「春の山菜と斗瓶どりの酒を味わう会」が、京丹後市の縄屋で開かれました。縄屋と弥栄鶴・竹野酒造とのコラボレーション企画は、今年でもう3度目の開催になります。
縄屋と竹野酒造の若い二人が「とにかくおいしいと言ってもらえたら嬉しい」の気持ちで盛り上がっているこの企画が大好きです。今回は、いつもの友達夫妻と共に、150km超の長距離ドライブでやって来ました。
旭蔵舞の発泡酒。これは非売品。ここだけの特別酒。シャンパンと同じくボトル内二次発酵。かすかな麹臭があるのはまだ麹が生きている証しだろう。フルーティーな口当たりがシャンパンに似ている。また飲みたくなる。
プレッシャーがいい仕事につながる?
一緒に行きました友人夫婦は、とにかく亭主が忙しい奴です。亭主の激務のせいで、恋女房の妻はヘロヘロ。みなさん方に暴露できない(ああ、暴露したい)事情によって、プレッシャーだらけの毎日、これでもか、これでもかと絞られています。
プレッシャーだらけの男がさきほどから感服しまくってますのが、まったくプレッシャーなしに搾り取った酒、斗瓶どりです。
斗瓶どりとは?
発酵過程を終えたもろみは、通常ですとしぼり機で濾過され、その搾り汁から酒が生まれます。無駄なく搾り出したいのは企業として当たり前ですから、機械的な圧搾濾過によって生産効率を高めます。
斗瓶どりの場合は、圧搾なしです。もろみを大きな布袋に入れて上からぶら下げ、生地の目を通して自然に滴り落ちてきた分だけを集めて酒にします。一斗瓶を下に置いてそのなかにポタポタと滴下させる。その方式ゆえに斗瓶どりと称されます。
したがいまして、斗瓶どりはまったく商品性のない酒です。竹野酒造の佳樹さんは、「採算のとれるもんではない。自分のわがままを通してもらって造っている」と言います。
そんな酒だけに、市場に出せる分もほんのわずか。飲んでみたくても買えない、買おうとしたらやたら値段が高いという現実があります。だからこのイベントの値打ちも生まれます。造り手本人の佳樹さんがそこにいるのですから、笑顔百薬、祝蔵舞、亀の尾蔵舞、錦蔵舞、祭蔵舞、旭蔵舞といった竹野酒造の銘柄すべてが、斗瓶どりで用意されています。なお、竹野酒造の銘柄名は、蔵舞と書いて「くらぶ」と読みます。
仕事にはプレッシャーが必要かという話になりました。
縄屋の吉岡さんはあったほうがいい派でした。雑誌の取材とか、何度も来たことのある客とか、吉岡さんはそういうケースでとくにプレッシャーを感じるそうです。どうしたらいいかとやたら緊張するそうですが、それでもなんとかなる、かえっていい結果が出たりするとのことです(みなさん、さらにおいしいものを食べたければ吉岡さんにどんどんプレッシャーをかけましょう!)。
佳樹さんも、あったほうがいい派でした。いい酒を造りたい、おいしいと言ってもらいたいという課題に追い立てられてるほうが、やっていて楽しいと言います。弥栄鶴というきわめてローカルな銘柄はまだまだ世間に知られてはいません。その大きな課題に彼は取り組んでいます。彼は、いずれ二代目として家業を継ぐ立場にあります。
才能あふれる若い二人は、プレッシャーをかけて出せるものを出し切らないともったいない。翻って、私の友人はどうか。なお絞り切れていないのか。還暦過ぎたら、絞って出るのはションベンくらいじゃないのか。どうでしょう?
春の嬉しさそのままに、丹後ならではの幸せを
丹後の春は桜だけではありません。山菜とりがあります。
海に囲まれた丹後ですが、日本の半島のほとんどが山がちであるのと同様、丹後半島は丹後山地とでもいうべき地形をしています。春の山菜はおのずと人の暮らしに溶け込んでいます。
今回のイベントでは、春の山菜とり同様の素朴さが料理にも現れていました。凝りすぎることなく、吉岡さんと奥さんの恭子さん自らが野で摘んだ食材もまじえて、さらりと流しています。
何年か前に比べたら吉岡さんの料理はどんどんシンプルになっています。余計な装飾を味からも見た目からも排して、おいしさと美しさを食材自身に引き立てさせる方針だと思えます。五七五のようです。酒を生かす目的もあってか、今回はいつも以上に軽妙さを意識した演出ではなかったでしょうか。
酒の各銘柄をどの順番で出していくか、料理はどういう中味でどういう順番にするか。下準備が苦労です。吉岡さん、佳樹さん、飯尾醸造社長、そしてもう一人の誰かで検討します。正解はひとつじゃないなか、自分たちの舌を信じて最善の答を絞り込んでいきます。
けれども、吉岡さんも佳樹さんも、打ち合わせしてるときがいちばん楽しいと言います。もう、どうしようもなくマニアックな男たちです。その二人が、春は山菜の芽吹く丹後の風土と共にある。二人だけでもダメ、丹後だけでもダメのイベントです。
入念な事前検討を経た結果、料理一品に対して酒一銘柄というピンポイントの合わせ方ではなくて、料理一品に対して複数の銘柄を飲み較べできる方式をやってみることにしました。一応、佳樹のリコメンド銘柄はあるにしても人ごとに嗜好も異なるからです。その人自身の舌で酒どうしの違いを確かめて欲しいと佳樹さんは言います。
佳樹さん(左)と吉岡さん(右)は共に京丹後市弥栄町出身。竹野酒造と縄屋もお互いに近い。
このイベントの値段は、料理だけならひとり8千円。酒も飲む場合はひとり1万円です。実にお買い得な値段だと思って即座に予約しました。昨年の秋に初めて縄屋を体験した友人夫妻は大のファンになってしまいましたし、行かない理由がどこにもなかったのです。
では、この日の献立を写真で紹介します。
(左)縄屋にいることをあらためて思い起こさせるお膳のしつらえ。このお盆とお箸と橋置きはいつ来ても変わることがない。
(右)なんと日本酒にデキャンタージュ。新地の飲み屋さんで試しにやってもらって偶然に発見したおいしさの引き出し方。どの銘柄もそうだというのではなくて、これは亀の尾蔵舞。
胡麻煎餅に酒粕を忍ばせて 酒は旭蔵舞のスパークリング
胡麻煎餅を二枚合わせにして酒粕味のペーストが挟んである。アイデア倒れで決して終わらないおいしさ。
(左)虎河豚煮凍 浅葱 柚子胡椒 酒は笑顔百薬
(右)虎河豚 蕨 山葵 酒は笑顔百薬
左の品が友人と私の妻お龍に大好評。右の品について妻お龍は「もの足りない」と言った。河豚の身は味が薄いからだろう。私は蕨と一体化した山葵が実に春らしい演出だと感心した。小鉢を彩る紫の可憐な花は何だろう。
(左)芹とイサザかき揚げ 白子 酒は笑顔百薬と祝蔵舞
(右)のど黒椀と塩焼き 椀には芽独活を添えて 塩焼きには山菜の花甘酢漬 酒は亀の尾蔵舞と錦蔵舞
イサザと芹。まごうことなき春の味。でも河豚の白子は冬が旬ではないのか?いま思ったけれど、丹後の海の水温は低く、伊根の河豚ならいまがちょうど産卵前で脂がのっている。
のど黒の塩焼きと山菜甘酢漬を椀に入れて食べてみてくださいとのこと。その食べ方が絶品だった。驚くおいしさとはこのこと。のど黒といえば焼くだけでおいしい高級魚だが、そこにさらにひと工夫もふた工夫もあるのが料理人の実力と努力。
(左)片栗 うるい 生このこ掛け 酒は亀の尾蔵舞と祭蔵舞
(右)虎魚揚げ焼 胡麻酢掛け アスパラ 酒は旭蔵舞
うるいを久しぶりに食べた。東北で暮らしたとき以来。このこというのはくちこと同義で、ナマコの卵巣。生は初めてだった。私には磯臭さがきつすぎた。
虎魚というのはオコゼのこと。見た目はグロテスクだけれどおいしい魚だと丹後で初めて知った。パリっとした食感は揚げ焼きゆえ。塩気と交じり合う胡麻酢がえらくおいしかった。
(左)河内鴨とクレソンの炊き合わせ 山椒 酒は祭蔵舞
(右)鴨蕎麦 叩き木ノ芽 酒は祭蔵舞
お、確かな合鴨肉の仕入先ができたんだなと思った。鴨が二品続くということは、吉岡さん、いまお気に入りの食材なんだろう。クレソンは、縄屋の畑を流れる小川に自生している。生で食べるよりお椀の材料になったほうが数倍おいしい。
友人の妻は、このお椀をおいしいと思ったと同時に、渡辺淳一の小説「失楽園」の男女二人が鴨とクレソンの鍋を食べて自殺したことを思い出したらしい。そんなん忘れとけ。
私の妻お龍は、蕎麦のお椀に浮かんだ鴨団子がいちばんおいしかったと言う。東京からの女性はこの蕎麦を「羽衣のような」という表現で絶賛した。蕎麦に羽衣ーーー私たちの間ではこのたとえがちょっとしたブーム。いいものと出会う度に「羽衣のようだ」と言っている。
(左)蓮根餅 お抹茶ガラシャ仕立て
(右)竹野酒造の「ガラシャの里」という商品
この蓮根餅は和久傳の西湖によく似ていると、その場の一人が言った。それもそのはず、吉岡さんは和久傳で料理の修業を積んだ。8年間勉強してから故郷に戻り縄屋を継いだ。何度か食べたデザートだけれど、このときはまったく違うものに生まれ変わっていた。「これを見つけたときはやった!と思いました」と吉岡さんが話すのは、抹茶を酒で溶くアイデア。29度の日本酒「ガラシャの里」が使われている。弥栄町の奥地である味土野に細川ガラシャが幽閉された。雪深いあの山村にも春は訪れているに違いない。京丹後市弥栄町黒部で開かれた春のイベントを、ガラシャの酒に締めくくらせるとは・・・。やられた。
バベットの晩餐会のように和やか
友人が「バベットの晩餐会」という映画について語り始めました。1988年度アカデミー外国語映画受賞作に輝いたデンマーク映画です。そんな古い映画ですから、吉岡さんも佳樹さんも見たことがありません。
「春の山菜と斗瓶どりの酒を味わう会」は、20日、21日の両日、それぞれ昼の部と夜の部に分かれて開かれました。都合4回の食事席が用意されたことになりますが、私たちは土曜日の昼の部を選びました。
そこに集まったのは9人の客です。いちばん遠いのは、東京から独りでやって来た女性です。そして、神戸からの夫婦連れ、地元の女性二人組、私たち4人でした。
うちお一人は、縄屋で行き会ったのをきっかけに私のブログを呼んでいただくようになった方でした。「初めまして、お龍さんですよね」と、私の妻のこともよくご存知でした。お龍の写真はいつも美肌修整してから掲載してますのに。
酔うほどに見知らぬ人どうしが仲良くなっていって欲しいと吉岡さんや芳樹さんが望んだ通りです。彼ら二人の料理と酒はそこに集まった9人の心を和ませて余りある力量でした。よく似た心理効果が「バベットの晩餐会」でも描かれています。一流女性シェフであるバベットの料理にもその力があり、晩餐会に集う人たちの和を高めました。
近頃、米国のライフスタイル誌「KINFOLK」が”SMALL GATHERING”というコンセプトを提案しています。人間関係が希薄な時代だからこそ実際に人が集まり共に食事をすることの大切さを見直し、食卓を通してコミュニケーションを図ろうというのです。
切れ目を知らないおいしさと、次第に和んでいく縄屋の食卓が、彼に「バベットの晩餐会」を思い起こさせたのでしょう。彼がそんな気持ちになったこと自体、料理と酒への大きな賛辞です。これはブログに頂戴しなくてはと、しっかり頭に入れておきました。
その映画にはもうひとつテーマがあったといいます。友人が言うには、味覚の快楽と宗教の戒律です。
晩餐会に招かれた客は、質素な生活を旨とするプロテスタントたちでした。その食卓を飾るのは食材に贅を尽くした素晴らしい献立ばかりです。宝くじで1万フランを当てたバベットが、全額を食材購入費用に注ぎ込んでいました。
こんな贅沢なものを食べたら天罰が下ると内心おののくプロテスタントたち。しかし、美味い。困ったことに美味い。その葛藤を抱えながらも解きほぐされてゆく心。「食」の魔力を考えさせる作品です。
彼は、心のうちでこんなことも考えていたそうです。
斗瓶どりのようにおいしさだけを追求した酒が社会とどうつながるのか・・・?
酩酊してゆく頭でえらい難しいことを考えていました。
答ではないけど、それらしいことなら私にも言えます。
薪ストーブ買うたやんか。石油ストーブではあかんかったか?
庭、イングリッシュガーデンでめちゃきれいやんか。土のままではあかんかったか?
人はパンのみにて生くるにあらずの角度違い解釈でいかがでしょうか?
社会的意義不明確なことに金を使う奴がいなければアベノミクスもうまいこといきません。
お会いできて光栄です、羽衣さん。これからも丹後をよろしく
今回のイベントの価値はそこにいる者すべてがよく承知していることですが、それでもなお、はるか東京から一泊でやって来た女性がいたのはみんなの驚きでした。友人が「ようこそ、京丹後へありがとうございます」と感謝を表明したら、「自分は滋賀県のくせにおかしいやんか」と妻がつっこんでいました。
その彼女を「羽衣さん」と呼ばしていただきましょう。というのも、鴨蕎麦のおいしさを「羽衣のような」と表現したからです。思いつこうとして思いつけるフレーズではありません。縄屋に来る前に立ち寄った天橋立で羽衣伝説が心に浮かんで夢見心地だった、蕎麦を食べたらまたその羽衣気分がよみがえったのだといいます。吟遊詩人のようなそんな彼女は、一人旅で丹後までやって来ました。
東京からやって来た羽衣さん。本人が特定されるのはよくないからワイングラス越しの姿。帽子がよく似合う女性。ここまでの丹後ファンがいてくれることを私も心強く思った。
彼女は、京都花背の有名料亭美山荘の中東久人氏と竹野酒造のコラボ企画も経験したそうです。この企画は東京の銀座4丁目で開催され、会費は1万9千円でした。身分を隠して参加する客ばかりだったといいます。実は酒井法子さんがいましたと後で聞かされたくらいです。羽衣さんも天女の身分を隠して席についていました。
その会で、彼女は竹野酒造の酒にすっかり魅了されました。蕎麦を羽衣にたとえるくらいに感受性満開で人生を歩む女性ですから、気に入ったものに対してはある意味一途です。行きたいとなればフィレンツェだって躊躇しない羽衣さんにとって丹後はイタリアほど遠くはありません。
食事会が終われば、吉岡さんと佳樹さんから挨拶です。
そのとき、私の友人が、「みなさん、私たちからも、ひとことずつ、今日の感想を吉岡さんと佳樹さんにお伝えしましょう」と言い出しました。
彼の妻は、「あんた、やめとき、余計なお世話やんか。そんなんダサいわ」と制止しました。彼の名前が治(おさむ)だけに、ダサイオサムです。
しかし、妻の制止は杞憂でした。彼の提案はみなさん方を喜ばせました。みんな感謝や感激をきちんと伝えたがっていたのです。
神戸の夫婦連れは、これは神戸では絶対に出会えない味だと料理への感激を伝えました。地元からの女性組二人のうちの一人は「先生」と呼ばれていましたが、その先生は言いました。こんな素晴らしい技をもった料理職人が地元にいてくれて誇らしく思う、と。
羽衣さんは、「天橋立を渡って縄屋でのおいしいお料理とお酒ですっかり幸せになり、いま私は天国にいちばん近いところいます」と吟じました。その言葉からかなりの丹後通だと分かります。天橋立近辺を舞台にした映画「天国はまだ遠く」を踏まえているからです。天女から予期せぬ表現で褒められた吉岡さんと佳樹さん、見れば返礼に窮しています。
羽衣さんは食事の途中で眠っていました。お酒に弱いと言いつつもずいぶん量を飲んだようでもありましたので、天国にいちばん近いところから一歩間違うたらほんまに天国やでと、老婆心ながらも伝えておきました。
うちの妻お龍も、よく飲みました。おいしい酒だから飲まなければもったいないと私がすすめたからです。そのかわり前もってヘパリーゼを飲むようにアドバイスしておきました。コンビニで2錠150円。効きます。
ありがとう、縄屋さん、竹野酒造さん
私からもあらためてお礼を伝えたいと思います。
佳樹さんによりますと、酒の味は温度によっても違う、器によっても違う、経年変化もあるとのことでした。息子が生まれた年に造った酒を20年後に親子で飲んだときどんな味がするのか楽しみだという佳樹さん、子供さんの健やかな成長と共に竹野酒造のさらなる発展を祈っています。
円くなったと先生から言われていた吉岡さん、ほんと顔も少しふくよかになってきて京丹後のおっちゃんらしさも徐々に出てきました。奥さんの恭子さん、ゆっくりお話しできなくて心残りでした。次はなっちゃんがいるときに行きますね。お二人ともますますお元気でやってください。
酒を飲まない者にはご飯と熱いお茶が恋しかったと、友人の妻が申しておりました。そういえば羽衣さんも同じことをつぶやいていました。
酒が主目的の会に参加しながら酒を飲まないのは客の勝手な都合ですが、次回からの検討材料に加えてみてください。
0 件のコメント:
コメントを投稿