4月14日、琵琶湖北端の海津大崎へ桜を見に行きました。先週の半ばで五分咲きと報道されていました。とすればおそらくこの土日には満開になっていると予測しました。
船からの桜見物には条件が大切
海津大崎は琵琶湖に突き出す岬です。上の写真のように、標高595mの山が裾野を広げつつ湖にそのまま落ち込んだ形をとっています。岬の周囲には湖面との落差がほとんどない高さに道路がつけられています。そして道路の湖側には、4km800本の桜並木が続いています。
琵琶湖と桜で一挙両得のドライブコースということもあり、京阪神からの車もたくさんやってきます。
この時期に満開を迎える桜があるわけですから、滋賀県は寒い県です。桜の開花時期を決めると思われる冬~春の月別平均気温を比べてみました(単位℃。1981~2010年)。
滋賀県長浜市 1月2.6 2月3.0 3月6.4 4月12.1
滋賀県大津市 1月3.9 2月4.2 3月7.3 4月13.0
京都府京都市 1月4.6 2月5.1 3月8.4 4月14.0
京都府舞鶴市 1月3.5 2月3.8 3月7.0 4月12.6
京都市と大津市でもほぼ1℃程度の開きがあり、京都市と長浜市ではほぼ2℃の開きがあります。滋賀県北部の長浜市は京都府北部の舞鶴市よりもまだ低いくらいです。
私は遊覧船から桜を見物しようと思っていました。今津で立ち寄った「魚清」の女将さんがおっしゃるには、車で行っても桜の下をただ走り続けるだけだそうです。車から下りて散歩したくても駐車場所すら十分ではないそうです。桜並木には交通規制がかかり、午後4時までは今津から長浜方向への一方通行になっているといいます。それでは途中で引き返すこともできません。
写真
(上)今津港の観光船乗り場。桜見物の船は1日5便。14時半発が満員で15時半まで待った。
(中2枚)今津浜通りの「魚清」と名物「鮎の醤油煮(100g750円)」。鮎の甘露煮は滋賀県のどこにもあるが醤油煮は珍しい。
(下)「魚清」の向かいには「丁子屋」という古い旅館が昔そのままのいでたちで残っている。
今津港を出た「奥びわ湖さくら船」はまっすぐに海津大崎を目指します。航海速度を落として岬沿いのコースをまずは東向きに進み、Uターンして同じコースを西向きに引き返し、また今津港に戻ってきます。時間は約1時間、料金は大人2600円です。
しかし、船からの桜見物は、思ったほどいいものではありませんでした。端的に言いまして、遊覧船からの桜見物は、好条件が揃ってこそのものだと知りました。私の場合はあまりにも条件が悪すぎました。
まず、好条件の第一番目として、何はさておき晴れていて欲しい。青空でなくてもいいから太陽の光を感じる天候であって欲しい。これは桜見物の一般的条件でもあるのですが、昨日のような曇天下では桜の立体感が乏しく色味も沈みがちで、べたっとした桜になってしまいます。
二番目に、波風が静かであって欲しい。今回は強風で白波も立っていました。デッキに立っているのがやっとの状態でした。カメラを水平に保っていることも困難です。そして、波風が強く船の揺れる日のデッキは、老人や子供の危険度が増します。
三番目は、午前中であること。午後になると太陽が西に移って船からは逆光条件になります。逆光では湖面が光を反射してぎらつきます。湖水の色と桜の対比を存分に味わえません。
これだけの条件がうまく揃えば、船に2600円を支払う価値は十分だと思います。しかし、もし好条件を満たさない日ならば、混雑を我慢してでもドライブしながらの桜見物のほうが満足度が高そうに思えました。
琵琶湖周航の歌と今津
「琵琶湖周航の歌」をご存知かと思います。今津はあの歌との縁が深い町です。
あの歌の作詞者が第三高等学校(いまの京都大学)の学生であった小口太郎であることもよく知られています。当時の三高では、卒業を翌月に控えた学生たちの琵琶湖一周クルーズが恒例行事化していたといいます。フィックス艇という9人乗りの手漕ぎボートでしたから、琵琶湖一周には停泊も伴いました。
今津港前には「琵琶湖周航の歌資料館」があります。そこの女性スタッフによりますと、学生たちが今津に停泊した夜、小口がこんな詩を書いたぞと、ひとりの学生がみんなに披露したそうです。ただ、それに合わせた曲まではなかったので、「ひつじぐさ」という既成曲の旋律で試しにみんなで歌ってみた。それが小口の歌詞にマッチしすぎるほどマッチしたために、そのまま「琵琶湖周航の歌」になり、三高の寮歌としても歌い継がれたということでした。
この資料館の展示によって、あの歌には5番、6番まで歌詞があったことを初めて知りました。加藤登紀子が4番までしか歌わなかったために、多くの人たちがあれ以上はないと思い違いしているのだそうです。4番までに比べると5番、6番の表現は見劣りがすると、私は思いました。
でも、資料館の女性スタッフの見解は異なります。小口太郎が本当に言いたかったのは、6番の最後の2行「黄金の波にいざ漕がん 語れ我が友熱き心」ではなかったのかというのです。ともに青春時代を過ごした友達と卒業で別れ行く心境を思えばと、その女性スタッフは説明してくれました。グッと来ました。
当時の寮歌といえば、「嗚呼玉杯に花受けて」のようにエリートの気負いを言い表すのが一般的ななか、「琵琶湖周航の歌」はどちらかといえば女性的でしなやかな雰囲気を感じさせます。
作詞者小口太郎はそれくらいに繊細で内省的な人物だったのか、26歳で自殺してしまいました。
道すがらの風景
白髭神社の湖中鳥居です。初日の出が鳥居の沖合いに昇ることから元旦の人気スポットになっています。鳥居の背後にかすむのは竹生島です。
松ノ木内湖の桜とスイセン。この桜は植樹以来16年。息子さんの誕生記念に植えた桜が、いつのまにやら松ノ木内湖の名物桜にもなってしまいました。人の目を楽しませたいと、桜の前景にはスイセンやチューリップが植えられています。桜の下にはおばあちゃんが菊を植えています。日陰ができて菊によくないから枝を切ってくれとおばあちゃんは言うそうです。
花のままで散り、水に浮かぶ桜。高島野鳥観察センター近くの小川で見つけた光景です。一見しただけでは桜の花だと分かりませんでした。水面に美しい花を咲かせる梅花藻的な水生植物があるのかと思いました。
2004年1月にNHKハイビジョンスペシャルで放映された映像詩『里山・命めぐる水辺』の舞台、新旭町針江集落です。集落のなかで何本もの水路が交差しています。流れるのは「生水(しょうず)」と呼ばれる湧き水です。湧き水とくれば、たなびく水草は梅花藻です。醒ヶ井の梅花藻もきれいですが、こちら針江も見ごたえありそうです。
0 件のコメント:
コメントを投稿