「運動部活動における体罰受容のメカニズム ―A高等学校女子ハンドボール部の事例― 」というリサーチを見つけました。
早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科で学んだ庄形篤さんという人の修士論文です。
顧問ー部員間の権力関係だけでは不十分
庄形篤さんの修士論文はこのURLで読むことができます。PDFファイルになっていますから、ダウンロードもできます。http://www.waseda.jp/sports/supoken/research/2011_2/5010A041.pdf
庄形さん以前にも部活の体罰に関するリサーチはいろいろありました。 庄形さんの場合、それらの研究成果では不十分だと考えました。それにはふたつの理由があります。
ひとつめの理由は、これまでの研究の場合、やってはならないはずの体罰がなぜ行われるのか?といった視点にこだわりすぎていたことです。
その視点で実施されるリサーチは、当然のことながら、倫理的に間違った行為が正当化される理由を探すことになります。その結果、顧問に逆らえない部員といった権力関係に答が偏りがちでした。
ふたつめの理由は、時代の流れです。過去のリサーチ当時に比べて体罰に否定的な風潮がうんと強くなっています。
部活絡みの体罰で懲戒処分を受ける教師の数は増加傾向にありますし、体罰問題が起きるたびに報道機関は大きく取り上げます。
泣き寝入りしなくてもいい世の中の流れを部員たちも実感しているはずなのに、依然として多くの部員たちが体罰を受け容れ続けています。
庄形さん以前のリサーチは、顧問に逆らえない部員という権力関係に解答を求め、部員の服従心が体罰の許容につながるとしてきました。しかし、それだけではいまの実情を充分に読み解くことができません。
以上、ふたつの理由から、庄形さんは新たな発想で部活動内の体罰を考え直そうとしました。
庄形さんは、ボクシングや危険な祭りが暴力扱いされていないことを実例として挙げ、「そもそも暴力的現象は、社会や文化に規定される」と言います。何を許しがたい暴力とするかは人の心の持ち方次第という意味でしょう。庄形さんはこの観点を大切にしたそうです。
庄形さんは、部活動にはそこでしか理解できないものがあると言います。体罰もまた然り。内と外のギャップが大きすぎます。
日本の教育現場で体罰は長年禁止され続けてきました。その教育的効果を実証した研究もありません。しかも、社会の一般的見解は体罰に批判的だというのに、部活動のなかではなおも存在し続け、ときには推奨されています。
ならば、部活動内の尺度においては体罰になんらかの意義が認められているのかもしれません。庄形さんはこの前提に立ちました。先述したように、何を許しがたい暴力とするかは人の心の持ち方次第というやつです。
ところで、庄形さんは論文を書く立場にありますから、純学術的な見方に基づいて語ろうとします。
いっぽう私は、ごくありふれた生活感覚でものごとを見ます。庄形さんの発想は研究臭が強すぎて、にわかに賛同できません。
部員が体罰に耐える裏には、先生に嫌われたくないという保身もあると思いますし、言うだけ損という打算もあると思いますし、かえってみんなに迷惑をかけるという先読みもあると思います。私たちだって、日常生活で似たような事例を経験し、結局ご都合主義で行動を決めています。
こういった生身の人間らしい行動、いわば形而下学的行動は、理にかなった結論を導き出すべき庄形さんにとって不都合ではなかったかと思います。だから、意図的にカットされているはずです。そこを踏まえた上で、庄形さんのリサーチを見ていこうと思います。
がんじがらめの部員たち
論文中、A高校女子ハンドボール部内の約束事が細やかに紹介されています。庄形さんは、部員間の約束事を、①部活内規範、②共有される服飾類、③部員的身体技法、④OG会の役割、⑤「心」を書く部誌の5つにジャンル分けしています。
①部活内規範
「ハンド部の鉄則」、「四つの一」、「か・て・る」、「凡事徹底」、「A校スタイル」、「OVER THE 2009」など成文化された行動指針がいくつもある。そのなかにおいて、礼儀作法、心構え、守るべき行動、インターハイの目標など、あるべき部員像が示されている。
また、成文化されていない暗黙の規則も多い(髪型はショートヘアなど)。
徹底順守が要求され、守らなかった場合はペナルティーが課される。連帯責任も問われるため、部員同士で注意しあう。
②共有される服飾類
練習でも試合でも必ずはちまきを巻く、練習時にゲームパンツの色を全員で揃える。
試合の移動時はチームジャージ着用、チームバッグ携行(揃いのお守りつき)、チームタオル使用。
試合前練習では、シューズ、パンツ、Tシャツを全員が同じもので揃える。
といったように、試合用ユニフォーム以外の服飾類にも約束事が多い。
③部員的身体技法
コートに入るとき「失礼します」の言葉と一礼、練習開始時と終了時には全員でコートに挨拶。
練習中でも試合中でも、激励すべき仲間や賞賛すべき仲間と手を合わす。
試合前は円陣に続いて全員と手を合わす。
ディフェンス開始時には床を触って「よしこい」と声を出す。
他にも、様々な約束事が決められている。
④OG会の役割
OG会と現役部員の交流会が毎年開催される。
部活内の約束事とは色合いの異なるものだが、OGとの交流を通じて、伝統の重さ、支援や期待の大きさが現役部員に伝わる。
(庄形さんは言ってませんが、OGの姿は部活の苦しさを乗り越えた先の成功例として現役部員の刺激となるはずです)。
⑤「心」を書く部誌
部員は部誌と呼ばれるノートを毎日記述し、それを顧問に提出する。
部誌は他の部員にも読まれるため、自分の「心」が他人にもよく伝わるように書く必要がある。
(「心」とは何かを庄形さんの記述から把握するのはきわめて困難ですが、あるべき部員像と現状の自分を比較し、いまの自分に何が足りないかを率直に述べるということのようです)。
部員間のいざこざなど、部誌なしでは顧問が知り得ない情報も豊富。
技術的・戦術的な反省や課題が書かれることも多く、競技力向上にも役立っている。
と、まあ、庄形さんは様々な約束事を紹介してくれるわけですが、がんじがらめやないかというのが私の感想です。マインドコントロールみたいなもんですね。
ここまでのことだけで、体罰が温存されている理由が見えてしまった気もします。
これだけの約束事で生徒を縛れば、それを充分に満たせない奴が必ず出てきます。いくらでもスケープゴートを作れる仕組みじゃないですか。私なんか真っ先にどつかれそうです。
私は教育委員会にすぐ告げ口しますけど、みんなについていけない私がいけないんだと考える生徒だっています。自分の成長のため、部全体のためだと解釈してくれるでしょう。それなら教師がラッキーしますね。
庄形さんは、ここからさらに踏み込んでいきます。
自分がわるいのだと部員に思いこませてしまう部活の構造について、庄形さんの理論展開が始まります。
一気に書くには時間がかかりすぎますので、いったんここで区切ります。続きは明日にさせてください。
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