『五番町夕霧楼』では百日紅が大切な役割を任されています。
ヒロイン片桐夕子の郷里、樽泊では、浄昌寺の墓地に百日紅が咲きます。海からもよく見える百日紅です。
【百日紅はいずこ?】
昭和26年9月26日、浄昌寺の百日紅に見送られて、夕子は郷里を離れます。そして、翌年の8月27日、浄昌寺の百日紅に迎えられて、郷里に戻ります。
百日紅は紅色や桃色です。いっぽう、物語全体の色調はモノクロームです。
特定の色合いだけに色彩を残したデジカメ写真のように、百日紅の色が鮮やかです。心の視覚に残像を刻みます。
それに百日紅は生命力の強い木です。薄幸で短命だった片桐夕子。彼女の人生と百日紅の対比も鮮やかです。
海から見える寺?そこに百日紅?
そんな風景、どこにあるねん?
元が小説ですから、本当にそんな風景があるのかどうか、なんら確証はありません。でも、丹後なら、海から寺の百日紅を見通す風景がどこかに実在しそうだと思いました。
百日紅+寺+墓地の組み合わせは当初から捨てていました。山が海まで迫る土地ですから、寺に墓地を併設するだけの敷地がありません。墓地はたいてい寺から切り離されています。集落毎の共同墓地になっています。
【松源寺はウソくさい】
水上勉の紀行文を読みますと、夕子の郷里のモデルは下世屋村の松源寺(下の写真)だと書いています。
水上勉は、松源寺の庭や山門から、海を遠望し、青葉山も見たと書いています。ところが、見えないんです、そんな景色。水上勉が本当に見たのかどうか、私は自分で検証してみました。
山門から遠くを見ました。海は見えそうで見えません。青葉山はもっと見えません。忠魂碑があったので、土台部分に上がってみました。2mほど目線が高くなりましたが、結果は同じです。そもそも地形的に無理なんです。
【水上勉への不信感】
本の107ページで松源寺が夕子の故郷だと書いた水上勉が、あとがきにおいては、夕子の故郷には蒲入あたりの地形を借りたと書いています。
何が本当なのか?
両方とも鵜呑みにできません。
佐久間良子がヒロインを演じた『五番町夕霧楼』の映画監督は田坂具隆ですが、田坂監督が蒲入に百日紅を植樹してきました。田坂監督は、「夕子いて 百日紅よし 海青し」という句を読みました。
水上勉は、そのエピソードをドラマチックに話したかった。だから、あとがきでは、蒲入を目立たせようとした。その可能性だってあります。
大作家を信じないのか?
はい、信じません。
この本の96ページでは、津母を訪れたときに夕子像の素案を得たように書いてあります。小説を読みますと、津母のすぐ隣の集落である泊を念頭においていることがうかがわれます。写真は泊の砂浜です。
松源寺だと言ってみたり、蒲入だと言ってみたり、津母だと言ってみたり、水上勉というのは、一貫性のない男です。都合に合わせて言うことがころころ変わる。サラリーマンみたいな奴です。
そういう性癖のある作家だと、私は軽蔑するに至りました。百日紅どころか、水上勉のペンのよくすべると、すべること。
もう水上勉が語る裏話なんかどうでもよくなりました。自分で自分の百日紅を見つけよう。気持ちを切り替えました。
【長江に行き着く】
蒲入へ行けば田坂監督の植えた百日紅があるのでしょう。けれども、映画監督が植えた百日紅なんか見たって値打ちがありません。『五番町夕霧楼』とはまったく無縁に、なんの演出意図もなしに咲いている百日紅を見つけなくてはなりません。
写真上:金剛心院(日置)の百日紅
写真下:禅海寺(日置)から望む海
で、いくつも寺を回った末に、条件を満たしている百日紅を見つけました。それが冒頭の写真です。花の勢いがイマイチでして、海から見てもぱっと目立つかどうか自信がありません。しかし、海から見通せる位置にあります。
『五番町夕霧楼』とは縁遠い場所、長江という地区でした。長江は漁港ですから、写真のなかに防波堤も映っています。
【宝泉寺というお寺】
さて、百日紅はありました。けれども、そこがお寺なのかどうか、確信がもてません。といいますのも、建物がこんな風で、大きな民家となんら変わるところがなかったからです。表札なしです。
この家の敷地内と思える場所に、無縁仏を祀る墓標もあります。お堂もあります。お堂の後方には石仏も並んでいました。
お寺だと断言してもいい。断言したい。その気持ちは次第に強くなりますが、なにせ、「おさちゅんブログにうそはない」と平素から大言壮語しております。お寺だという物証を示さねば。
と、そのとき、縁の下に並べてある掃除道具が目に入りました。子供の頃を思い出しました。お寺掃除の日、檀家のおばさんたちが握っている箒や熊手の柄には、マジックで寺の名前が書いてありました。
もし、ここがお寺ならば、掃除道具の柄にナントカ寺と書いてあるはずです。
下の写真、「やった!」の瞬間です。寺の名前が書いてあります。
宝泉寺というんですね。
お寺らしくない造りの建物、民家っぽい建て方ですが、この地区では葬祭会館的な機能も受け持つ寺が必要だったのかもしれません。
【くさい果実を水上先生に捧ぐ】
ところで、ここに到着してから、何分かに一度の頻度で、ポトンとかボトンといった音がします。野生の栗が落ちる音かと思っていましたが、見渡す範囲に栗の木はありません。
音の正体はこれでした。アンズです。地面に固まって落ちています。
これはお龍とビビアンのお土産にちょうどいい。あの二人なら喜んでジャムを作る。と思って拾い始めましたら、めちゃ臭い。つまんだ指にウンチの臭い。腐ってました。
と、いま、お龍がこの写真を見て言いました。
おとうさん、これ銀杏だよ。臭いの当たり前だよ。
そうでしたか。銀杏でジャムを作ったらさぞかし臭いでしょうね。
水上勉なら、丹後の長江でウンコを食べたと嘘を書くとこでしょうね(そんなわけない)。
水上勉なんてくそくらえでは大作家に失礼ですから、丁寧に言い直しますと、「水上勉先生、ウンコ召し上がれ」ですね。
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失礼やぞ
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