水上勉の小説『五番町夕霧楼』。
ヒロインの娼婦、片桐夕子は与謝の三ツ股の出身、片桐夕子の恋人、櫟田正順は三つ股に近い樽泊の出身。悲話。ほんまに悲話。
へえ、そうですかあ。丹後に縁のない頃に読んだことがあります。まったく気にかけませんでした。
ということで、昨夜、読み直しました。
映画にもなっています。
今日、東映太秦映画村と五番町を見てきました。
【東映太秦映画村】
こちら、町娘に扮しているのは中山京子さんという女優さん。
私、今夜の『砂の器』に出てるんですよ、婦警さん役で。ほんのちょっと。ちゃんと最後に名前も出るんですよ。
ほんま?ぜったいに見るわ。今夜は第二話やんか。ゼッタイに見るわ。
テレビを観ました。今西刑事(小林薫)に郵便を渡しに来る婦警さんでした。
いちばん感心しましたのが、この『映画熟 映画のヒ・ミ・ツ うそ・ほんとう』。スタジオ内のセットだけなのに照明技術や効果音だけでめちゃホンモノ臭く見える。撮影の裏側を見せてくれます。映画の仕事に就きたかったなあ。そんな気持ちになりました。
時代劇のチャンバラシーン。野外実演です。チャンバラにトライしたい観客には簡単な殺陣を教えてくれます。
土産物店で生八ツ橋の「夕子」を買いました。「夕子」という商品名は『五番町夕霧楼』のヒロイン「片桐夕子」から生まれました。
映画文化館の2階には、古い時代のポスターが制作年の順にずらりと並んでいます。そのなかから『五番町夕霧楼』を見つけました。
1963年(昭和38年)、佐久間良子さん、河原崎長一郎さんのコンビが主演を努めました。監督は田坂具隆さん。
『五番町夕霧楼』は、1980年に、松坂慶子さん、奥田瑛二さんのコンビでも制作されました。こちらは松竹映画作品ですので、東映太秦
映画村にはポスターがありません。
ポスターはなかったのですが、松坂慶子さんが片桐夕子を演じたときのスチル写真がありました。
映画村へは嵐電(京福電鉄嵐山線)に乗って出かけました。『五番町夕霧楼』の時代背景は終戦から昭和25年くらいまでに相当します。京都の町中にまだ市電が走っていた頃です。少しでもそれに近い交通手段ということで、車道上を走る嵐電を選びました。太秦広隆寺下車、徒歩5分です。
五番町へは、帷子ノ辻(かたびらのつじ)から再び嵐電に乗って北野白梅町まで移動。西大路今出川から千本中立売界隈まで歩きました。
【五番町を歩く】
豊臣秀吉が聚楽第を建てたとき、武士を住まわせるために確保された区画が一番町から七番町でした。京の街に不慣れな武士たちのため、わかりやすい区画名が用いられたのでしょう。1709年、その一部で幕府公認の売春が始まります。それが五番町あたりでした。
ぐるっと歩いてみました。遊里らしさをよく残す家屋はこの2軒だけです。2階に手すりのある家は他に何軒かありましたので、部分的にではあれ、往時を偲ぶことができます。
もちろん「夕霧楼」というのは架空の娼妓館ですから現存するはずもありません。
まぎれもなく実在したのは、100軒のお茶屋と300人の娼妓。
そして、1950年(昭和25年)、金閣寺に放火した林承賢(京都府舞鶴市出身・当時21歳)という僧侶。この林承賢が小説中では櫟田正順として描かれます。
放火犯人の林承賢は舞鶴市成生の生まれです。寺の子でした。少年時代に金閣寺に小僧として出されます。
いっぽう、水上勉は、林承賢ときわめて近い福井県大飯町出身。寺の子ではありませんが、やはり京都の寺へ小僧として出されました。
境遇が似すぎていたためでしょうね、水上勉には林承賢への共感がとても強かったようです。犯人独特の劣等感が精神異常によって増幅されたと解釈される事件に対して、水上勉は必要以上にやさしい視点を貫こうとします。
水上勉は、社会格差が生み出した貧しさを重要視して、林承賢の厭世観を説明したがります。物欲・金銭欲・性欲にまみれた僧侶たちに対する反発もそこに加わります。水上勉は林承賢の犯罪心理を解明するという体裁をとりながら、汚れた仏教界への批判を展開しようとします。
若狭・丹後という辺境の地の貧しさをいやというほど味わっていた水上勉は、櫟田正順の出身地に与謝の樽泊をもってきました。林承賢が寺の子供だったという生育環境をそのまま引き継ぐために、櫟田正順には浄昌寺(架空の寺院名)の息子という設定を用いました。
さらに、水上勉は、実在しないヒロインである片桐夕子を生み出しました。ともに恵まれない環境で育った幼馴染どうしとして、夕子をもってきたのです。なんていうのでしょうか、孤独な櫟田正順にとって唯一のゆりかごといいますか、そういう女性です。夕子のやさしさを通じて、水上勉は金閣寺放火犯人への同情心を遠慮することなく書き綴ります。慰められたかったんは自分やないんかいと私は言いたいです。
そう考えますと、ものを書けば、自分のなかが丸見え。なんだか恥ずかしくて卑しい行為なんですね。このブログだって、同じことです。それだけに人間臭い。
夕子の出身地は樽泊の北にある三つ股です。樽泊というのも架空の地名です。実際には泊という地区があり、そのなかに大泊と小泊があります。
水上勉は、伊根町の津母を訪れたときに、夕子像の素案を得ました。水上勉はこう書いています。水上勉は貧しさと暗さの天才でしょうか。丹後がここまで陰鬱でしょうかねえ・・・と思いつつ、私は水上勉につきあっています。
私はこの村に、一人の少女を置いてみたかった。このような淋しい土地にうまれた貧しい少女を、物語の主人公として追ってみたかった。与謝の暗さを一身にひきうけて、生きようともがきながら、結局、暗い運命に蝕まれて死んでゆく女のことを書いてみたいと思った。津母の村は、そのような女を私に夢みさせた。(『丹波・丹後』96頁)
泊のあたりの海 |
これは千本日活。現役映画館のなかでは京都でいちばん古いと聞きました。たった500円でポルノ3本立て。五番町が健全な住宅街に変身を遂げたいまも、孤軍奮闘の場末感。前に駐めてある自転車やバイクの数をみると、五番町が消えても、時代が変わっても、男はやっぱりみんなアホや。
六番町にはすっぽん料理の「大市」があります。川端康成、司馬遼太郎をはじめ大物文筆家たちに愛された店。漫画の『おいしんぼ』にも何度か登場した店です。
この店、太秦映画村に舞い戻ったようなたたずまいでした。
大きな地図で見る
0 件のコメント:
コメントを投稿