども、多くの建築物と仏像が織田信長の焼き討ちに遭いました。本山が原初の様式を失って以降、天台宗本来の様式は善水寺だけに残されたとご住職がおっしゃっていました。要するに、善水寺は、仏教の歴史を知る上で貴重な存在なのです。
仏殿内は撮影禁止ですので、仏様のお姿は善水寺のホームページで見ていただく他ありません。ホームページには仏像が作られた時代も記してあります。見ていただくと分かりますが、新しくても鎌倉時代、ほとんどが平安時代に起源を持っています。何気ない場所に位置しながら実は格式の高い寺です。これだけの寺を湖南市に任せておくのはちと不安です。URL=http://www.zensuiji.jp/contents/honzon/
善水寺の魅力は、千年を経た仏像を至近距離で拝観できることでした。国宝というだけなら京都や奈良へ行けばいくらでもあります。しかし、身近では見せてもらえません。ここ善水寺では、国宝級の仏様たちがすぐそこに立っています。「仏像に手を触れないで下さい」の貼り紙がしてあるくらいです。
長い時の流れを全身に染み込ませた仏様を間近にしたときの感覚をうまく言葉に置き換えることができません。見えるはずもない千年前の世界が見えたような気にもなります。合掌したままでいるほうが自分の気持ちには率直だったのですが、わかっている奴のふりしているように思われても悔しいのでやめました。
ご本尊の胎内から、西暦4年(993年)と記された古文書と、多量の稲籾(おそらく舎利のシンボルとして米を用いたのだろうとご住職の解説)が出てきたそうです。日本史で習ったとおり、平安時代は「なくよ(794)うぐいす平安京」ですから、993年といえば平安中期に相当します。
湖南市には、善水寺の他に、常楽寺、長寿寺という天台宗の古刹があります。いずれも長い歴史をもつ寺で、みっつ合わせて湖南三山と称されています。これに、総本山延暦寺の根本中堂、三井寺の金堂、そして湖東三山のなかの西明寺・金剛輪寺。近江には天台密教仏殿が7つあるのだと、ご住職がおっしゃっていました。
そうか、天台宗と平和堂は滋賀県がお膝元か!といったところです。
本当に雲がきれいな日でした。鐘楼を見上げればこの空。雲が流れ、鐘楼が動いているように見えました。
百伝の池(ももつてのいけ)です。水少な! 善水寺HPには「傳教大師は百伝の池水をもって薬師如来の宝前にて医王善逝の秘法を修する事7日間、桓武天皇の病気平癒を祈念され忽ちの内に快癒されたことから『善水寺』の号を賜ったものである」との解説があります。
庫裡の庭から望む湖南市。庭師のお二人が仕事をなさっていて、ご住職の解説になかった話も聞かせてもらうことができました。
こんな何気ない場所も美しい寺でした。
善水寺から移動して、東近江市能登川の麦畑を照らす夕日。まるでミレーの絵画のような色合いを目の当たりにしました。
琵琶湖の夕焼け。愛知川河口から竹島方向を眺めています。
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