2013-01-18

日牟禮庵(近江八幡市) 築二百年の商家で鴨なんばん

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 体罰問題ネタばかりで、自分が煮詰まってきました。
 いっぺん食い物屋の話題を挟まないと。

 雪の近江路、嬉しいことに、これが日牟禮の鴨なんば。
 「淡海音頭」で古くからそう唄われてきましたなんてことはまったくありませんで、「淡海音頭」も歌詞も、いま私が作りました。
 でも、ほんまに、そんな気分だったんですよ。

 近江八幡駅前のにしはら耳鼻咽喉科を目指していました。

 道を間違えまして、迷い込んだのが本願寺八幡別院金台寺の寺内町といわれる西元町界隈です。「辻」と言うにふさわしい交差を見せる西京街道を包む雪。歴史の時を止めたかのような端正な佇まいがそこにありました。


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 本能寺の変。信長の死。安土城の炎上。
 秀吉は近在の近江八幡に新たな城下町建設を進め、安土城下の町並みと住民をそのまま近江八幡へ移し替えました。元は安土にあった金台寺も門前町ごと八幡へ移ってきました。
 歴史的町並み保存に熱心な近江八幡市には、城下町時代の面影があちこちに残されています。

 雪の西京街道で、手打そば処日牟禮庵の看板を見つけました。

 迷い込んだという割には描写が整いすぎやないですか。仕事サボってわざと行ったみたいに思われないか心配です。


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 店で古い新聞記事を見せていただきました。1998年10月17日付の京都新聞。日牟禮庵の登録文化財指定が報じられていました。
 建築の主要部分と流し場は1800年前半の建築、座敷、離れ、蔵、高塀は大正10年(1921年)に整備されたものだと、その記事が言っています。家人によって町屋の特徴が良好に保存され京街道沿いの建築を知るのに貴重な存在だというのが登録文化財指定の理由です。

 すなわち、築200年を経た古いお屋敷が蕎麦屋になっている。そもそもは回船問屋辻井家の屋敷でした。


 石油ストーブの暖かさはありがたい。エアコンと違って風が来ない。それなのに暖かい。座敷に上がった私は、懐かしい温まり方に包まれて、仕事を忘れてしまいそうでした(すでに忘れていました)。

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 障子を開けると、雪の庭が見えました。そう、あの丹後のちりめん街道、尾藤家と同じでした。大きな一枚板ガラスの表面が波打ち、そのうねりに合わせて庭木もくにゃくにゃっとした輪郭です。風景とともに、外気温並みに冷え切った廊下の空気が流れ込みます。

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 おしっこもしたくないのに手洗いへ立ちました。
 またどこかで間に合わなくなってたれたらあかんと考えたわけではなくて、手洗い所から庭を直に眺めることができるからです。
 お時間限りのタイムサービスなのか、陽が照っていました。たまらず融け始めた雪が屋根や松でキラリと光ります。キラリと光っては落ちます。その輝きが雪から水への境い目。そうか、雪と水の間には光があるのか。これはブログに使えるぞ。心がニヤニヤしています。

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 鴨肉の噛みごたえ。めちゃええなあ。
 野生か養殖かは知りません。冬の比良おろし。その琵琶湖に鴨はいくらでも浮かんでいるけれど、あれを撃ってはいけません。禁猟区です。しかし、なんであれ、鴨。この噛みごたえはジビエの醍醐味。
 粉山椒をぽんとテーブルに置いてから、粉山椒の周りに広がる木目の年季に初めて気づきました。

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 そういえば、共栄学園の合鴨。今年は誰に食べられたのでしょう。合鴨農法の役目を終えた鳥たちは学校関係者の間で格安販売されます。去年は学校関係者でもないのに一羽分けてもらいました。ランチハウスリリーのマコちゃん夫妻の感性で日仏交流五百周年みたいなメニューに生まれ変わりました。

 風邪を治したいの鴨なんばんですから、鼻が詰まっています。蕎麦の蕎麦らしい風合いを語るにはあいにくの体調でした。けれどもつゆの味から想定するに、ここの蕎麦はおいしいはずです。
 少なくとも坂本のなんとかという有名な老舗より、はるかにおいしい味でした。

 坂本は、琵琶湖を挟んで安土の対岸。延暦寺攻めの功績として、信長から光秀に付与された領地です。坂本から安土の方角へ吹きすさぶ比良おろしの風によって、琵琶湖に白波が立ちます。その様子は兎が飛ぶとたとえられます。水鳥たちは、湾曲させた頸を懐に向け、ただひたすらに耐えます。

 日牟禮庵の鴨なんばん。ジビエの醍醐味。今日の琵琶湖はいかほどに寒いのでしょうか。

 芥川賞・直木賞の時節でもあり、格調高く(どこが?)まとめてみました。

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